忍者の特撮ヒーローから本物の忍者になったスゴい人DAY2

古今東西、今も昔も子どもたちを夢中にさせてきた特撮。80年代から90年代にかけて『メタルヒーローシリーズ』が登場し、人気を博していました。そんな憧れのヒーローのひとり、7作目の『世界忍者戦ジライヤ』の主演を務めたのが筒井巧さん。筒井さんはなんと忍術の宗家でもあります。役者と忍者の二足の草鞋で活躍している筒井さんの仕事や人生について伺いました。

 思いやり 

 

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やりたいを叶えていくのは『人への想いやつながり』

 ──『世界忍者戦ジライヤ』の現場はどうでしたか。

 役者は作品ごとに入れ替わるけれ、作品に関わるスタッフさんはもう何十年も同じ仕事をされてきて変化がほしいのでしょうね、主役の私がいじられるんですよね。軽いお遊びなのでしょうがそれが嫌でしたね。NG出したりすると「フイルム代返せ〜!」って言われたりする(今では笑い話です。)

 

──特撮という子ども向けの作品に出ることになって、ギャップはありましたか?

 そんなにギャップはありませんでしたね。ヒーロー物だけど、変身前は普通の18歳の少年で、普段の私のままで演じていましたから違和感がなかったです。しかも子供番組といっても、大人も一緒に見てますからね。

 

──『世界忍者戦ジライヤ』が終わった後も、テレビや舞台にと、いろんな作品に出られていますよね。印象に残っている作品ってありますか。

 好きな役のひとつは、船越英一郎さんが主演の『その男、副所長3』の最終回のゲスト、新聞記者の役ですね。的場浩司さんが有能な週刊誌の記者を演じてるんですが、その的場さんの記事をすっぱ抜く記者です。でも、本当は自分が犯人だったっていう役。最後のシーン、そういう人間の狂気がね。やりがいがありました。

 

──二時間ドラマのご出演が多いですよね。

 多いですね。なぜか医者の役が多いんです。『監察医・室生亜季子』ではレギュラーで解剖医の八木助教授役をいただきました。医者の役は、言葉が大変なんですよ。わからない医学用語だらけで。読み方もわからない漢字や、カタカナでもイントネーションがわからないような言葉もあって。困って、自分のかかりつけの先生に電話をして聞いたこともあります。「これ、どう読むんですか?」って。マイ白衣も持ってますよ。いつでも着られるように。

 

──記者や医者など、知的な役のイメージでキャスティングされるんでしょうか。

 確かにそうですね。だから悪い役をやるときも、知的な役がけっこう多いですね。

 

──役者をやっていて出演したものは、ご自身でも見られるほうですか?

 見ます。どうなったか気になるし、どこまで使われているかわからないですから。

 

──何度もご出演されている『釣りバカ日誌』には青年座の大先輩、西田敏行さんが主演ですよね。

 一緒に『おろしや国酔夢譚』という映画出させてもらったときにお話させてもらって、西田さん「すんごい、いい人だなあ」って思って、いつか一緒にまた仕事をさせてもらいたいと思ってました。ただ、なかなかその機会がなくて。

だからマネージャーさんに「セリフもなくていいし、どんな役でもいいから、釣りバカ日誌に入れて」って頼んだんです。そうしたら名前もない社員の役で入れてもらうことになりました。それが釣りバカの5です。

6は出ていないんです。実はマネージャーさんがその回のゲストを取りに行こうと頑張ってくださったんですがダメだったんです。そうなっちゃうと、名もない社員の出演もできないじゃないですか。

だからもうマネージャーさんには「名も無い1社員でいいから!」ってお願いして、次の回から復活しました。

 

──西田さんと確実に仕事ができる方を選ばれたんですね。

西田さんは本当に気さくでいい方なんですよ。ガード下の表にビールケースの椅子があるような庶民的なお店にもよく行くんです。そうすると周りのお客さんたちや通りを歩く人から見つかるじゃないですか。

サインを求められたりするんですけど、西田さん、何にでも応じちゃうんですよね。失礼な人は、割り箸の紙にサインを書いて欲しいと言ってきたりするんですが、それでも西田さんが書こうとした時は、さすがに周りが止めました。サインは書くけど、ちゃんとした紙とペンにお願いしますって。

 

『世界忍者戦ジライヤ』から繋がった戸隠流忍術の世界

 ──筒井さんの人との関わり方を感じます。『世界忍者戦ジライヤ』のつながりから、役者としてだけではなく、本当の忍者になられたと伺いました。どのような経緯でいらしたのでしょうか。

 父親役だった本物の忍者の初見先生は9つの宗家を持っていて、そのひとつが戸隠流だったんです。

『世界忍者戦ジライヤ』で1年間ご一緒した時に「じゃあ筒井くん、段をあげるよ」って。確か4段をいただきました。

クランクアップ後も、初見先生の誕生会に伺ったり、お付き合いはずっと続いていたんですが、そのうちに「15段をあげよう」と言われて。びっくりしますよね。15段って武道の最高峰の師範ですから。

 

──そして、戸隠流第三十五代宗家になられたんですね。

 はい。2019年の冬に、戸隠流第三十五代宗家を仰せつかりました。先生もいいお年なので、やっぱりいろいろ考えられたんでしょう。今年で89歳になられますから。

初見先生は9つ流派のの宗家だったのですが、次の代は、それぞれ別の人に継がせようと考えられていました。9つの流派の中の一つの流派の位置付けです。

他の人は私と違って、30年くらいきちんとやってきた人ばかり。私はまだ未熟で辞退しようと思ったのですが、これからしっかり勉強してください。と言われ、決断した次第です。

2015年に『手裏剣戦隊ニンニンジャー』にジライヤとしてゲスト出演したんですよ。その時の作中では、ジライヤの山地闘破が父から引き継ぎで、第三十五代目の宗家になっていました。

その4年後に、本当に父親役の初見先生から、息子役の私が本物の戸隠流宗家を引き継ぐ形になりました。

 

こんな宗家もあっていい。自分らしい現代の忍者像

 

──オーディション時に、武術経験がなくて、エア卓球(注:DAY1参照)されたくらいなのに、ついに本当に忍者になって宗家になられたわけですね。現実がドラマに追いついたと。

 最近、プロフィールなどで『武道家』って書かれることがあるので、困るんですよ(笑)。

確かに、初見先生は忍術は武術の頂点であると仰います。観光地化して子どもと一緒に忍術をという感じではありません。

私は、忍術については30年も続けた方から見れば、まだまだ未熟です。

実はきちんと忍術に向き合ったのは、そんなに昔のことではないんです。その自分が30年も向き合ってきた人と同じことをするのは無理がある。

今、不定期ですが、ネットで人を集めて、筒井導場をやっています。「道場」ではなく「導場」。

これも筒井から忍術を教わろうではなくて、30年くらいやっているベテランの師範の方をお呼びして『筒井と一緒に忍術を学ぼう』のスタイルです。少しでも忍術に興味がある人を導く事が出来たらなぁと思います。

 

──宗家が一緒に学ぶスタイルなんですか。

 そうですね。いろんな宗家がいていいと思うんです。今、自分が出来ることで言うと、SNSを使って、忍術に興味がある人を集め、みんなで楽しく稽古をする。楽しむ事が一番です。

今はコロナのため、野田にある本部道場も閉まっています。外国人の方の来訪も多かったので、今は来れないし、絶対に密になっちゃいますから。

 

──忍者というキャラクターは外国の方にも人気ですよね。

 『世界忍者戦ジライヤ』は30年以上も前の作品ですが、ブラジルでは未だに人気があり、今年も再放送されていました。イベント出演の為に私はもう10回以上はブラジルに行っています。

 

──それほど愛された役を演じられたのは、役者冥利につきますね。今後の展望として何かやりたいことはありますか。

 役者や忍者から少し離れますが、笑えるような脚本を書きたいと思ってます。

今、ライブ配信とか増えているじゃないですか。やってみたいですね。2本くらい短いのを書いて、ニコ生で配信してみたりしたんですが、なかなか難しいですよね。よかったら見てください。

 (了)

インタビュー:アレス ライター:久世薫 映像制作:株式会社グランツ

◆筒井巧(つつい たくみ)氏 プロフィール:

大阪府出身。青年座映画放送所属。俳優であり声優。1988年、特撮ドラマ『世界忍者戦ジライヤ』で、主人公・山地闘破を演じたことがきっかけで戸隠流忍術第三十五代宗家を襲名。現在、宗家として活動しながら、役者としてもテレビや舞台と、幅広く活躍中。

オフィシャルブログ:『たくみの技』https://ameblo.jp/haiyuu-takumi/

◆出演情報

  • 映画「スモーキー・アンド・ビター」2020年公開中
  • 2020年11月21日「ソング・オブ・ラブ・アクチュアリー」リーディング公演LIVE生配信
  • 映画「峠~最後のサムライ」近日公開
  • 映画「龍帝外伝」近日公開

 

 

 

 

 

 

 

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