漫画原作者、役者、映画監督。肩書きとこれまでの仕事の幅と量が圧倒的な市原剛さん。エンターテインメントの第一線で活躍しながら、夢を叶えてきたスゴい人。多才なその能力をもってして、いかに自分の夢を現実にしてこられたのか。これまでの半生についてお聞きしました。
友情・努力・勝利
ついに連載開始!やがて訪れる大きな試練
──プロの道に入ってからどのように連載を担当するようになったのですか?。
26歳から29歳まで、出版社に企画書を持ち込み続けたわけだけれど、俺が書く話というのはどこかで聞いたような話が多いんですよね。新作を立ち上げるには、どこかで聞いたような話というのはだめなんですよ。
今、『龍帝』じゃないものはないんですかとよく聞かれるのですが、銀行強盗やって逃げるカップルの話なんてどこにでもあるじゃない。だから何かしら、嘘を一つつく。嘘が一つあるだけでぐっとオリジナリティが出るんです。
だけど当時の俺のプロットには、このオリジナリティが無かったんですよ。
そんな俺をデビューさせるには、既存のものでテコ入れをさせるという手があると。ちょうどそこに『ダブル・ハード』の原案協力の話がきたんです。
その頃は助監督のアルバイトをしていたんですが、次号に載るまでの準備にすぐに入りました。
──その頃になると生活も安定してきたのではないでしょうか。
実はギャラはそんなに高くなくて、月に掲載料は15万円くらいでした。ただコミックスが当時10万部売れていたので、それが大きかったですね。ようやくこの仕事だけで食べていけるようにはなりました。
それからは必死に仕事をしていたんですが、やがて部数は下がっていきました。それでも毎月、決まった額は入ってくるから下手なアルバイトよりは全然収入はよかったんです。
連載中も2週間くらいは他の好きなことができる時間はありました。その時間を使って、ゴラクやバンチへ持っていったり、他の読み切りをジャンプに掲載したりしていました。
そして2005年に何が起こったと思います? 月刊ジャンプの休刊です。連載が終わって次の連載を目指して準備している時に、月刊ジャンプが突如休刊です。大ピンチですよ。
──急に言われたんですか?
3ヶ月前です。あの月刊少年ジャンプが!『けっこう仮面』も載っていた月刊少年ジャンプがなくなります!さあ大変です。
一応、編集者は他の仕事を紹介してくれたんです。ビジネスジャンプです。
俺は『影の軍団』が好きなんです。幕末にも興味があって、忍者ものを書きたいと思っていました。『花の慶次』の中に風魔衆が秀吉に破れた後、各地の色里に散っていったという一文があるじゃないですか。
じゃあ風魔衆が活躍する吉原を舞台にしようと。吉原というとなぜか江戸初期ものが多いんですよ。その時代は殆ど知らなかったので難しかったですたんですよね。幕末はけっこう読者も受けするし、いっぱいゲストも出せます。ネットでも、吉原の幕末ものはそれまでなかったから、面白いと評価されていました。
人気は悪くなかったんだけど、編集部はあまり続けることに乗り気でなかったんですよね。
そこでゴラクに持っていって、不定期に連載することになりました。これが『廓ノ幻 』。この作品で初めて原作デビューをしました。40歳です。
原作デビューの連載が決まった時は、広島で講師をしていた
──集英社ではないですが『廓ノ幻 』で認められたわけですね。
平松伸二先生もゴラクに行きましたしね。にわのまこと先生もそう。なぜか、みんなジャンプにバイバイすると、ゴラクに行ってた。そこで俺らも例に習ってと、ゴラクに行きました。
『廓ノ幻 』が決まった時、実は俺、専門学校の講師として広島にいました。産まれて初めて、就職したんです。
──シナリオを教えたんですか?
漫画原作やキャラクターの作り方、Photoshopなどを教えていました。そこでリモートでゴラク掲載の原作をしていました。授業が終わったら、ずっと今野さんと打ち合わせをしていました。
その頃、『龍帝』の構想は既にありました。今野さんと立てた企画を漫画サンデーの編集長に見せたら、コミックス1巻は出すという契約をすることになりました。コミックス1巻出るための連載は10話分です。その10話が終わった時、さあなんて言われたでしょうか。
漫画サンデー休刊!
──えー!次々に来ますね……。
第一部が終わって第二部どうしようかと構想を練っている時に、休刊の話が来たんです。紙のものが売れない時期だから仕方ないんですけどね。
この『龍帝』だけは絶対に映画化すると心に決めた
──『龍帝』は続きますよね?
『龍帝』を描いていた時に、俺の最後の作品になるなと思って、この『龍帝』は絶対に映画化すると決めたんです。
まさにそんな時に、広島から戻ってきて講師をしていた専門学校で自主制作映画の課題があったので、そこで『龍帝』を提供しました。
で、学生だけを使ってもうまくいかないだろうなと思ったので、おじさんヤクザに講師を使おうと考えました。講師に漫画家の御茶漬海苔先生がいたんですよ。それで御茶漬海苔先生を通じて、飲み会を開いていました。
そこで、漫画家の先生に俳優として出演してもらおうとなりました。小学校の時から大好きだった平松先生にFacebookで友達申請させていただいて、飲み会をご一緒させていただいたりして仲良くなったところに、専門学校で映画を作っているからとご協力をお願いしたんです。
この専門学校の制作過程で漫画家さんに役者として出てもらうのが面白いと味をしめました。
──専門学校の課題から、自主制作につながったんですか。
映画を作りたいなと思ったんですよ。映画を作る夢は忘れてなかった。こんな風に人を集めればできるなと思ったんですよ。それでその制作発表を浜田ブリトニー先生のおかおかハウスのパーティーでしたところ、藤沢とおる先生も出てくれることになりました。
──ジャンプで読者の憧れである漫画家の先生方が役者として出演なさるという形にしたのは前代未聞だし、スゴいですよね。子供の頃からの夢って夢で終わってしまうことが殆どですが、きちんと夢を叶えていらっしゃる。前例の無いことをするとき、様々なご意見も生まれますよね。
俺に敵対しないで乗っかればいいのにね。叩くやつは敵対なんですよ。どうせ仲間になれないから叩いちまえってなる。乗っかればいいんですよ。
自主制作をやって、俳優になる夢も叶えて味を占めたので、『龍帝』シリーズは俺のライフワークとして、漫画サンデー休刊の為に連載できないままでいた第二部をやろうと思いました。漫画は絵を描かなければできないけれど、絵の部分を俳優に演じてもらおうと。
そして、いい話にするならば、俺のように世に出られなかった若い人にチャンスを与える場にできたらなと思ってます。そういう大義名分がありつつ、自分が目立てばいいなと(笑)。
──宇宙刑事ギャバンとシャリバンをキャスティングしていて、ジライヤも参加されていますよね。こんな企画、なかなかできることではありません。
あくまで自分たちの趣味の延長線でやりたい、飲み会の延長線上でやるという名目なんでね。これが仕事だったらこうはいかないですよ。
──とはいえ、DVD化してTSUTAYAなどに並んでいますよね。
おかげさまで、『龍帝』と『HONEY SCOOPER』がね。
──シリーズは今、何作目ですか。
今、撮っている作品で6作目ですね。これはもうすぐクランクアップで、ラストの立ち回りとちょっとしたシーンの撮影がまだ残ってはいますが。
完成と公開は、2020年に俺たちはぎりぎり見られるかもしれないけれど、世間の人は2021年に見られるかなというくらいの時期です。劇場公開、お楽しみに。
──たくさんの夢を現実にされてきていますが、今後の挑戦はまだおありですか?
千葉真一さんと舘ひろしさんはいつか映画に共演していただきたいですね(笑)。
──ありがとうございました。
インタビュー:アレス ライター:久世薫 映像:株式会社グランツ
市原剛監督作品最新作『龍帝外伝《第一章》DIRTY HAWK』
詳細は下記オフィシャルサイトにて!https://ryuteigaiden.themedia.jp/
◆プロフィール 市原剛(いちはら たけし)
映画・テレビドラマ助監督を経て、集英社「MJ少年漫画原作大賞」1993年度奨励賞、1994年度準入選受賞。1998年、『ダブル・ハード』(集英社)の原案協力として連載デビュー。以後、集英社をメインに日本文芸社、実業之日本社、小学館で漫画原作者として活動。2016年劇場公開の『龍帝-DRAGON EMPEROR-』で念願の長編映画監督デビューを果たす。代表作は他に『RUNNING CHASER』(集英社)、『廓ノ幻』(日本文芸社)、『龍帝』(実業之日本社)、『幕末ノ影』、『ANGEL DAGGER』、『LADY SCOOPER』(小学館)などがある。