中学生で週刊ジャンプに初入選。高校卒業と同時に漫画一筋の人生を走ってきた人気漫画家の平松伸二先生にインタビュー。数々の人気漫画を生み出し、自伝的漫画『そしてボクは外道マンになる』でも描かれた漫画家人生について伺いました。
外道は生かしちゃおかねぇ!
『外道マン』現実に存在する編集と作家の関係
──経験を重ねて連載デビューにつながっていくわけですが、『ドーベルマン刑事』の原作を受け取られて、いかがでしたか。
当時はあまり意識していなかったんですが、今考えると、勧善懲悪というのが、自分に合ってたんです。武論尊さんが考えた『ドーベルマン刑事』ももちろん勧善懲悪なんですが、自分もノッて描くことができました。肌に合ってたんでしょうね。
──それは編集さんが「これが合う」と考えられたんですか?
いや、後藤さんはそこまで考える人じゃないですね!(笑) あの人は僕と同じ、直感的なタイプ。武論尊さんの原作が面白かったのは事実で、これなら連載できるってのはあったと思いますが。平松が勧善懲悪に合ってるとかそこまでは考えてなかったと思います。後藤さんからしてみれば、岡山のド田舎から東京に連れてきたっていう責任があるので、こいつをなんとかモノにしてやんないとって思うじゃないですか。僕をなんとかしてやろうという親心で、原作を渡してくれたんだと思います。
──『外道マン』では編集さんとのやりとりを始め、かなり激しい描写もありましたが、それはやはり面白さの追求でしょうか。
そうですね、普通に優しい編集を描いて面白くできる漫画家さんもいるでしょうけれど、僕はやっぱりハッタリが必要な漫画家なんで。ただ叱られたりするだけじゃつまんない。殴られたりする方が僕の漫画らしいでしょう。
──オーバーな表現はありつつも、当時の編集部って、実際あんな感じだったのでは? とも言われています。現実は根っこには信頼関係があったんですね。
まあそうですね。でも後藤さんに言われた「原作付きの漫画を描いている限り、俺はお前を認めない」っていう言葉は、あれから『マーダーライセンス牙』が終わるまで、20年弱は縛られていました。
──ボコボコにされていて、本当にあったのかなという描写もありますね。
歌舞伎町ですね。あれはもちろん嘘です。歌舞伎町にいって仮にボコボコにされたら許しませんよ。許すわけないそんな奴(笑)。
──刑務所の殺人鬼取材というのは…
あれも嘘です(笑)。やられたらやり返します。倍返しですよ。
──奥様とのエピソードも描かれていますよね。
自伝漫画を描く、と言った時、自分のことは一切出さないで欲しいと言われているんですよ。「私のことは絶対出しちゃだめ」って。じゃあ「わかった。俺は結婚するけれど、高校時代好きだった子と結婚するから」と(笑)。
──まさかの別人モデルなんですか!
そう、高校時代好きだった子がモデルのキャラで、完全にフィクションです。
反骨心から走り抜けた漫画一筋の人生
──後藤さんからの一言が、大分印象に残っていらっしゃるようです。
あの言葉は本当に引っ張りました。だいたい「お前が認めないって言うのか? お前が認めてわざわざ岡山のド田舎まで来たんだろうが」って話ですけどね。当時は素直な人間だったんで、そうか、原作つきの漫画じゃダメなのかって。今なら反論できますよ!『巨人の星』や『あしたのジョー』も原作あるじゃないか!って。ちば先生や川崎先生はどうなるんですか!って言えますけど(笑)。
──原作付きで連載されていて、オリジナルに立ち戻ったとき、あらためて話を作ることへの意識などに変化はありましたか。
というか、あの言葉を言われてから、『ドーベルマン刑事』を描きながら、オリジナルの読み切りはバンバン描いてました。反骨心ですね。
──ハードと言われる週刊連載の合間に読み切りも描かれていたんですか!?
ハードですよ。普通週刊連載って20ページ弱ですが、『ドーベルマン刑事』は1話完結・大増ページで、31ページ描いてました。毎週31ページやっていて、これで認めなければどうだって。しかも新人でまだ2~3年なのに。週刊で31ページ。読み切りも描いて。それでもお前を認めないって、今でもこのやろうって思いますよ。あ、思い出すと腹が立ってきた(笑)。
──発言の真意をご本人に聞かれたことってあるんですか?
ないですね。僕、基本的に喧嘩嫌いなんですよ。漫画は喧嘩いっぱいしてますけど、人間関係は基本和やかにしたいタイプなんで、喧嘩したくないんです。だから後藤さんに向かって「当時はよくも言ってくれましたね」なんて言わないですよ。今65歳ですが、未だに漫画を描いているのは、後藤さんの一言があったからだと思っています。
──編集者としては成功だったということですよね。
僕にとって一番優秀な編集者は誰だといったら、後藤さんしかないですよね。その言葉で未だに僕は描いているんだから。
──『外道マン』の続きを待ち望んでいる漫画ファンは多いと思います
だって単行本買ってくれないんだもん。しょうがないですよ。いくら本人が面白いと思ってやりたくても、人気アンケートや単行本が売れないっていうものは、結果が出てるんで。それはしょうがない。客観的にみたら。
誰もが納得する評価とは売れること
──客観性を持つことは、漫画にとってプラスになりますか。
うーん、なんというか。売れなくてもいいから漫画さえ描ければいいという漫画家さんもいると思うんですよ。でも僕はそれは嫌なんです。読者が認めて、買ってくれて、売れなきゃやっぱりだめですよ。面白い漫画やスゲー漫画、発想がスゴい、漫画の評価って色々あると思うんですけど、それって全部読者の主観なんですよ。それだから100人読者がいれば、価値観が全部違うんで、評価が難しい。でも「売れる売れない」って結果で、これは客観的な事実なんです。ちゃんと客観的な事実なんで、仮にどんな漫画が凄いんですかって聞かれたら、それは「売れる漫画」です。これはもう単行本が何千万部売れたという「事実」で、誰が主観的な反論をしようが、客観的な事実は翻らない。「売れること」は僕は一番スゴい漫画だと思います。
──確かにそれは誰がみても分かりやすい「結果」の1つですね。
でも今流行っているものと同じような漫画を僕が描こうとは思いませんよ。真似しようったって僕には僕に合った漫画があるわけで。例えばラブコメが流行っているからって僕が描こうとしても、そこに僕が入っていってかなうわけがない。僕には僕に合った漫画がある。僕で言えば勧善懲悪と決まっているので。
──ご自分の考える「向いた作品」が「売れ筋」から外れたら、と考えられた事はありますか?
地上波から時代劇が消えたり、自分が面白いと思ったものが世の中の中心から追いやられているのは随分前から感じています。どんどん脇にやられて、僕がやっている勧善懲悪がまったく受け入れられなくなったら、漫画家をやめるしかないですよね。
今、時代劇の「コミック乱」で、『ブラック・エンジェルズ』の時代劇版『大江戸ブラック・エンジェルズ』というのをやっています。来年になったらまとまって単行本が出ると思うんですが、これが売れなかったらヤバいですね!
──時代劇でいこうと思った理由はなんでしょう。
実は、『ブラック・エンジェルズ』がテレビの必殺仕事人シリーズからヒントを得た作品なんです。じゃあ先祖返りで時代劇版をやってみようか、と。
ただ江戸時代といっても260年あるんですよ。そのどの時代にしようかとは考えた時は決まっていませんでした。最初は忠臣蔵の時代か元禄時代にしようかって思って調べていたんですが、浮世絵の東洲斎写楽が引っかかってきた。東洲斎写楽は1794-95年の10ヶ月しか活躍していないんですよ。一番有力な説は阿波藩の能楽師ではあるんですけど、生年月日もどこの誰だかもわからない人で。それで雪籐を東洲斎写楽にしたら面白いんじゃないかと思って、1790年末という時代にしたんです。勧善懲悪の縦軸に、浮世絵という横軸を加えて。
これから他のメンバーたちも、江戸時代に移って違う役で出てくる予定です。『ブラック・エンジェルズ』読者にも、面白いんじゃないかと思います。
──今後の展望について伺えますか。
まずは『大江戸ブラック・エンジェルズ』を成功させること。これしかないです。成功とは、イコール『売れる』です。
インタビュー:Wahsy ライター:久世薫
平松伸二氏 プロフィール:
1971年『勝負』が「週刊少年ジャンプ」月例新人賞佳作となり、同作でデビュー。
1975年『ドーベルマン刑事』の連載を開始。数度の映像化もされる人気作となる。
以降『リッキー台風』『ブラックエンジェルズ』『マーダーライセンス牙』『どす恋ジゴロ』『外道坊』など、法で裁けぬ悪党・外道を徹底的に叩き潰す「勧善懲悪」物語や、自身も観戦が趣味だという「格闘技」漫画を中心に作品を発表。
2016年『そしてボクは外道マンになる』を連載。「このマンガがすごい!オトコ編」月間ランキングに1巻、2巻が連続でランクインするなど話題になる。
執筆活動と平行し、自身のイラストに書を融合させた作品を「漫書」と名付けて発表。それら作品は、不定期に行われる展示、及び、ECサイトから購入可能となっている。
現在「コミック乱」(リイド社)にて、『大江戸ブラック・エンジェルズ』を連載中。