ダメ元で頼んだ講演会
必要とされ続ける幸福
上場という今後の目標
今回登場するスゴい人は数々の顧問役を担い、1日7社以上、年間1000人の経営者に会い続けるスゴい人!
実は何名ものスゴい人を、日刊スゴい人にもご紹介くださっている方でもある。
新卒で証券会社に入社し、モノづくりの会社へ転職後、損保会社へ。
20年ほど働いた損保会社を退職し、50歳で独立し、代表世話人株式会社を設立。
サラリーマン時代からサラリーマンとは思えない活動範囲と人脈を持っていた。
幼少期からこれまでに如何にして信頼を得て、多くの経営者から慕われる男になったのだろうか!?
きっとそこには人脈術が隠されていた。
さあ…
代表世話人株式会社
代表取締役 杉浦 佳浩様の登場です!
営業の英才教育
父は親戚と作ったお菓子屋さんなどの陳列ショーケースを製作する会社で専務として営業全般を担当していました。
5歳くらいの時から「お菓子をもらえるよ」と言われ、父と一緒に取引先回りをしていたのを覚えています。
頭を撫でられ喜ぶとお菓子がもらえるんです(笑)
子どもながらに相手が心を開く瞬間を感じていました。
父の後ろ姿を通じて人間関係の重要さについて学んだと思います。
今でも営業においては父を超えられないと思っています。
バックパッカー経験から海外へ
海外で仕事をしたい、そして金融に憧れもあり証券会社に勤めました。
海外に興味をもったきっかけは高校生の時、父に勧められ読んだ五味川純平さんの『人間の条件』という本の影響です。
本に書かれた盧溝橋に行きたくなり、大阪発、上海行の船の旅。
奮発して乗った寝台列車で隣の席になった中国駐在のトヨタの方から「海外で仕事をするのは良いよ」と聞いたのは強い後押しになりましたね。
盧溝橋では日本人だからと石を投げられました。
ヨーロッパから船でアフリカに渡ったこともありました。
34~35年前なので、当時には珍しいバックパッカーでした。
経験した2度の転職
証券会社の配属面接をすっ飛ばしてスペイン旅行に。
スペインから絵葉書で東京希望と伝えたら、配属が鹿児島市になりました(笑)
がっかりしたものの、鹿児島の歴史文化も含めて勉強できたのは良かったです。
日経平均35,000円くらいの時に辞表を出し、次はモノづくりをしたいなと当時どこでも受かる証券マンすら難関と言われたキーエンスを受けました。
2部から1部上場といういい時期でしたが、配属先は本社大阪ではなく埼玉でした。
顧問役へ繋がるきっかけ
27歳の時に大阪で仕事がしたくて、損保会社へ転職。
基本的に就いた仕事は一生懸命しますが、仕事の中身に関して拘りはなかったです。
3年ぐらい経つと、不動産ベンチャーから専務のポストでオファーを頂きました。
周りに相談してみると「もうちょっと続けてみたら?」と言われ、気づけば20年以上勤務していました(笑)
ただ仕事をする上で保険命になるのは嫌で、違う業界の方とも交流を始めたのです。
すると本業以外の話をした方が喜ばれ、上場会社の経営課題を聞いて解決した方が最終的に仕事に繋がると気づいたのです。
こうして付き合いを広げているうちに、杉浦に課題を投げたらタダでやってくれる、という噂が広がって行きました。
それが加速して、当時仲良くしていた人が今でも活動を支えてくれています。
先生を知り、25年越しの出会い
人生の中で震えるような気持ちになったのは大阿闍梨・酒井雄哉先生の話をラジオで聞いた時、高校1年生でした。
当時、千日回峰行に2回目の挑戦中だったと思います。
会ってみたいスゴい人だったのですが、25年くらい忘れていました。
40歳ぐらいの時にある方から仕事のお礼をしたいと言われたのですが、もちろん金銭は頂けない。
その方と話していると、偶然に大阿闍梨に会いたかった事を思い出し、その方が大阿闍梨とは仲が良いから「会わせるから一筆書いてもらいなよ」と言うんです。
当日、襖の前に座り「お願いします」と声を掛けるのです。
声を聞いて「帰れ!」と言われる人もいると。
私の場合は「15分!」と声がして、結局90分話してもらえました。
お会いした印象はまさに生き仏。
時には優しい女性に、時には厳しい男性にも変化して見えるのが不思議でした。
ダメ元で頼んだ講演会
リーマンショックがあった年に一番難しいことに挑戦しようと思いました。
それは大阿闍梨の講演を組むこと。
苦しんでいる経営者に講演をしてほしいと手紙を送り、再び先生に会いに行きました。
君は何人呼べるのかと言われ、正直に200人と答えました。
先生は笑いながら中国の大学から来た20000人規模の講演依頼の手紙を見せてくれて。
諦めかけたのですが「やったる」と先生が言ってくれたのです。
講演当日、千日回峰行と同様に刀と縄を付けた白装束で来てくださいました。
講演に来た経営者達は感動の涙を流されていました。
たった200名での講演は後にも先にも無いと思います。
そして、人のために尽くせた自分に最高得点を付けることができました。
たった一人のフリーランス
30代までは普通のサラリーマンのような動きでした。
それが退職前の6年9か月間、常務が会社に役立つ事を自由にやって良いと言ってくれたのです。
その時は42歳くらいで、ある拠点のマネージャーでした。
お陰で、仕事が何なのか説明できないくらい自由に動かせてもらいました(笑)
2万人くらいの会社でたった1人だけ、フリーランスでなんだかよくわからない立ち位置、だけどわかってくれる人は応援してくれました。
ある日、会社で倒れてしまい、下血して2週間入院することに。
妻や仲の良い経営者に状況を説明すると独立を勧められ、20年以上お世話になった会社を辞めました。
必要とされ続ける幸福
東京では平均して1日7社くらい訪問、会う人はみんなご縁だと思っています。
目標というより、目指す姿は大阿闍梨みたいな人間力や105歳のサラリーマン福井福太郎さんみたいに生涯現役を貫きたいですね。
97歳で辞表を出して、会社から辞めるなと言われた福井さんのエピソードは人生最大の幸福だと思います。
必要とされる人であり続ければそれが仕事になります。
だからお金や表彰台より、何歳まで必要とされる人であるかに興味があります。
若い起業家にもよく会っていて、僕は彼らのお父さんと同い年くらいなんです。
幼い頃から父親が会社はしんどいものだと言い続けていたから、杉浦さんみたいに楽しむ人がいるとはびっくりした、と言われたりもします(笑)
仕事ってしんどいのが当たり前だけど、そうじゃない人が一人くらいいた方がいいなって。
上場という今後の目標
直近の目標は2つあります。
1つ目は自分が携わった会社、投資した会社が上場すること。
2つ目は自分が上場経験を持つこと。
僕は上場推進派というわけでもないですが、投資家としての上場経験は得たいですね。
この2つができる人はあまりいないからそういうことができたらいいなと。
2つの目標は今、手の届く範囲にあります。
でもやはり残り46年、楽しくやり続けて100歳まで生涯現役ですね。
取材を終えて
杉浦さんは見た目も(笑)、人間力もお地蔵さんみたいに人を優しく包み込む愛がある。
そして、時々鋭い目をするのだが、それがまた魅力的に見える。
きっと、相手の真意を汲み取り、杉浦脳が発動した時なんだと思う。
50歳で安定した地位を捨て、独立に踏み切る事は大抵の人間はできない。
ただ、杉浦さんの歩まれてきた人生を聞かせてもらうと、組織にぶら下がるのではなく杉浦さんを中心に私利私欲を超えた人間関係が土台にあるからこそ、自然と独立の1歩を踏めたのだと思う。
大阿闍梨に当時、書いてもらった書がHPにある。
そして、ご覧になると分かる通りHPには問い合わせ先が一切ない(笑)
ご縁はご紹介者のみである。
ある意味、杉浦さんと会える人は人から信頼されている人しかおらず、運の良い人になる。
超人的なスケジュールを組まれているが、これからもお身体をご自愛されご活躍を期待しています。
プロフィール
杉浦 佳浩(すぎうら よしひろ)
20代の時に2度の転職を経験。
証券会社の鹿児島支店、有名なモノづくりの会社での勤務を経て損保会社に20年ほど勤務するとともに社外の活動も広げる。
損保会社での経験がきっかけで現在は独立し平成27年に代表世話人株式会社を設立。
同社代表取締役として世話人業をスタートする。
数多くの会社の世話人や顧問役を担い、年間1000人以上の経営層に会い、若者起業家への支援もしている。