就職につまずいたからこそ!?
退路を断つ決断の先に見えた道
世界レベルの中で仕事をする
バドミントンがオリンピック競技となったのが1992年バルセロナオリンピックから。
そして、ここ近年は皆様もご存知の通り日本人選手の活躍もめざましく嬉しい限りである。
本日、登場するスゴい人は日本人で初めてオリンピックのストリンガーメンバーに選ばれた人である。ストリンガーとはラケットのストリングが切れてしまった時に選手の要望通りにストリングを張る人である。これまでオリンピックという大舞台で日本人ストリンガーが選ばれる事は無かったが2016年のリオデジャネイロ大会で一人の日本人に白羽の矢が立ったのである。
彼はいかにして世界レベルのストリンガーになれたのだろうか?
さあ…
YONEX STRINGING TEAM/
ラケットショップフジ 商品開発部 広報課課長 中原 健一様の登場です!
バドミントンのきっかけ
東京の小平市で生まれ育ったのですが小学校の頃は少年野球をしていました。
中学に入ると野球部が無かったのです!
一緒に少年野球をやっていた友達がバドミントンも習っていたので彼に誘われバドミントン部に入部し中学で初めてラケットを手にしました。実は小平には小平ジュニアクラブという全国大会でも活躍するようなバドミントンのトップジュニアチームがあるのです。
友達はその小平ジュニアクラブに所属していたのです。
自然と仲間のストリングも張りだす
ストリングが切れたらお店で張ってもらうのですが幼いながらに自分でも張ってみたいと興味を持ったのがスタートです。
中学2年の終わりぐらいには自分で道具を揃えて手張りしていました。
高校はバドミントンの強豪校に進みました。
学校にはお店にあるのと同じストリングを張る機械があったので友達や先輩のストリングも自然と張るようになっていました。
お店に出すとお金もかかるし自分で張るのは面倒なので自然と私の所に張る依頼が増えていった感じです(笑)
今振り返ると人をサポートすることが元々、好きだったのかと思います。
就職につまずいたからこそ!?
勉強も苦手でスポーツ中心に生活をしてきたので大学に行く気は最初からありませんでした。学校側からは、これだけバドミントンをやってきたのだから関東近郊じゃなく地方なら入れる大学もあると言われたのですが親も大学には行かなくても良いという感じでしたので就職の道を選びました。バドミントン関係の仕事に就きたいと思っており、バドミントン部の顧問が何名もの卒業生をYONEXさんへ就職させているのでYONEXさんを受けました。顧問の紹介で過去誰一人不合格者はいないと聞いて受験したのですが不合格!
普通に面接を受けたのですが顧問には「お前みたいなのは初めてだ(笑)」と言われる始末。
心にポカンと穴が空いてしまいそれから、就職活動も含め何もやる気が起きず。
時間を持て余していたので地元、小平ジュニアクラブに何かお手伝いできないかと
ボランティアのつもりで週3回程通い出しました。
お手伝いをしていると、ジュニアクラブのコーチをされていた方に現在の社長である渡辺社長を紹介して頂き就職のお話を頂く形となりました。
子供の頃から通っていたラケットショップフジは先代の会長が小平ジュニアクラブを立ち上げていたのです。
このご縁でラケットショップフジに入社する事になりました。
4月、5月、6月は新入社員が入る季節なのでストリングを張る仕事が膨大にある時期。
会社で多少のレクチャーを受け一般社員さんと変わりなくストリング張りをしたのが最初の仕事です。
YONEXストリンギングチーム発足
オリンピックで日本人選手が上位に入る様になりメディアにも取り上げられると共に
競技人口も急激に増えてゆきました。テニスにはプロストリンガーというプロ組織があるのですがバドミントンにおいてはプロストリンガーという組織はなくトップ選手でさえ下手したら自分で張っている状況です。そんな背景がありYONEXさんが2000年の初め頃にYONEXストリンギングチームを立ち上げたのです。私の高校の大先輩がたまたまYONEXストリンギングチームのリーダーで「サポートしてくれないか」とお声がけを頂いたので、社長に相談し弊社から数人出入りするようになりました。
退路を断つ決断の先に見えた道
国際大会や全日本総合選手権に関してはYONEXさんからお声がけを頂き、年2〜3大会
ストリンガーとしてサポートしていました。日々の仕事は色々なクラブチームに足を運びコーチングレッスンがメインでした。コーチングレッスンが嫌だったわけではないのですが、ストリンガーの仕事もして行きたいと思い社長に相談をしたのが2013年。
具体的な仕事のルートがあるわけではなく、ぼんやりとナショナルチームのサポートなどして行きたいと社長に相談したのです。そしたら会社の中で起業して新しい部署を立ち上げれば良いと背中を押してくれたのです。辞めなくても会社に属しながらでも出来るだろうって。その後、知り合いを通じて日本代表の状況をリサーチするとオフィシャルで契約しているストリンガーも存在していなく是非お願いしたいと。そして日本バドミントン協会とラケットショップフジの中原がストリンガー契約を結ぶことになりました。
日本国内でストリンガーとして個人契約したのは私が初です。プロのストリンガーの立場は確立していないので収入面においても会社に所属しながら契約出来たことは社長に感謝しています。
世界レベルの中で仕事をする
YONEXさんがリオオリンピックでもオフィシャルサプライヤーでして、ストリングサービスを出されるという事でお話がありこれまでの実績を認められ声を掛けて頂けました。世界中から集まったストリンガーチームのメンバーの中には憧れの人が何人もいました。色んなトップストリンガーさんとお話をさせて頂き、どれだけ選手の要望に答えられるかのノウハウと知識、技術を学ぶことが出来ました。トッププロ選手のストリングはメーカーが保証している数字以上の強さで張る事もあります。従ってラケットにかかる面圧は相当で少し接触しただけでもラケットが折れてしまう状態なのです。
プロのストリンガーはラケットを折らずに選手の要望した数字で張り上げられるかが腕の見せ所です。私もストリンガーになりたての頃は年に数本折ってしまうこともありましたが今は要望通りの数字を折らずに張れる様になりました。
日本のバドミントン業界への貢献
ラケットは常に進化しており30年前と比べたら天と地ほど違います。
ただ、30年前と同じ教え方をしているコーチもまだ沢山います。
ラケットの特徴を理解し振り方、打ち方、あと一番大切なのは体の使い方!
ラケットを持っている方と持っていない方、それぞれの役割があり、上半身、下半身の使い方などを体全体の使い方を最初に説明し、メニューを組み立てレッスンします。
ラケットショップフジでは全社員が同じストリンガー技術を保有し、お客様へのコーチングレッスンも科学的にお伝えできるよう常に知識を学び技術力を磨いております。
まだまだ伸びしろのあるバドミントン業界ですが自分も更に努力し多くの人に正しい情報をお伝えし、東京オリンピックそして次のオリンピックでもストリンガーとしてサポートして行きたいです。
取材を終えて
近年、日本人選手が活躍されている裏には中原さんの様な職人がいるのだと初めて知った。
テニス業界に比べるとバドミントン業界はまだまだ改善してゆく所が多いと言うが、
中学でバドミントンに出会い、ストリンガーとして常に研究を重ねてきた中原さんのサポート愛が日本のバドミントン業界を裏側から改善しているのだと感じた。
ゴルフクラブのシャフトを修理するクラフトマンが常に選手に寄り添うようにバドミントン選手とストリンガーの役割を作り上げてゆきたいと話されていた。取材後、タイで行われる世界大会に行くのだが、もしかしたら歴史的瞬間に立ち会えるかもしれないと話されていたが、その言葉とおり、バドミントン団体世界一を決める国・地域別対抗戦の女子ユーバー杯で37年ぶりに日本は世界一となった。中原さんが張り上げたラケットで日本チームは世界一を勝ち取った!
プロフィール
ラケットショップフジHP
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