日本で唯一の製硯師として活躍するスゴい人!

何にも代えがたい仕事

山に足を運ぶ意味

個展を通じて伝えたい「本質」

本日登場するスゴい人は、日本で唯一「製硯師(せいけんし)」を名乗るスゴい人。
東京・浅草にある書道用具店「宝研堂」の四代目として、硯(すずり)を製作している。
硯というと、墨を磨り、溜める道具と思っている方が多いのではないだろうか。
もちろんそうであるが、そうでない側面、例えば鑑賞対象としての側面も持つ。
彼が製硯師として大切にする考えとは…?

さあ…
株式会社宝研堂 
製硯師 青栁 貴史様の登場です!

祖父と父の背中を見て

小さい頃から、工房に来ると祖父と父が彫っていて、自分も同じ仕事をするのだと感じていました。
祖父も父も尊敬していますし、二人が好きだったからでしょう。
ひたむきに仕事をしている姿は素敵でしたよ。
周りから「腕の良いおじいさんだったよ」と言われると嬉しく、励みになりました。
父も、祖父も、自然的本質と技術的本質のどちらも妥協しない人でした。
妥協しない心を作っていくのは自分なので、何を言われたというわけではなく、二人の行動や、作られた硯から気付かせてもらいました。

何にも代えがたい仕事

好きなことをしているので、仕事をつらいと感じることはありません。
7年前に頭の中に腫瘍が見つかって手術をしたのですが、その時、手術方法の決断を迫られました。
一つは耳を切る方法で、顔面に麻痺が出る可能性があり、もう一つは頭の後ろを切る方法で、右半身に麻痺が出る可能性がある。
前者に即決しました。
顔が麻痺しても、手足が動けば仕事をできますから。
幸い、今は大きな後遺症もありませんが、あの時の決断から、自分の中で仕事が何にも代えがたいものだと実感しました。

北海道で初の採石

一番印象に残っている日は、北海道で石を見つけた日。
これまで、北海道からはずっと硯用の石材は出ていませんでしたが、ラジオで聞いた情報から北海道でも採れるかもしれないと思い、調査を始めました。
地元の営林課や地質学研究所の方に協力いただき、当てをつけて山に入ったら、出たんですよ、硯用の石が。
墨を磨れるし、きちんと摩擦が起きるための小さな突起である「鋒鋩」を確認できたんです。
その日は本当に嬉しくて、石と一緒にお風呂に入ったし、枕元に置いて眠りました。
これは僕個人のことではなく、日本の出来事をたまたま僕が見つけただけです。
だから、北海道から硯用の石が出たことがどんなことなのか、なぜ今まで採掘されなかったのか、こうした記録を皆さんにお伝えしていきたいと思っています。

山に足を運ぶ意味

採石をしているのは、どんな石が採れるのか知りたい、その石の特性を理解したいからです。
一面に対して何か月もかかるものを請け負ったり、文化財の修復や、ものすごく難しい硯のレプリカを作ること、ある時代に作られていた硯と同じようなものを欲しいという要望には、その時の石の特徴、彫りの特徴、ムードなどを自分たちの手で表現するため、文化を理解しないといけないんです。
硯を見て多くの情報を引き出せるようにならないと、見てくれだけ近いものになってしまいます。
青栁派はそれではいけないんです。
祖父と父の考え方を突き詰めていったら、自分はそこに行きつきました。
目的はここに至る経緯のすべてを再現することで、結果的に同じ形になると思うんです。
自分はその当時の職人になりきって作ります。
色々な山に足を運ぶことの重要性がここに出てくるのかな。
そうしないとできないと僕は思っていますし、色々な石を知らないと、色々な情報をそこから引き出せないので、大事にしたいんですよね。

製硯師の仕事

硯づくりの中で、曲げてはいけないと思う心柱があります。
製硯師は卓越した技術で硯を作れるかもしれないけれど、それは技術的なことです。
山から採れた天然石が、何かしらの用途で硯になる必要があるから、調理台の上に置いて、何かを施すわけです。
色々なご要望もあるかもしれないけれど、自分は石が硯に変わる瞬間を迎えるまでの、ほんのわずかの時間に立ち会っているだけの人だと、いつも思っています。
石は何億年という時間をかけて、地球が作ってくれたもの。
その命を自分が絶つようなことはおかしいと思うんです。
ずっと石であり続ける本質は変わらず、ちょっと形が変わるだけですよね。
山々や自然の表情を殺さないつくりを徹底することが、自分たちが石に刃物を入れさせていただくときの、せめてもの自然に対する敬意かもしれないですね。

個展を通じて伝えたい「本質」

昔はね、ひどかったですよ。
素敵な硯にするためなら、どんどん切りました。
欠けている所があったら完璧ではないと思うから、落とさないといけない。
縦が3ミリ減ったら絶対比が変わるので、横も落とさないといけない。
そうすると、体積にして12%くらい減って、削ったものはみんな燃えないゴミです。
今思うと、すごく自然物を理解できていなかったなぁって。
もちろん、今も天然の肌が一切露出していない状態の硯を作る時には切るしかないので切りますが、端材がうんと少なく済むようにします。
そして、その端材も文鎮として使います。
昔はとにかく彫刻を勉強しましたし、昔の硯の本をよく見て、夜な夜な工房で本当によく彫りました。
技術が上がるのは素晴らしいことですが、技術と一緒に本質も守っていく必要があります。
今度の個展に出す硯を選んでいて、最初に作った四角い硯は、技術的に見せられる硯ではあるんですけど、全くもって冷たい表情なんです。
磨りやすいし、石紋もきれいだし、整っているんですけど、美しくないですね。
硯としての本質が欠けている。
だから選びませんでした。
今回の個展は超絶技術を見せるものではなく、僕が20年間やってきて、培って、気づいた硯の魅力を発表することができたら、今まで知らなかった硯の魅力に気づいてもらえるんじゃないかと思っています。
技術では祖父から継承したこと、本質では山々からいただいた情報を伝えることができれば、技術と本質の両方をお伝えできると思っています。

文化を豊かに耕す

筆文字に対して、今の日本の人たちはすごくハードルが高いですね。
毛筆を持ったら楷書を書かないといけないと思っている人が多いですが、毛筆を書くのは、書道の作品を作るのとは違いますから。
だから、臆さずに筆記用具として、どんどん楽しんでいってほしいんです。
今は筆文字文化の土壌がカチカチなので、上手じゃなくていい、みんなで手紙のやり取りしようよって。
文化の土壌にみんなで鍬を入れ始めたら少しずつふかふかになって、文化の畑が耕されていけば、書道をもう一度習いに行こうかなという人もいるかもしれないし、そこで初めて硯を探したいという人が出てきたりするものだと思うので。
社会が反応して、OLが自分のデスクに筆一本持ち始めたら大した社会現象です。
OLの机の中に一個硯の石ころが入っていたら…夢です。いいですよ。
きっと硯は皆さんが思っているよりも色々なものを与えてくれる。
毛筆はもっと与えてくれますね。
与えられるし、誰かにそれを伝えられるものが毛筆だと思います。

取材を終えて

技術面でのお話を聞かせていただくのかと思っていたら、「石?山??」という感じで、はじめは驚きましたが、お話を聞くうちに石を大切にする理由や思い、なぜ山に入るのかがわかりました。
今までは道具として見ていた硯への見方が変わるお話でした。
北海道での採石の話をしている時の表情があまりにも嬉しそうで、幸せそうで、石を見つめる眼差しが愛おしそうなのが印象的でした。
ご自身で「こじらせている」と仰っていましたが、採石で山に入るために普段から身体づくりをされているのには驚きました(笑)
OLの机に筆と硯…早速置いてみたものの、なかなか仕事中には使えず、まずは万年毛筆を使い始めましたが、文字を書くのにいつもよりわくわくします。
気になる方はぜひお試しを!
個展ではどんな作品が並ぶのか、とても楽しみです!

プロフィール

青柳 貴史(あおやぎ・たかし) 製硯師

◆青栁派の硯展
2018年2月20日(火)~3月5日(月) 11時~19時
会場:蔵前MIRROR シエロイリオ3F EAST ギャラリー(東京都台東区蔵前2-15-5)
http://houkendo.co.jp/suzuriten/

◆書籍『製硯師』(天来書院) 2月20日発売!
http://amzn.to/2rRE1T6

◆宝研堂
http://houkendo.co.jp/

1979年2月8日 東京都浅草生まれ
16歳の頃より祖父青栁保男、父彰男に作硯を師事。
日本、中国、各地石材を用いた硯の製作、修理、復元を行う。
宝研堂内硯工房四代目製硯師 大東文化大学文学部書道学科非常勤講師

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