在籍者16000人超!「メシが食える大人を育てる」花まる学習会を生み出したスゴい人!

予備校講師時代に気づいた大問題

大赤字でもうまくいくことを信じて疑わなかった

泥臭いことにこそ鍵がある

本日登場するスゴい人は、これまでにない自立と魅力を目指した学習塾「花まる学習会」を生み出したスゴい人!
「幼児の特性」を活かした授業スタイル、思考の壁を乗り越える「算数脳」、親も学ぶ「講演会」、1日1ページの「積み重ね」、「遊びきる」実体験によって子どもを育てる。
1993年に25名で始まり、現在では11都道府県、140ヶ所、336教室を展開。
在籍者は16,000名を超える。
更に、花まる学習会で効果のあった方法論を、公教育で活かしてほしいと考え、公立小学校への支援を続けている。
花まる学習会はどのようにして生まれたのか。

さあ…
花まる学習会
代表 高濱 正伸様の登場です!

予備校講師時代に気づいた大問題

予備校で大学受験生を教えていた頃に、将来メシ食えないんじゃないかなぁというやつがいっぱいいたんです。
大学に通すことはできますが、社会は甘くないから、講師室で「あのクラスはメシ食えないんじゃないですかね」と言うと、「高濱君、いいんだよ余計な事は考えなくて。我々は通すことが仕事だから」と割り切るような考え方でした。
また医者の友達にその話をすると、あっさり「医者はみんな知っているよ、学校の先生も頑張っているけれど、生命力が育っていないんだ」と。
これは大問題だと思いました。

幼稚園を借りて25名からスタート

川口市で幼稚園をしている方に、「僕、メシが食えない問題をどうにかしたいんです」と言うと「やりなさい。今時そんなことまで考えている人いないし、顔に気骨が出ているわ」と言われて(笑)
幼稚園を貸してくれて、幼稚園の卒園生から生徒も集めてくれて、スタートしました。
当時はだいぶ遠く感じましたが、公教育にまで影響を与えて、メシが食える教育に変えようという想いはありました。
学校は箱を作っているだけで、塾は試験に通すだけ。
そうではなく本質的なことをやるとしたら、まず塾でやって、認められたら学校にも入れられるかなと思って、塾を始めました。
始めたら好評で、近隣の幼稚園のお母さんから「こっちでもやって」と言われて、お母さんたちが生徒も集めてくれて広がりました。

三浪四留の間に気づき得たもの

実は三浪四留していて、人より7年遅れて大学を出て、院まで行ったので31歳まで学生だったんです。
学生とは名ばかりで遊び惚けていたのですが、海外放浪や、競馬、競輪、落語、本、映画と、色々なことに熱中しているうちに20代が過ぎました。
その中に哲学の時代が1年くらいあって、生きるって何だろう、仕事って何だ、家族って必要か、友達って何だと考えて…その時点で実はもう答えが出ていたんですよね。
音楽か子ども相手の仕事だったら、絶対に一生満喫して、最後に楽しかったと言って死ねると。
そういう伏線がいくつもありました。
最初は仮説から始めました。
全学年を教えてきて、小学校低学年までに学習への心理的な型はほぼ決まってしまうと気付きました。
「算数が苦手」という5年生に立体を教えても全然伸びないけれど、1年生だと少しおもしろさを伝えただけでどんどん変わっていくので、その間のどこかに境界があると思って。
おかげさまで今は幼児期が重要だとエビデンスも出て、僕がずっとやっていたことが認められました。
その小さい頃に親の考えを変え、野外体験をいっぱいさせ、人間関係で揉まれる体験をさせること。
そして思考力をつけようというのが答えでした。
まず予備校の先生や、大学受験を教えている先生たちから反応をもらいました。
本を読んでわざわざお手紙をくれる人がいたり、東大の市川伸一先生が「次の時代の教育はこれだ」と言ってくれて、後押ししてくれました。

大赤字でもうまくいくことを信じて疑わなかった

経営面では、最初の3~4年は大赤字でした。
学生に毛の生えたような人間だから、金勘定ができていなくて。
赤字が積み重なって、最初にお金を出してくれた人にも「泣いて謝れば今すぐ辞めたって良いぞ」と言われ続けていました。
でも金よりも、先々を考えたら『なぞぺー』みたいな誰もやっていないものは上手く行くに決まっていると思っていて。
おめでたいやつだったんです。
ただ、マネタイズは逃げちゃいけないんですよね。
泥臭いし、客商売って甘くないし。
そこは、今の若者たちにも伝えていますよ。

組織の拡大により訪れた課題

つらいことを強いて言うなら今、大企業病に直面していることです。
昔、みんなで寝ずにやっていた時は結構楽しくて、つらくもなく、明日を夢見て頑張っていました。
お金もないし、株式を買い取った時は1億円くらい借金しましたが、絶対にうまくいくと思っていて、何も困りませんでした。
どの組織も一度は通るんですが、今は大企業病で当事者意識が薄くなり、待遇に目が行っちゃう時代が来ています。
せっかく来てくれた若者が、生き生きと働き続けてくれるための仕組みづくりは、今の課題ですね。勉強しています。
お金がなくても、生徒数が減っても、超強気なまま来ちゃったので。
サマースクールでケガがあった時も誰も辞めなかったし、その子のお父さんがわざわざ「サマーだけはやめないでください」と来てくれて、そういう応援のおかげで今まであるんです。
本当の意味ですごくつらかったことは、ただの一度もないですね。
ずっと楽しかったです。

世間が怖い子どもだった

自分のことだったら、絶対いつも幸せです。
ただ、実は小さい頃は指しゃぶりやおねしょをして、世間が怖いようなところがありました。
おやじから「かわいがり方がわからなかった」と50歳過ぎてから言われたんですが、今分析すると父親との関係が原因かなと。
母親の愛は信じていたので、それが支えになりました。
子どもの時は、田舎なので夏休みは一日中×30日間、ずっと外で遊んでいました。
虫取りに行って、野球して、川に行って、帰って寝るような生活。
毎日自然の中で遊んでいた生活、そこに今に至る原点はあったと思いますね。
あとは、高校の時の彼女が変えてくれたと思います。
どこか自信が無いところがあったけれど、「あなたは絶対大丈夫だ。社会に影響を与える人だ」と言い続けてくれたことが、自信の根本だと思います。

泥臭いことにこそ鍵がある

目標達成のためには、苦いことに突っ込んでいくことが大切。
例えばちょっと頭のいい数学の得意な人にとっては、お母さん対応はずっと同じ話をして無駄に感じることもある。
でも僕はそこに楽しみを見出していって、男女の違いのあるあるネタとして講演会で話したりしました。
自分がちょっと嫌だな、泥臭いなと思うところに突っ込んでいくことに、一つ鍵があるような気がしますね。
格好いいところだけやるのは無理です。
横で見ていて挫折した人たちは、良いことは言うけれど、一番泥臭いところは逃げちゃうところがありましたね。

尽きない夢

今後やりたいことは、花まるを塾として全国に広げること。
公教育も一緒にやってくれというお話が増えたので、これは社会貢献活動ですが、最低限のお金さえ回れば広げたいと思います。
また海外、発展途上国などで、日本の学校の枠にとらわれず、本当に必要なことを教える新時代の学校を作ろうと考えています。
他にも、逞しい人を育てることと優秀な人を育てることの両面でやれることや、障害児教育でもやりたいことはあります。
個人的には映画を作りたいとか、バンドの曲をヒットさせたいとか、やりたいことは尽きません。

取材を終えて

花まる学習会で行われているのは、「メシが食える大人」「魅力的な人」にする教育です。
考える力を育む「なぞペー」や外遊びなどといった、これまでの学習塾にはない、数々の新しい取り組みは、高濱社長自らが仮説を立て、実際に取り組み、体系化されてきたそう。
花まる学習会の取り組みを読み、高濱社長のお話を聞いて、「私も子どもの頃に出会っていたかった!」と思いました。

プロフィール

高濱 正伸(たかはま・まさのぶ)
花まる学習会代表、NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長、算数オリンピック委員会理事

1993年、「この国は自立できない大人を量産している」という問題意識から、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「作文」「読書」「思考力」「野外体験」を主軸にすえた学習塾「花まる学習会」を設立。「情熱大陸」「カンブリア宮殿」「ソロモン流」など、数多くのメディアに紹介されて大反響。『小3までに育てたい算数脳』、『わが子を「メシが食える大人」に育てる』ほか、『算数脳パズルなぞぺー』シリーズなど、著書多数。講演会「母親だからできること」「父親だからできること」など、年間約100講演を行う。これまでの参加者は、のべ15万人以上。ニュース共有サービス「NewsPicks」にてプロピッカーを務める。アプリラジオ「ちょっと聞いてよ高濱先生!」を「海賊ラジオ」にて放送中。1959年熊本県生まれ。東京大学農学部卒、同大学院農学系研究科修士課程修了。

◆花まる学習会 http://www.hanamarugroup.jp/hanamaru/
◆株式会社こうゆう http://www.hanamarugroup.jp/
◆Amazon著者ページ http://amzn.to/2E6XNjf

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