ただの生徒がいきなり経営者に
仕事で行き詰まり更なる試練
魔法の力を手に入れる
YOLO JAPANというサービスをご存知だろうか?
日本初の外国人オンラインハローワークである。
YOLO JAPANはサービスをスタートしてたった2年半で登録国数が国連加盟国193カ国を超え204カ国、登録者数は26,000人を突破。
毎月の新規登録数は4000人を超している。
更に今年2018年には大阪・今宮駅前に約12億円を投じた日本初の外国人教育訓練施設兼ハローワークが作られ、全ての運営をYOLO JAPANが一手に引き受ける。
彼は何故このサービスを短期間に立ち上げ多くの企業の賛同を得られたのだろうか?
彼が描く未来の姿と覚悟を聞かせていただこう。
さあ…
株式会社aim 代表取締役
YOLO JAPAN Chief executive officer 加地 太祐様の登場です!
度重なる転校
中学1年の春までに転校が4回も続き、転校するとその学校のガキ大将がプレッシャーをかけてくるので喧嘩は多かったかと。
中学入学を境に喧嘩もすることもなく落ち着きました。
この頃、父からは喧嘩の一番強いやつは腕力じゃなくて覚悟だと教えられました。
お前を殺しても良いと、人生をかけて喧嘩をしに来ている奴には、お前は勝ち目がない。
腕力の喧嘩はキリがないし意味が無いからやめろと言われたのを覚えています。
父からは「弱い者いじめをするな」「女の子を泣かすな」「人のものを取るな」の3つを常に言われて育ってきました。
中卒という見えない学歴社会
高校2年生の時に、型にはめようとする学校が嫌になり、退学して溶接工に。
20歳で結婚し22歳で一人目の子どもが生まれました。
雨が降ると仕事が無いので先輩たちに連れられギャンブル場に行くのですが、俺はこんな生活を繰り返すために生きているわけではないと転職活動をしたもののどこにも受からないんです。
誰もわからないと思い、履歴書に高卒と書いて面接を受け入社したのが法人向けにお金を貸す商工ローン。
みなさんが想像する怖い人達がいる会社ではなかったです。
ただの生徒がいきなり経営者に
会社の成績は良くても学歴コンプレックスは拭えなかったので、英会話スクールに通い始めました。
1年ほど通い続けたある日、スクールの受付の女性が「先月オーナーが帰国してしまい、2ヶ月給料も家賃も支払われていなくて大変なので一緒に経営をしてくれ」と生徒の僕に言ってきたんです。
何かできる事はないかと妻と相談し、400万円あった貯金をスクールの借金返済に充て、残金50万円。
教室の家賃が23万円で、月謝が1万円の生徒がたったの18名。
そもそもやっていけない経営状況でした。
すると受付の女性がやってきて、東京で働く夢があるので辞めさせてくれ、この夢は誰にも止められない!って言ってくるんです。
えっ!お前が一緒にやってくれと助けを求めてきたんちゃうんかい!って驚きましたよ(笑)
ここからと言う時に何故!?
信頼できる弟に頼んで手伝ってもらう事に。
当時まだスクールからは弟に給料を払えず、経営者の父に相談して何とかしていました。
僕は仕事が終わってから深夜まで英会話スクールで働く生活が4年ほど続きました。
会社は成績が良かったので、家業を手伝っていると解釈してくれていました(笑)
新店舗を出すにも任せられる人もいない。
どうしたら良いかと考え、各家庭に家庭教師を派遣するビジネスモデルを思いつき、形にしました。
話題性もあり生徒も300名ほどに増え、弟も給料が貰えるかどうかの時に弟が亡くなりました。
ショックでした。
英会話スクールはまだ安定していないので閉めることも考えました。
だけど弟の分までこの先、生きていくなら英会話スクールにコミットしようと決めたんです。
30歳、会社を辞め給料は貰えて10万円。
子どもも二人いて相当厳しいけれど、何故同じ環境で生きてきた弟だけが死んでしまったのか理由を追求したかったので、この時恐怖は特に感じませんでした。
常に正面から受け止める癖
父と事業計画の話をしていると「お前は守りすぎ、子どもはお前のチャレンジの足かせにはならない。ちっちゃい」と言うのです。
仕事まで辞めてコミットしているのに相当ショックで。
次の週に広いオフィスに引っ越したのです。
この時点で僕の給料はゼロ(笑)
この姿を見て父が嬉しそうにしていたのを覚えています。
問い合わせも増えてきた時にNOVAが倒産。
鳴る電話は全て講師からの助けて欲しいという電話でした。
常に問題に対しては正面から受け止め解決したいという癖があったので、日払い給料で対応しました。
後で戻ってくると思いながらも、現実はどんどんキャッシュが減ります。
毎日新聞のNOVAを辞めた先生のその後というような記事で「NOVAで私たちは苦しんだがaimで私たちは生き残れた」と言ってくれた先生がいたのです。
この記事でaimの信用が上がり、一気に生徒からの問い合わせが増え、売上が急上昇したんです。
仕事で行き詰まり更なる大試練
オンライン英会話の為にフィリピン進出するのですが1ドル80円で進出し、翌年に120円に!
ビジネスの根底が崩れる程の衝撃です。
やばい!どうしよう…と考え込み、自転車に乗っている時に交通事故に遭いました。
鼻と口の周りだけで68針。
5日間意識不明。
目が覚めた時、顔はフランケンシュタインみたいで、英会話の状況は全く変わらず、こんな状態でどうやって生きていこうと思いました。
同時にあのまま死んでいたら、僕がいないその後の会社も家族も全てリアルに想像できちゃったんです。
魔法の力を手に入れる
僕は何のために生まれてきたのだろう?家族にも社会にも何かを残したい!と強く思うようになり、退院してまだチューブから栄養を摂っている時に「よし!画家になろう!」と思い絵を描いたものの余りにも下手くそで挫折(笑)
次は作家になろうと決意するも、家族も社員もまだ事故の後遺症があるとまともに受け止めません。
当時流行っていた『もしドラ』を手に取るとダイヤモンド社だったので、ダイヤモンド社から出すことを決めました。
自分が学んできたことや子どもに伝えたいことをブログに毎日書き始めました。
5ヶ月経たずに月間300万人見てくれるようになり、事故後1年経たずしてダイヤモンド社から出版できたんです。
自分が本気になって継続という魔法を使えば1年で作家にだってなれるのです。
自分も世間も想像しないビジネスを生む
出版パーティで次は会社をIPOさせると宣言し、僕ができる事ではなく、僕も皆も想像していない事を描こうと思ったんです。
「加地くんならやると思った」ではダメなんです。
僕も周りも「そこまでできるの!?」という領域。
それは僕がやりたい事ではなく、社会が求めている事の領域。
YOLO JAPANの企画は3ヶ月で仕上がりました。
日本にある労働力は絶対に足りなくなるので、それを日本に住んでいる外国人で補うんです。
外国人はコミュニティーを持っているので、見た募集要項が自分に適さなくても適している友だちを紹介し、その友だちの推薦状(履歴書)を添える事で実労働者にも推薦者にもフィーを払う仕組みにしています。
この横のネットワークと、知り合い同士の確度の高い情報を集める事で、劇的に登録数が増えていきました。
日本初の外国人ハローワークでは無料で日本語を教え、働きやすい環境と受け入れ易い環境を作り上げます。
取材を終えて
友人から加地さんを紹介されたのだが、たまたま加地さんの本を書店で購入していた。
タイトルは『成功する人の考え方』でプロフィールを読み英会話スクール?を経営している人なのだと思ったが、出版後にYOLO JAPANというこれまで日本に無い画期的なビジネスを立ち上げてられているとは驚いた!事故をされたのがたったの3年前、そこから1年後に出版なので実質2年経ってないこのスピード感。YOLO JAPANに登録されている外国人は結婚、子ども、宗教、身長体重、目の色など様々な個人情報が登録されている。
そして、どの程度会話ができるかオンライン面接もされ、その際にビザのチェックは必ず行っているという。従って単に働きたい外国人を紹介するのではなくセキュリティーに関しても万全を期しているYOLO JAPAN。
このデータベースは様々なキャッシュポイントを生むのは誰が見ても明らかであるが、これからの日本においても無くてはならない機関の一つになることも間違いない。
プロフィール
加地 太祐(かじ・たいすけ)
株式会社aim http://aimgroup.co.jp/
YOLO JAPAN http://aimgroup.co.jp/service/yolo-japan
事業説明動画 https://youtu.be/3LpcFe7dtQ8
Web CM https://youtu.be/FsVetiILJo8