世界規模のお店で世界記録
エリート昇進の先にある予想もしない挫折
マクドナルド事件
会社の入り口を入るとすぐに、和の佇まいが現れる。
それだけでも心が落ち着きそうな会社だ。
本日登場するスゴい人は、大手企業でトップまで登りつめたが、突然会社を辞めて起業。
禅による研修・コンサルティングで数々の会社の業績を伸ばしている。
大手会社の社長を辞めて、禅にたどり着いた経緯はなんだったのだろうか?
さあ…
株式会社シマーズ
代表取締役 島津 清彦様の登場です!
大家族、チャキチャキの下町生まれ
生まれは東京深川、隣近所との関わりも深く、周りはみんなチャキチャキの江戸っ子。
江戸三大祭りの1つ、富岡八幡宮の水かけ祭りで毎年お神輿を担ぎ、私は絵に描いたような下町育ちの子どもでした。
賑やかな家だったので、いつも朗らかで人を楽しませる性格でした。
高校の時にはテレビのお笑いコーナーに出演し、素人ながらチャンピオンになったりもしたんです。
世界規模のお店で世界記録
ディズニーランドがオープンすると共に浦安にマクドナルドがオープンし、そこのオープニングスタッフとしてアルバイトで入りました。
店長から白羽の矢を立てられた私は大学1年の時にマネージャー職を仰せつかりました。
そして、オープン初日の売上がなんと当時の世界記録!
それまでは周りを楽しませるだけでリーダーシップを発揮するタイプではありません
でしたが、マネージャーを経験したことでリーダーになることやマネジメントに強く興味を持つようになったんです。
「社長になります」
就職はマクドナルドからのお誘いもありましたが、就職活動をして、千曲不動産(現・スターツ)に就職しました。
当時はバブルだったので、大きな会社の内定が5~6個取れる時代でした。
しかし私は「これから伸びる会社」を探しました。
まだ200人くらいしかいない小さな会社の面接で目指す役職を聞かれた時、「~になりたい」ではなく「社長になります」とサラッと言ったんです。
役員の方々は引いていましたけど、オーナーはそんな私にとても興味を持ってくれました。
エリート昇進の先にある予想もしない挫折
就職後、国内外の営業をして、会社の急成長と共に最短で昇格していきました。
営業から人事に配属された時は戦略的な人事を行い、人を活かすことに重きを置きました。
取締役人事部長になった時、会社の急成長の歪みを実感したのです。
創業者の思い・理念が組織に浸透しづらくなっていたので、創業者の思いを言葉に置き換えた日めくりカレンダーを作り全社に配布しました。
これが「社風構築カレンダー」が出来上がったきっかけです。
この言葉を通じ、仕事に対する価値観の共有ができ、急成長の歪みを解消することができました。
役職が上がるとともに順調に業績や成果も上げ、とにかく絶対的に自信がありました。
41歳で専務になったのですが、力量以上の役職のため大きな挫折を味わいました。
海外拠点を7か所から1年で倍以上に増やせと指令があったのです。
文化の違いもある中、想像を超えた目標設定をされたので超高速回転で仕事をしました。
現地スタッフからは、駐在経験もない本部役員がいきなり乗り込んできて高圧的な指示を出すのはおかしいと、反発が所々で起きました。
こっちはスイッチが入っていますから、問答無用、時間もない!って無理やり推し進めます。
結果、みんなが全く協力してくれなくなりました。
さらに時差のある国とのやりとり、他の業務やタスクが進まない事で24時間電話対応。
寝不足になり、顔面麻痺、精神的にも明らかに病んでいたと思います。
マクドナルド事件
ある日、マクドナルドで朝食を頼んだのは良いのですが、気づいたらトレーを持ったまま会社のエレベーターまで歩いてしまっていたのです。
「島津さんどうしたんですか?」の一言で気づきました。
1日2日休みましたが、結局現地に対してやりすぎましたとお詫びメールを入れることになり、その時は今思い出しても本当に辛かったです。
体調を崩した後の私は、ジャンルも幅広く大量に本を読み漁りました。
それと共に毎朝、近くの海まで走って朝日を拝むようになっていました。
1か月ほど経ったある日のこと、朝日に手を合わせていると、不思議なことですがそれまでの苦しみがポーンと抜けて、自分がいかに「感謝」という気持ちを持たずに仕事をしてきたか、ってことに気付かされたんです。
「今までは自分のためばかりだった、ごめんなさい」と素直に反省できたのです。
これからは人のために生きよう!与える人になろう!と心を入れ替えました。
社員から貰った宝物
会社の計らいで買収したばかりのビル管理会社の副社長に任命されました。
半年くらいで私も持ち直して社長に就任、会社を成長させるための再生に乗り出しました。
しかし今までとは全く違った環境で社風も違います。
その時に、先の「社風構築カレンダー」が役に立ったんです。
私は自分をさらけ出してブログを書いたり、現場にもよく行き、台風の時には一緒になって現場まわりをしたり。
この社長若いけど結構本気だぞ、という感じで信頼関係が構築されていきました。
2期目で会社を黒字転換し、5期目を務めている途中にピタットハウスの社長の話が来ました。
期の途中での異動でしたので、期の最後までやれなかったことがとても残念でしたが、ビル管理会社を後にすることになりました。
異動するときにはお花もなく寂しいものだと思っていたら、2~3か月後に1冊の本が手元に。
それは、一人ひとりの写真と共に寄せ書きを纏めたモノでした。
寄せ書きを集めたら、一人ひとりの想いが溢れすぎて1冊の本になってしまいそうだったと。
その文字数の調整に時間がかかっていたのだと。
勿論、顔と名前は全員一致するので、それはもう感動しました。
どん底があったから謙虚になれて、一人一人と向き合えた賜物ですね。
その結果、この素晴らしい宝物を手にできたのだと思います。
禅との出会いと、その可能性
ビル管理会社の社長をしていた時に、東日本大震災がありました。
私の家も液状化で大規模半壊、26センチ家が傾きました。
仕事では復興に力を入れているのに、家に戻るとあの時のまま水も出ず、全く復興しない現実に違和感を覚えました。
大切な家族に何もできていない自分が悲しくなりました。
もっと家族のために時間を使おうと、25年勤めた会社を辞める事を決意。
そんな思い切りやそれまでの私の経営哲学が「禅に近い」と友人に言われ、誘われるがままに座禅をしたり、禅の本を読んでみると、数々の世界の著名人が禅に行き着いていることがわかりました。
日本の文化って、実はお能、茶道、武士道、など全てが禅の強い影響を受けているのです。
「全員経営」や「アメーバ経営」「ホラクラシー経営」など、一人一人を活かし切る経営とは曹洞宗の開祖・道元の言葉でいう「全機現」だったのです。
これからも世の中のギスギスした会社が、もっと人を信じて信じて活かし切ることができるよう、研修や講演、コンサルティングなどのビジネス活動を通じて禅を広めていきたいと思います。
取材を終えて
島津さんが請け負ってきたポジションを見る限り、間違いなくオーナーは、ゆくゆくはスターツグループを任せる気だったと思う。
20代で結婚し、苦労も勿論あると思うが、まさにサラリーマンとしてこれ以上にない成功の階段ステップを進んだ。
退職時、それまで陰で支えてきた奥様は島津さんに「生活レベルは落とさないようにしっかり頑張ってね」と檄を飛ばしたそうだ。
その時、島津さんはまだ家のローンも残っていたのにもかかわらず、5年後には家を建て直すという約束をした。
そして5年、昨年ギリギリ約束の期限内にこれまでより大きい家を建てられたという。
檄を飛ばしていた奥様は退職当時娘さんに「私たち納豆生活も覚悟しないとね」と言っていたそうだ。
スゴい人を支える奥様もやはりスゴい人だと思う。
プロフィール
島津 清彦(しまづ・きよひこ)
人財・組織・経営を熱くする「発熱組織プロデューサー」
前職スターツグループでは、取締役人事部長として延べ6,000人の採用面接を行い、急成長する組織の制度と風土改革を実行。その後グループ会社2社の経営トップとして、1社は5年間で約5億5千万円の営業損益を改善。1社は過去最高益を達成する。これらの現場体験から得た経営の「実践知」を日本の企業に広く提供すべく、2012年に独立起業。人財・組織開発・経営コンサルティング会社を設立。
同年、得度し仏門入りしてからは、企業・教育機関・官公庁などで禅をベースとしたコーチング・研修・講演活動を行なう。
2014年にはソニー(株)の新規事業創出プロジェクト第1号案件であるソニー不動産(株)のスタートアップに役員として参画。事業を軌道に乗せた後、現在は自らの会社経営に専念。
同時に「ZENエバンジェリスト」として全国を駆け巡る日々が続く。
◆「仕事に活きる禅の言葉」(サンマーク出版) http://amzn.to/2hDDiRm
◆株式会社シマーズ http://www.shimars.co.jp/