47年間、感動を求めて俳優を続けるスゴい人!

売り言葉に買い言葉でオーディションに

過酷な撮影でノイローゼ!?

吉田松陰のように

映画『裸の十九才』で鮮烈な主役デビューを果たし、伝説的刑事ドラマ『Gメン’75』で全国区の俳優の仲間入り。その後も数々の作品に出演。
独特な個性をビートたけしさんから評価され、バラエティ番組でも脚光を浴びる。
更には舞台に映画に出演しつつ、朗読術を確立し、後進の指導にもあたっている。
本日登場するのは、このパワフルな個性派俳優である。

さあ…
俳優
原田 大二郎様の登場です!

読書好きなガキ大将

自分のやりたい事を、みんなでやっちゃうようなガキ大将でした。
幼い頃から『宝島』のような物語に親しんでいて、友達を集めてごっこ遊びをしたり。
土間に線を引いて、船に見立てて「みんな乗れ~!」なんてね。
小学2年生の時、家で伝馬船(木製の小舟)を買って、それから放課後はずっと船に乗っていました。
岸とやり取りするのに声を張り上げていたお陰で、地声が大きくなったんでしょう(笑)
5年生で400冊あった学校の図書室の本を読み切りました。
少女向けの物語が苦手で『小公女』と『若草物語』は読んでいませんが(笑)
中学卒業の謝恩会で、その頃好きだった女の子を妻役に据えて、『ナポレオンの最後』という芝居を企画したんです。
最後のシーンだけはできたんですが、冒頭から途中までが書けず、断念しました。

売り言葉に買い言葉でオーディションに

明治大学では英語部に在籍していました。
ある時、5大学英語劇コンテストの作品に出演してくれ、と頼まれて。
5時間にわたって説得されたんだけど、断り続けた(笑)
当時は商社マン志望だったので、芝居になんか出られるか、と。
「オーディションに落ちるのが怖いんだろう」って最後に言われて、カチンときて。
合格しても芝居はやらん!と、受けに行ったんです。
「バイトから帰って来たら母危篤の電報が来た」というエチュード(即興劇)をやれ、という内容でした。
エチュードなんて言葉も知りませんでしたが、とにかくやってみようと、始めてみたら凄かった。
家の鍵を開けた、電気を付けた、配達人が来た、電報の封を切って開いた。
「ハハキトク」って無情な活字が、確かに見えた。
その途端、どっと涙が溢れて…これはなんなんだ、演劇はただ事じゃないな、と感じました。

演劇への開眼

結局『メディア』のジェイソン役として、出演することになりました。
芝居中、突然神様が降りてきた。
メディアが浮気に怒って子殺しをするんだけど、その亡骸を幻視する。
言っている台詞が、声帯を通っている感覚が無くなり、でも響き渡っている。
頭の中にもう一人の自分がいて、演出をつけている。
「大事なセリフだから大きな声でゆっくり。ここまで来たら畳み掛けろ」
「お客さんから顔が見えないぞ、もう少し前を向け」とか。
これが感覚にビリビリきて、気持ち良かった。
よく「3日やったらやめられない」と言うけれど、役者は誰にでも似た体験があるのでは。
舞台が終わった時先輩が泣いていて、芝居って人を感動させるんだ、これは生涯かけて追求したいテーマだと思いました。
その時のメディア役が、今の妻です。

初めての主演映画

役者を志し、卒業後は文学座に入りました。
『橋のない川 第二部』を京都の亀岡で撮っていた時、新藤兼人監督が僕に会いたがっていると聞き、帰京して会いに行ったんですが、もう凄かった。
60歳位だったと思いますが、「お前の本質を見抜くぞ」といった感じで「ぐうぅ~!」っと、凄い目で見てくるんです。
「ご出身は近いみたいですね、嬉しいです」なんて口では言いながら、僕も「があぁ~!」っと見返して(笑)
ともかく新作を読んでくれと、渡された台本を読んだら泣けて泣けて。
「これ、やりたかったなぁ。あんなに睨むんじゃなかった」と諦めていたら、次の日、「君でいくから準備しておいてくれ」と連絡があった。
前に出演した『エロス+虐殺』で、助監督が僕を見つけてくれたそうです。
それから初主演映画『裸の十九才』の撮影に入りましたが、いつ死んでもいいと思えるくらい、刺激的な現場でした。
ここまでの3本の映画が、1970年に上映されて、エランドール新人賞を受賞したんです。

過酷な撮影でノイローゼ!?

ドラマ『Gメン’75』に出演し、顔は売れました。
降板については色々と噂されましたが、今考えると単純にノイローゼだったのかな。
あのドラマは走ることで成り立っていたので、四六時中走っていたんです。
3本に2本は僕が主役の話だったんですが、脇にまわる時まで走らされて(笑)
最後の事件解決の時にだけ、無理やり走るシーンを入れたりね。
とにかく走り続けで、太ももが腱鞘炎になって、治らない。
遂に船の撮影でハッチに落ちるという事故が起こり、膝の皿にヒビが入り、アバラが折れ、3日間休みました。
通っていた医者が「良かったです。このままでは、足が腐ってしまうのではと心配していました」と言ったほど。
その頃、プロデューサーが試写を見ながら「大二郎疲れているな」と言っているのを聞いて、「誰が疲れさせているんだ!」とキレちゃった。
すぐ監督に電話して、降りると伝えたら大騒ぎ。
プロデューサーと話し合いをすることになりました。
「降ります」「そんなこと言うなよ」
「一旦口に出した言葉ですから」「まぁまぁ」
と吉祥寺のレストランで、朝まで7時間。
遂に先方が折れて、殉職シーンを作ることになりました。
この話を表沙汰にせず、育児のために降板することにしよう、とプロデューサーが言っていたのに、芸能界中に広まった(笑)
それから休暇をとって、北海道へ行ったんです。
霧の深い摩周湖で、パッと晴れて景色が見えて、湖面の輝きを見た瞬間、さっきまでノイローゼだったんだ、と気付いた。
プロデューサーはその後も仕事をくれたんだけど、僕、その撮影で落馬して骨折したんです(笑)

吉田松陰のように

母校の明大で朗読の指導を始めたのをきっかけに、後進の力になろうと思い始めました。
故郷の名士、吉田松陰は若者を70人ほど集めて、2年弱教えただけで、その内42人が明治維新に参加しました。
本当に人間が戦える年齢って、25歳ぐらいまで。
そこを過ぎると大体道が見えるから、戦う必要が無くなる。
口幅ったいけど、戦いが必要な若者の手伝いをしたいと思っています。
僕は俳優としてはダメですね(笑)
こんな役かよ、って気持ちがあったんでしょうね。
若い頃は小さい役を舐めていた。
こういうのが積み重なると全然違ってきちゃう。
俳優は人を感動させる商売。
どんな役でも、集中しなければいけないんですよ。
楽天家だからなのか、躓きは記憶できていないんですが。
周りの人はイライラしているんじゃないかな。
「お前とは友達になりたくない」って、僕の友達の常套句です(笑)
今、気持ちは舞台に向かっています。
2016年に『ゴドーを待ちながら』のヴラディーミル役をやったんですが、好評でまた再演しようと言っているんです。
『テンペスト』のプロスペローは、死ぬまでに一度は演じたい。
劇場に来てくれる人を相手に、芝居を続けていきたいです。

取材を終えて

テレビや映画を拝見していましたが、お話しして感じたのは、とにかくエネルギーが溢れている方ということ。
芝居について語る時にも、昔話を冗談めかしてお話しする時も、グイグイ引き込まれてしまいました。
「俳優はやはり素敵なところが無いとね。何かに一心不乱になっていると、誰だって素敵じゃないですか」
「自分を見つめる、ってよく言うけど、大変な作業ですよ。僕は舞台で自分の声が聞けるまで10年、自分を見つめることができるまで20年くらいかかった」
熱量の高いお話に、士魂を感じました。

プロフィール

原田大二郎(はらだ・だいじろう)

俳優。
1944年生まれ。山口県出身。
明治大学法学部を卒業後、劇団文学座に入座。
70年に映画『裸の十九歳』で主役デビュー。テレビドラマ『Gメン‘75』、映画『蒲田行進曲』など出演作多数。
2018年春公開予定の『踊る!ホラ~レストラン』では主役の大富豪役を演じる。
同作は現在、クラウドファンディングを行っている。

◆『踊る!ホラ~レストラン』映画プロジェクト
https://apilucky.jimdo.com/%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88/

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