世界を駆け巡るサーカスパフォーマーのスゴい人!

1本のビデオとの出会いが人生を変える

高校を中退してまでも

海外と日本との大きな違い

本日登場するスゴい人は、日本国内にとどまらず海外でも積極的にショーを開催している。2013年には毎年1500組の応募があるドイツのパフォーマンスフェスティバルに出演し、世界各国のパフォーマーが集まる中、観客人気No.1を獲得し日本人初の優勝を果たす。
彼は既に海外20カ国でショーを開催し、国境を超えた多くのファンを持っている。
2015年にはシルク・ドゥ・ソレイユのポテンシャルアーティストとしても登録されたが、彼は名誉や肩書にはあまり興味が無いという。それは何故なのか?
世界でチャレンジするからこそ見える世界があったという。

さあ…
サーカスパフォーマー
斉藤 エイスケ様の登場です!

目立ちたいけど目立てない

人前でショーを披露する仕事をしていますが、子どもの頃も目立ちたいと思ってはいました。
ただ、スポーツも勉強も目立ってできる方ではなかったので目立つ位置にはいませんでした。
ハイパーヨーヨーが流行り、ステージで技を披露している人を見て憧れたのですが、田舎なのでなかなか商品が手に入りませんでした。
やっと手に入れて一生懸命練習して技ができるようになっても、当時はインターネットもなく、田舎なので情報伝達が遅く、世間からすると「まだその技をやっているの?」という感じ。
技は極められないけれど、面白いから続けてはいました。
その後、バンダイからディアボロという中国コマのようなおもちゃが発売されたのです。
まだ発売したてだからこれは頑張れば皆に追いつけるのではと思い、早速買って練習を始めました。
遊びから競技の技まで練習し、技としてはトップレベルぐらいまでできるようになっていました。

1本のビデオとの出会いが人生を変える

プロのドイツ人ジャグラーが来日した時のショーのビデオを入手。
でもこのビデオを先に見ていた友達は「確かにスゴいけど技のレベルはそうでもない」
という評価でした。
でも、このビデオを見た時、すごく感銘を受けました。
ディアボロという道具を使ってこんなパフォーマンスができるんだ!今までは単にスゴい技を開発する人がスゴい人だと思っていたのが覆されたのです。
バレエダンサーみたいなスタイルでメイクもしているその人は、友達からすると奇妙に見えたと思うけれど僕にはカッコ良く思え、こういう人になりたいとビデオが擦り切れるぐらい見て動きや仕草などをコピーし始めました。

高校を中退してまでも

都心に住んでいる友達が「俺はこれで将来スゴい人になるんだ」と言って大道芸人の真似事のような事を始めました。
自分は田舎に住んでいたので披露する場所がなかったのですが、サーカス以外にもパフォーマンスが仕事になるフィールドがあるのをその時に知りました。
練習だけはしっかりと続け、将来の夢はパフォーマー。
高校生活は練習を中心にして技を磨くだけ磨き、時期が来たら何か道は見つかるだろうと思っていました。
群馬県にサーカス学校が出来たらしいから一緒に体験にいかないかと友だちから誘われ、3日間だけ体験に行きました。
体験の想い出は朝から晩まで筋トレ!!
2日目は腹筋が筋肉痛になり、起きられませんでした。
スポーツなんてしていない少年だったから、とにかくキツイ!という思い出だけでした。
高校に行きながら練習していてもビジョンが見えない。
それよりお先はまだ真っ暗かもしれないが専門的な勉強をしたいし、始めるのは早い方が良いに決まっていると思い、高校を辞めて翌年サーカス学校に入学しました。

サーカス学校って?

群馬県の山奥、スーパーやコンビニまで車で30分以上もかかる過疎地の田舎で一軒家を3人で借り、共同生活がスタート。
学校で習う基本は器械体操。
2年でしっかり身体を作り上げ、残り2年は自分の技を磨くのですが、特にその技について教えてくれるわけではありませんでした。
地元のテーマパークにショーをやらせて欲しいと営業に行くものの、それだけで生活はできないので、学校からも仕事を紹介してもらっていました。
週末は東京に出稼ぎに行くようになり、東京へ拠点を移すために2年ぐらいお金を貯めました。
営業をしながら人脈も少しずつ増やし、そろそろ自立しようと上京したのが23歳ぐらいでした。

お金を貯めて東京へ

路上で大道芸をしたりお祭りに出たり、そこそこ仕事も頂き、順調といったら順調でした。
でも、この時は挫折と成功を繰り返し、サーカス学校に入った頃はスーパースターになりたかったけれど自分はなれないだろうなと思い始めていました。
パフォーマンスは好きだから続けているけど、ただお金を稼ぐだけ。
クライアントからは今まで通りのショーを要望されているので、新しいショーや技にチャレンジする事は求められておらず、自然と新しい技の練習よりも今の技の精度を上げる反復練習をするだけで、
それは僕にとっては、まるでアマチュアの頃にがむしゃらに頑張って技を磨いていた貯金を使い切っているような感覚でした。

希望の光は外にあった

生活に不満は無いけれど面白くない。
海外には全く興味が無かったのですが、友達から海外のパフォーマンスフェスに出るから一緒に出ようと誘われたんです。
海外なんて想像もしていなかったし、レベルが高くて自分なんて通用するはずがないと思っていましたが、一緒に行けるならそれだけで楽しいかなと思い応募しました。
すると審査を通過したのです。
それまでやっていたトークを交えたショーは海外では通用しないので、言葉を話さず表情や技だけでアピールできるショーを作り上げ、海外で披露しました。
今考えるとまだ構成が定まっておらず、良くこれでOKだと思ったなと言う内容でした。
受け入れられるかわからない恐怖と緊張の中、それでもやり切って海外の人に伝わった瞬間、喜びが湧き上がって来ました。
サーカス学校に入学した頃を思い出し、自分がやりたかったショーはこれだったんだ!と思えたのです。
もしできることなら来年も出場したいと思い、翌年も審査を通過し、観客投票で1位を獲得できたのです。
もしかしたら自分のショーはヨーロッパを含め海外で通用するのかもしれない!と手応えを感じた瞬間でもありました。

海外と日本との大きな違い

海外でのパフォーマンスは日本とは逆で、とにかくショーの中でチャレンジすることを評価されます。
僕にとってこれはすごく大切な事なのです。
夏は日本で仕事が沢山ある季節なのですが、7月、8月は海外のフェスを回ることに決めました。
もちろん日本の仕事はお断りせざるを得ません。
海外を回ることで新しい国に行け、文化に触れ、刺激し合える仲間にも沢山出会えます。
海外でチャレンジし続けるフィールドがあると、限界だと思うことが消えていくんです。
ここまでは行けないと思っていても、続けているとそこまでたどり着けたりします。
小さい目標を立てて、その目標を叶える可能性は必ずどこかにあるので、自分で努力し頑張ってクリアし続けたいんです。
これからも海外でどんどん新しい技にチャレンジし、その技を日本でもどんどん披露していきたいと思っています。

3つの夢

昔3つの夢を掲げたのです。
「この芸を生業とする」「色々な所でショーをする」そして3つ目が「サーカスリング」に立ちたいでした。
前の2つは既に叶っていて、3つ目は今年オーストラリアのサーカスフェスティバルに出演することで全て叶うんです。

取材を終えて

パフォーマーの中には新しいチャレンジをしなくなる人もいるそうだが、斉藤さんは停滞しその場にいる事が本当に嫌だという。
むかし、少しだけアルバイトをしたことがあるが苦痛で仕方がなかったという。
それは自ら考えクリエイトしていく事がなく、単なる作業の連続だったからだと。
一時期、生活はできるがパフォーマンスが作業になってしまった時期も辛かったという。
逆に海外で常にチャレンジし、自分のフィールドを広げ、沢山の刺激をもらい続けている方が心から楽しいという。
そんなのびのびとショーを披露されている斉藤さんのパフォーマンス映像を貼っておくので是非、ご覧になって欲しい。

プロフィール

斉藤 エイスケ(さいとう・えいすけ)
兵庫県淡路島出身。
中学卒業後に日本唯一のサーカス学校に入学し、本格的なサーカス技術を学ぶ。
卒業後はプロパフォーマーとして活動開始、日本全国、世界各国のイベントに出演。
賞を受賞するなど高い評価を獲得し、2015年には世界的なサーカスであるシルクドゥソレイユの登録アーティストとなる。

ドイツ  Bamberg zaubert 優勝 (2013、2017)
     Kleinkunstfestival in Usedom 2015 2位受賞
     Pinneberger Kleinkunstfestival 2017 3位受賞
スイス  Festival des Artistes de rue 2015 ブロンズ賞
アメリカ Spring Busker Festival 2014 優勝

◆ホームページ http://eisukesaito.com
◆映像 https://vimeo.com/185166460

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