「人と同じことをするな」と言われて育った子ども時代
5か月の調査を経て「のりかえ便利マップ」誕生!
やるなら自分の好きなことを
本日登場するスゴい人は、駅に掲出されている「のりかえ便利マップ」を生み出した女性。
彼女は「のりかえ便利マップ」を発明したママ発明家、アイデアママとして知られており、メディアにも多数取り上げられている。
本日は、幼少期から発明秘話、そして今後の展望までを聞かせていただこう。
さあ…
株式会社ナビット
代表取締役 福井 泰代様の登場です!
「人と同じことをするな」と言われて育った子ども時代
実家が箱根で旅館をやっていて、「人と同じことをするな」と言われてずっと育っていました。
母の実家が茨城で農家をやっていて、小学生の頃にそこで採れたカブトムシを旅館で売っていたんですけど、それが良く売れたので、弟と一緒に駅前で販売したりして。
普通の家なら怒られるんでしょうけど、うちはすごく褒められた記憶があります。
機転を利かせて色々なことをするのを良しとする家でした。
きっかけは、子育て中に生み出したアイデアグッズ
出産を機に会社を退職し、専業主婦をしている時に趣味で発明をしていました。
発明を始めたきっかけは、下の子が生まれた後に、PTAの集まりに下の子を連れて行ったら泣いてしまって他のお母さん方に迷惑をかけてしまって。
おしゃぶりを咥えさせると泣き止むんですけど、まだ吸う力が弱くてすぐに落としてしまって、おしゃぶりに紐を通して耳にかけることを考えました。
それを見て「特許をとってみたら」と言ってくださった方がいて、「特許」という言葉と初めて出会いました。
書店で立ち読みをしていたら町の発明家を応援する「発明学会」という団体があることを知り、入会して、子どもが小さかったので通信教育を受けました。
発明事業家セミナーで半年間勉強をして、自分のアイデアを形にして、特許をとって売り込むことを始めました。
当初アイデアが4つあって、耳にかけて落ちない「モーモーおしゃぶり」、右左を間違えない靴、トランプをしながらひらがなを覚えられる「あいうえおトランプ」、指しゃぶりを止めさせる「指しゃぶりストップ手袋」を作りました。
5か月の調査を経て「のりかえ便利マップ」誕生!
のりかえ便利マップは5つ目のアイデア商品でした。
手袋を作っている時に、生地を探しに子どもを連れて西日暮里に行きました。
その時、エスカレーターやエレベーターが無く、不便だなと思って。
そういうのが事前にわかると良いなと思ったところから考え、当時東京にあった地下鉄256駅を、5か月かけて調べました。
子どもが小さかったので休日に夫に子どもを任せて、周遊券を買って一駅一駅降りて、上り下りのホームを調べて、次の駅に行くということを朝から晩までやっていました。
最初はそんなに大変だと思っていなかったんですけど、駅は結構広いし、遅い時間になると電車が来なかったり、暑かったり寒かったり、大変でした。
ですが、辞めてしまうと全部無駄になっちゃうからやり続けるしかないですよね。
0か100しかないので、引くに引けないというか。
そこからまとめて、最初は本にしてもらおうと思って出版社百数十社に企画書を送って、3社話を聞いてもらえて。
『デイリーan』というアルバイト誌で採用してもらってスタートし、次に採用してくれたのが『ぴあムック』でした。
そのうちに「福井さんがやっているのは発明ではなく情報だから、回転させて膨らませて切り口をかえて展開できるよ」と教えてくれた人がいて、それまで本しか頭になかったけれど、本じゃなくていいと気づいて。
それから手帳、ソフト、駅置きの小冊子になって、最後に鉄道会社に導入されました。
営団地下鉄(現在の東京メトロ)に入るまでに2年、JRに入るまでには3年かかりました。
最初に鉄道会社さんに行ったときは、「そういうものを作ると特定の車両が混むから、わざと作らないんだ」と言われましたが、鉄道会社さんにはどうしても採用してもらおうと思い、ずっと通っていました。
どうせすぐに真似されちゃうだろうと思ったけれど、人間は食べ慣れている味がおいしいと思うように、本家本元の鉄道会社さんに採用してもらえれば毎日見て、いつも見ているものが一番見やすくなると考えたのです。
やっと採用されて、銀座線からお試しで始まり、千代田線と丸ノ内線に広がって、都営線全駅に入って、メトロ全駅に広がりました。
そこからは早かったですね。
最初は子どもも小さかったし、会社がどうなるかもわからなくて、寝る時間もないくらい忙しかったので大変でしたね。
256駅調べたのがあまりに大変だったので、よっぽど頑張らないと元が取れないと思ったのと、早い時期から人を雇っていて、皆さんの生活があるので引くに引けませんでした。
辞めちゃおうなんて思ったことも何度もあるけれど、辞められないですよね、責任があるので。
少し頑張れば達成できる目標をクリアする
夢をかなえる方法があるとしたら、ちょっと頑張れば達成できることを、ひとつひとつ自分の出来る範囲で達成していくこと。
会社を創った時の目標が「お茶が出てくること」だったんです。
次の目標が、コピー機が無くてコンビニにコピーしに行っていたので「コピー機を買うこと」。
パソコンを買おう、社員をとろう、オフィスを持とう、エレベーターのあるビルに行こう、新卒社員をとろう、山手線の内側にオフィスを置こう、大阪に支社を出そう…という風に、ちょっと頑張れば手が届くような目標を作って、それをちょっとずつクリアしてきました。
一人の力じゃうまく行かないけど、みんなで頑張るとうまく行く。
そういう経験を積むと、自然に骨太で筋肉質な組織になって自信がつくのでお勧めです。
達成感がモチベーション
世の中に出るまでがすごく大変で長いんですけど、それが出た時の喜びは中毒みたいになっちゃいます。
のりかえ便利マップを見ながら駅員さんがおばあさんに道案内をしているのを見たり、そういう達成感があるから頑張れますし、サービスを通じて当社を知ってくれている人がいるのは嬉しいですね。
また、登録している地域特派員の方に声をかけると、ベビーカーを押してお母さん方がいっぱい集まってくれるのはすごくありがたいです。
2020年のオリンピック・パラリンピックに向けて、のりかえ便利マップ以外にも駅のコンテンツ、空港の案内図などの多言語化を急ピッチで進めています。
こうした調査も今は地域特派員さんがしています。
やるなら自分の好きなことを
子どもたちにも社員にも言っているんですが、好きなことでご飯を食べられるのが一番幸せだと思うんです。
スポーツ選手も、好きで好きで仕方がなくて、寝る間を惜しんで一生懸命頑張っても、一流になれる人って一握りです。
だから嫌なことを嫌々やっていて一流になれる可能性は、極めて低いと思うんです。
自分がちょっとでも面白い、楽しい、時間を忘れて打ち込めるようなものがあったら、それをやる。
やりたいことをやっていても大変なことはたくさんありますが、ちょっとくらい我慢しないと。
自分の責任で、頑張って、どうにかしがみついて、自分がやりたいことをやるのが一番良いと思います。
取材を終えて
取材で色々な場所へ伺うため、地下鉄のホームに着いてまずすることは「のりかえ便利マップ」を確認すること、というくらい日ごろから「のりかえ便利マップ」にはとてもお世話になっています。
福井さんはメディアにもよく取り上げられており、「のりかえ便利マップ」の誕生秘話も有名ですが、今回ご本人からお聞きして改めて、鉄道会社ではなく、利用者の一人であった女性によって生み出されたことに驚きました。
更に同社は「情報」をもとに様々なサービスを提供していますが、空港の案内図の国内シェアが76%にものぼるというのもすごいですね。
まだまだ発明のアイデアは選びきれないほどたくさんあるとのお話しでしたので、今後も生み出されるサービスが楽しみで仕方がありません。
プロフィール
福井 泰代(ふくい・やすよ)
株式会社ナビット 代表取締役
1965年生まれ。88年成城大学経済学部を卒業後、キヤノン販売入社。91年、結婚・出産を機に退社。97年、有限会社アイデアママ設立。98年、「のりかえ便利マップ」が営団地下鉄、都営地下鉄、ぴあなどに採用される。01年、株式会社ナビット設立。全国の鉄道研究会とSOHOスタッフ58100人体制で、交通と地域に関わる定期的なデータ収集、調査、コンテンツ制作、企画、システム開発を行う。13年日本経済新聞ライフ・ウーマン欄「新たな価値生み出す 女性が開発ヒット商品10選」に「のりかえ便利マップ」が選出。14年国土交通省の交通政策審議会専門委員に任命。チラシ特定情報検索「毎日特売」サービス提供、在宅ワーカー支援サイト「Sohos-Style」提供、入札情報の収集をしっかりサポート「入札なう」、助成金・補助金の検索サービス「助成金なう」を提供中。著書に「夢を叶える仕事術」(ビジネス社)。
◆株式会社ナビット https://www.navit-j.com/