日本一に輝いたバンド
絶対語感
音楽から幽体離脱
本日登場するスゴい人は、誰もが知っている『ダンシングオールナイト』の作詞家。
そしてボーカル・サックス・フルートの演奏家でもあり、ライブでのパフォーマンスには誰もが魅了されている。
学生時代に所属していたバンドが日本一に輝いた経歴を持ちながら、長らく音楽をしていなかった時期もあった。
人に活かされてきたと話す本日のスゴい人。
現在も日本語によるリズム&ブルース、ファンクミュージックを追求している。
その追求の原点はどこにあったのだろうか?
さあ…
水谷 啓二様の登場です!
古美術商の家に生まれて
京都の古美術商の家に生まれました。
子どもの頃、片付けの手伝いをしたとき、ある種のお皿を触ろうとしたら「それは触らんでいい!お商売のだから!」と言われたことがよくありました。
日頃手伝いをしなさいと言われるのに、手を出すと触るな!って矛盾ですよね。
でもその違いを知りたくて、色々なお皿の違いを探していた記憶があります。
特に教え込まれたわけではないけれど、ここで僕なりの美意識や感性が自然と育まれたように思います。
音楽へのきっかけ
音楽を聴くようになったきっかけは、兄が買ってきたビートルズを聞いた時からですね、中学生でした。
同じ頃、学校で「何か楽器をマスターしなさい」という課題があり、当時ハービーマンを聞いてフルートに興味を持ったのでフルートを始めました。
学校でやっていたのはクラシックだったけれど、自分自身はジャズをよく聴いていました。
高校生になって吹奏楽でサックスを吹き始めましたが、ドラムとコントラバスの仲間とジャズのコンボも始めました。
高校在学中にアマチュアバンドのラジオ出演に応募して出演したんですが、審査委員長がキダタローさんで、「玄人はだしですねぇ!」ってとても褒めてくださって。
純情な僕たちは、あ、いけるんだ!って本気にしてしまいました。
学生時代、日本一に輝いたバンド
高校3年の時に、梅田の喫茶店で週末何回か演奏の仕事を始めました。
大学に入学した時には、高校の時に楽譜を借りに行っていた縁もあり、上級生とも仲が良く、新入生なのに新入生歓迎のデモ演奏に参加していました。
その後「スパニッシュ・ハーレムナイト」というバンドに入り、色々なお店で演奏するようになりました。
結構人気のバンドになり、月々のお小遣いの数十倍のお金を稼げるようになっていました。
ある時突然「武道館でコンサートがあるから京都代表で行って!」と言われて行くと、なんと全国の地区ブロックから勝ち抜いてきたバンドのコンテストで!
審査委員はそうそうたるロックミュージシャンでした。
そのコンテストで僕らのバンドが優勝しました!
東京でプロ生活、鳴かず飛ばず…
大学を終えて父に家で修行しろと言われたので2年くらいは家業の見習いをしましたが、その傍らで音楽を続けていました。
手伝っていたバンドがデビューすることになり東京進出。
でも最初の頃はレコード会社から銭食い虫と言われ、仕事の時だけ京都から東京に出てきていました。
大した仕事もなく、バンドも売れず、鳴かず飛ばずでした。
のちに、それまでの音楽繋がりのご縁でムッシュかまやつさんのバンドに入ることになりました。
東京・青山にアパートを借りて住み始めたのですが、初めにマネージャーから聞いていた仕事の数の半分もなくて、お金もないので質素倹約生活。
スタジオまで歩いて行ったり、みんなと喫茶店に行っても水だけにしたりという生活が続きました。
作詞家デビュー、言葉の面白さ
当時、僕は自分でも歌おうと思っていたので、詞も書いていました。
質素倹約の時期、元事務所の社長から1本の電話がありました。
デビューする男性歌手がいて男の作詞家を探しているから、と。
託された8曲中一押しの曲があり、それがダンシングオールナイトでした。
僕は詞を作る時、映像だと思って書きます。
大学生くらいから詞を書き始めたので、小さい頃から言葉に興味を持っていたわけではないですが、空想をすることが多い少年でした。
だから、映像を言葉にしていけるのだと思います。
今でもそうですが、詞を書く時に2通りの書き方があります。
フッと言葉が浮かんでそこから発展していく書き方と、作家として依頼されて書く場合は歌い手を商品として分析をしながらの書き方。
僕がこれまで使っていない言葉で、「都会」という言葉があります。
「都会」っていうのは、外(田舎)で育った人からみて大きな街を都会と言って、そもそも大きな街に生まれ育った人は都会と言わずに「まち」と言います。
なので、未だに都会と言うキャラクターに出会ってないので使っていません。
言葉はそれだけで膨らんでいくので、言葉の面白さを実感しています。
絶対語感
絶対音感を持っている人は、微妙に周波数が違うだけでも気持ち悪いと言います。
僕は言葉に対してとても敏感なので、言葉のイントネーションの「絶対語感」を大切にしています。
最近はイントネーションがない「扁平言葉」が気になります。
それが次第にNHKのアナウンサーも使うようになり、美しい日本語がなくなってきているように思います。
僕自身、作っているのは「詩」ではなくて「詞」です。
言葉を司るのです。
メロディーと合体してもイントネーションが狂わないように丁寧に曲に言葉をのせています。
曲に引きずられてイントネーションが狂っている歌詞には、違和感を感じます。
音楽から幽体離脱
デビュー作が売れた後も作詞や演奏の仕事はしていましたが、ちょっと熱が冷めてきて。
その頃、ウエスタン乗馬団体の立ち上げ企画の話が舞い込んできて馬も好きでしたので、音楽よりも自然とそちらのほとんどボランティア的な仕事に時間が割かれるようになりました。
「儲けたから山に牧場買って遊んでるんじゃないの?」という噂が業界で広まり音楽の仕事依頼も少なくなっていきました。
当時、アメリカにも何度も行き、競技会のためにカリフォルニアからテキサスに馬をトレーラーで運んでいたときの出来事。
西海岸から山を越えると、ラジオからカントリーしか聞こえなくなりました。
その歌詞にI love youという歌詞があり、本当に「愛してる」と素晴らしく美しく聞こえたことに感銘を受けたことを今でも覚えています。
一度、離れてみるといい
馬関係の仕事をやめた後、実家の古美術商関連の仕事にも興味がありましたが、初めて楽器を持った時代、やりたかった音楽、自分が愛したものは何だったか?と改めて考えてみた時、学生時代に好きだったサックス奏者のような音楽をやりたい!と思いました。
ただ、日本でやるなら絶対にみんながやっていないことをしようと、リズム&ブルース・ファンクミュージックに、綺麗な日本語がはまる曲を作ろうと思ったのです。
カントリーを聴いて歌詞に感動したように、日本語で、より伝わる歌詞をいいメロディーに乗せる。
一度音楽から離れていたからこそ、気づけたことだと思います。
ミュージシャンに限らず、プロというのは商品を提供する側なので、それが商品になっているかどうか、見る感性、方向性など、一旦その場から離れてみる客観視も必要だと思います。
是非、K-FUNKを聴きに来て下さい。
取材を終えて
水谷さんの第一印象はスゴくお洒落な方!
幼い頃から美術品に囲まれており今でも特に勉強はされていないが、本物かどうか生理的な直観力が働くことがままあるとか。
物事の本質を見抜く力はそうそうつくものではない。
水谷さんが自然と育んできた繊細な感性をベースに音に言葉を乗せたRhythm&Blues K-FUNK を皆さんにも聴いて欲しい。
まさに大人のカッコいい音楽だ!
プロフィール
水谷 啓二(みずたに・けいじ)
1953年京都生まれ。実家は古美術商。
作詞・作曲家、演奏家(ボーカル、サックス、フルート)、ライブパフォーマー
愛称は「巨匠」
同志社大学在学中に結成したロックバンド「スパニッシュハーレムナイト」をメインに、70年代前半の関西ロックシーンで活躍。このバンドは武道館で開催されたAロック祭優勝。
21歳夏に渡米。アーチー・シェップのワークショップ、ノーマン・コナーズ&ダンス・オブ・マジックのオープニングアクトなどを経験。
大学卒業後、ポップロックグループ「AIRZ」で東芝EMIからデビュー。
これを脱退後、かまやつひろし&FLAT OUTに参加する傍ら、サポートミュージシャンとして多くのアーティストの作品・ステージに参加。また、もんた&ブラザーズ「ダンシングオールナイト」で作詞家としての活動も開始。
現在は、作詞・作曲家として活動しつつ、10名編成のファンクバンドK-FUNKを率いて、演奏家、ライブパフォーマーとして、日本語によるリズム&ブルース、ファンクミュージックを追求。ベテラン揃いの演奏はもちろん、軽快なトークでも多くのファンを魅了している。
◆「巨匠」のブログ K-FUNK https://ameblo.jp/k-funk-groove/