音楽評論家として45年以上活躍を続けるスゴい人!

10代で立て続けに挫折

チラシの裏に書いた文章が音楽雑誌に

フォークの衰退とともに訪れた、評論家としての危機

本日登場するのは、音楽評論家として45年以上活躍を続けるスゴい人!
フォークブームが始まる以前にフォークに着目し、デビュー間もなくして連載を持つ人気評論家となり、その後多数の書籍を発表。
現在はテレビやラジオなどで複数の番組をプロデュースして出演、大人の音楽<Age Free Music>のレーベルを立ち上げるなど、その活躍のフィールドは更に広がり続けている。
しかし、音楽評論家としてデビューするまでには、若くして何度も挫折を経験していた。

さあ…
株式会社アイ・ティ オフィス
代表取締役 富澤 一誠様の登場です!

歌手に憧れながらも東京大学に入学

私の学生時代は御三家全盛時代でした。
中学生の時、修学旅行のバスの中で西郷輝彦のモノマネをしたらウケて、その気になって。
高校時代には歌好きが高じて、1年の学園祭で舟木一夫が好きな友達と二人でステージに立ち、西郷輝彦の「星のフラメンコ」を歌いました。
歌が終わると紙テープのようにトイレットペーパーが飛んできたのですが、実はあまりにもヘタで投げられたようで。
ただ、自分では上手いと思っているから、人が何と言ってもあまり聞いていませんでした。
音楽が好きで、歌手に憧れていた半面、当時は歌手になるなら家出して東京に行かなければならないような時代。
長野県須坂市の出身で、家出して東京に行く度胸もなく、高校が進学校だったので東大に行きたいと思いつつ、歌手になりたいという希望も持ち続けていました。
そんな中、勉強のし過ぎで顔面神経痛のようになり、成績も落ちてしまい、だったら歌手になったらいいんじゃないかと思い、高校3年の夏休みに先生に相談に行きました。
「家出して歌手になろうと思っているんです」と言うと、先生に「お前は、声は良いがリズム音痴じゃないか?富澤は東大志望だろ。歌手になるよりは東大に入る方が確率が高いから、大学に入ってから考えたらいいじゃないか」と言われて思いなおし、無事に合格することができました。
冗談のようだけど真実の話です。

10代で立て続けに挫折

大学に入ってすぐ、歌謡学校に入りました。
もともと「東大で何をしたい」ではなく、大学は東京に出るための手段で、大学に入ったら好きなことやると決めていたのです。
3か月通って、ここにいても歌手になれないと思ったのと同時に、リズム音痴じゃないかと言われたのを思い出し「じゃあ歌手辞めた」と、すぐに辞めました。
ただ、大学に戻るつもりはありません。
歌手がだめなら何かないかなと考えていた時、偶然深夜放送でなかにし礼さんが「作詞はちょろくて儲かる」と言っていたのを聞いて、詞を書いてみました。
しかしその頃はまだ10代で書けることも無く、歌本からいくつかの曲の歌詞を取り出して並べ替えたような歌詞を音楽出版社に持ち込みましたが、却下。
作詞家もダメでした。

俺のことを歌っている!と共感した

その頃、深夜放送で偶然聴いたのが吉田拓郎でした。
「今日までそして明日から」を聞いて、当時の自堕落な生活を繰り返していた自分と重なり、すぐにレコード店に行って買ってきました。
吉田拓郎がギターを持って歌っているように、俺も何かをしないといけない!と思わせるような歌だったんです。
俺のことを歌っているんじゃないかと身近に感じて共感し、若者に合うと思いました。
当時はまだ売れていなくてほとんどの友達が知らないので、この人たちを紹介することをしようと、仲間を集めて吉田拓郎や泉谷しげるを呼んでコンサートを開催しようとしましたが、スケジュールが合わなくて結局ロック・コンサートを主催しました。
ところが、お客さんは入ったものの当時で50万円の大赤字。
知り合いからお金を借りまくったから、ほとんど友達をなくしましたね。
歌手、作詞家、イベントで失敗して、何をやってもダメだなぁと思いました。
ただ大赤字は背負ったけれど、吉田拓郎や泉谷しげるなど、売れる前のフォークシンガーを全部見て、この人たちはすごい!これからの音楽はこれだ!と思いました。
高い授業料を払って、いい経験をしたということです。

チラシの裏に書いた文章が雑誌に

そんな時、下北沢の書店でフォーク専門誌「新譜ジャーナル」を手に取ってみると岡林信康特集が載っていました。
だけど読んでみても、「岡林はこんな人じゃないんだよな」とピンとこない。
これだったら俺が書いた方が良いと思って、その場でチラシの裏に自分で評論を書いて編集長宛に出したら、それが雑誌に掲載されたんです。1971年の10月でした。
私の評論に共感する人が多く反響が大きかったようで、その後編集部に呼ばれ「もしよかったらうちで書いてみる?」と誘いを受けました。
良いチャンスだけれど、すでに3回失敗しているし、成功する保証はない。
せっかくチャンスをもらったんだから、人と同じことをやっても1番にはなれないと思い、抜け穴を探しました。
1万円札を握りしめて神田の古本屋で音楽雑誌を買い込み、当時の評論家が、誰がどの分野が得意かを調べると、日本のフォークを専門にしている人はいませんでした。
その頃はまだフォークは売れていなかったけれど、絶対に売れると思ったので、初めから「フォーク評論家」を名乗り、名刺を作りました。
72年からフォークブームが始まり、依頼が舞い込むように。
1年後には新聞3紙くらいに連載を持ち、食べられるようになりました。
その後もニューミュージックとしてさらにブームは広がり、約10年間は右肩上がりでした。

フォークの衰退とともに訪れた、評論家としての危機

しかし、83年頃からポップス・ロックの時代になり、フォークは衰退。
ここを乗り切らないと、フォーク・ニューミュージックの終わりとともに、私も終わりです。
私もロック評論家に転向しないといけないかと真剣に悩んでいた時、谷村新司さんから電話がありました。
彼はその段階ですでに、今まで登りつめた山を下り、新たな山を登ろうとしていました。
その後につながる<大人の音楽>を目指していたのです。
事務所から独立し個人事務所を設立して、ヨーロッパ3部作を作りたいとロンドン、パリ、ウィーンでアルバムを作る構想を持っていました。
「興味があったら付き合ってレポートしてくれ」と言われ、受けたのですが、私はきわめてラッキーでした。
谷村新司というスーパースターの生きざまをそばで見ていい経験をし、谷村さんが変わったように自分も変わることができたのです。
どの世界でもナンバーワンにならなくてはいけない。
けれど、ずっと1番ではいられないから、次は自分だけの世界を確立してオンリーワンになることが長生きするためには大切だと、彼をそばで見ていて実感しました。

自然発生的に広がるフィールド

20年間徹底的に書くことだけを続けて、92年からラジオやテレビを始めました。
「こうだったらいいのに」と思って書いた評論を実践する人がいないので、自分で実践に入ったのです。
今は、大人の歌がありません。
少し古いデータですが、日本の人口は50~70代が4785万人、10~20代が2423万人で、大人の方がビッグマーケットです。
<演歌、歌謡曲>でもない、<J-pop>でもない、大人の音楽<Age Free Music>を作ろうと考えて、テイチクエンタテインメントと一緒にレーベルを立ち上げました。
テレビやラジオ、有線、カラオケでも、現在は<Age Free Music>を発信しています。
仕掛けたわけではなくて、誰もやらないなら自分でやるしかないと思い、自然発生的に始まったものです。
これからも、自分の良いと思う道を生きていきます。
それが私にとって<Age Free>に生きるということです。

取材を終えて

音楽評論家という一つの道で40年以上にわたり活躍し続ける、富澤さん。
そこに至るまでに、若くして3度も挫折を経験されていたことには驚きました。
評論を始めた時も、フォークが衰退し本当に厳しい状況に追い込まれた時も、20年の執筆専門時代を経てテレビやラジオのお仕事を始めたときも、現在のAge Free Musicの取り組みも、「必要とされること」をしていらっしゃるからこそ、長年にわたる活躍があるのだと感じました。
演歌、歌謡曲でもない、J-popでもない、大人の音楽とはどんな音楽だろうと思っていましたが、聴いて納得。
おしゃれでかっこいい大人のイメージで、聴いたらちょっと背伸びをした気持ちになりました。

プロフィール

富澤 一誠(とみさわ・いっせい)

株式会社アイ・ティ オフィス 代表取締役

1970年、東京大学文科III類に入学し、その後中退。
歌謡学校に通い歌手を志すが挫折。
71年、音楽誌への投稿を機に音楽評論活動に専念。
現在、ジャパニーズ・ポップス専門の音楽評論家として、独自の人間生きざま論を投影させ、広く評論活動を展開。
45年に及ぶ評論・執筆活動において、一貫して追い求めているテーマが“青春生きざま論”である。
そして常に“情熱的”に生きることを若者達に訴え続けている。
92年、プロデュースのアルバム『ASIAN VOICES』、2010年のアルバム『あの素晴しい曲をもう一度~富澤一誠・名曲ガイド。時代が生んだ名曲39曲~』で<日本レコード大賞・企画賞>を受賞。

◆「Age Free Music!」FM NACK5 毎週木曜日 24:00~25:00
◆「富澤一誠の青春のバイブル」USEN I-51 昭和ちゃんねる 毎日曜日
◆「ON THE PLANET Age Free Music~大人の音楽」 TOKYO FM系列 JFN34局ネット 毎週月~木曜日 27:06~27:21
◆「あの年この歌」BSジャパン 毎週火曜日 21:00~21:54
◆富澤一誠の<Mの黙示録R> https://news.yahoo.co.jp/byline/tomisawaissei
◆MUSIC&ARTIST DATA BANK フォーク&ニューミュージック資料館
◆富澤一誠のブログ「俺が言う!」 http://tomisawaissei.blog72.fc2.com/
◆Age Free Music大人の音楽 http://microsites.universal-music.co.jp/otonaongaku/
http://www.teichiku.co.jp/age-free-music/
◆著書一覧はコチラ http://amzn.to/2wo6z8l

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