技術は現場で身に付けた
たった一度のアドバイス
届きやすいものにメッセージを込めて
『ホス探へようこそ』という漫画をご存知だろうか。
2007年から2009年にかけて「別冊花とゆめ」(白泉社)にて連載された作品である。
ミュージカル舞台化が決定したのだが、なんと今回で4度目であるという。
長く愛されている作品、ということだろう。
読者を惹きつける作品を生み出し続ける秘訣とは…?
さあ…
漫画家
立野真琴様の登場です!
マンガ漬けの少女時代
喘息の気もあり、マンガや絵本が大好きなインドア派の子どもでしたね。
近所にマンガが好きな従兄妹がいて、読み放題の環境もありました。
そのうち自分でも描きはじめ、小5の時、見よう見まねでコマ割りマンガを描きました。
萩尾望都先生や、竹宮惠子先生がバリバリ少女マンガを描いている頃で、カッコよくって、憧れて。
ど下手クソながら16ページ完成させて、中1の時、初投稿。
当時は高校生デビューも珍しくなかったので、12歳で投稿しても良いと思ったのでしょう。
中2の頃から「花とゆめ」を愛読し始め、投稿もしていました。
学校に投稿仲間もできて、ますます漫画にのめり込んで。
高校の頃から、賞の10位には食い込むようになりました。
入賞すると、賞金と原稿用紙やスクリーントーンがもらえたんです。
投稿をしていると、定期的にお金と画材をいただける(笑)
それで、また描く。
人生の中で一番オタクっ気の強い時期で、マンガに夢中。
でもデビューまでは至らなく、行き詰まってきて、高校を卒業したら就職しようと考えていました。
技術は現場で身に付けた
ある日、編集さんから「アシスタントをやる気があって上京するなら、先生を紹介します」とお声がけいただきました。
それが『ガラスの仮面』の美内すずえ先生。
投稿も煮詰まっていたし、マンガでお仕事ができるなら行ってみようと。
母には心配されましたが、父や叔父が「まぁ一回行って、やってみなよ」と送り出してくれました。
高校卒業の余韻もなく、3月の末、東京へ。
先生のところは3ヶ月研修で、採用されたら2年間契約。
2年間みっちり教えていただける、勉強させてもらえるチャンスだと思いました。
新入りで、ロクなモンはできないんですが、すごい先輩方が沢山いらして。
スパルタで、「現場で覚えろ」という感じでした。
あんなに寝なかったことは無いですね。48時間くらいは普通に起きていました。
先生はもっと寝ていないんですけど。
先生の下書きから、26〜7時間くらいで完成原稿までもっていくとか、ありましたね。
とにかく、すごい馬力で集中し続ける。
単行本化の時は、描き直したり、新しいエピソードが追加されたり、連載とお話がかなり違ってくるので、その時は缶詰で1ヶ月帰れなかったですね。
年に2回くらいですけど。
たった一度のアドバイス
修業しながら投稿を続け、「アテナ新人大賞」佳作をいただきました。
担当さんが「もう一つ大きい賞を取ってデビューだ」と仰って、半年くらい、ネーム(漫画の設計図のようなもの)を作っては再考する作業の日々。
やっとネームにOKが出た時、美内先生の所へお手伝いに行くと、ふいに「真琴ちゃん、ネームどうしてるの」と、お尋ねになられて。
「これから投稿します」と言ったら「見せてみなさい」と。
普段はそんなこと言わない方なのに。
そして、「ライバルを出した方が良いよ」とアドバイスをいただき、ネームを直しました。
投稿時代、よく「キャラが立ってない」と批評されていましたが、当時は意味がわかっていませんでした。
今見ると「ああ、面白くないね」ってわかるんですけど(笑)
この時初めて、描いていて「キャラクターが動く」というのが理解できました。
それがデビュー作『ミッキー&一也』。
一也というキャラは最初、存在しなかったんです。
先生にネームを見ていただいたのは、これが最初で最後ですが、これがなかったら、6巻も続かなかったかもしれません。
21歳でデビューしたのですが、やっぱり一番嬉しかったです。
自分の作品が雑誌に載る、あのときの感動はやっぱり特別。
お父さんもお母さんも喜んでくれました。
プチ挫折との戦い
大きな挫折は幸いなことにありません。
プチ挫折は折々にありますが(笑)
『ミッキー&一也』はアイドルの話でしたが、連載中に空前のバンドブームを迎えました。
「バンドマンガ」がたくさん出てきて、「もうアイドルの時代じゃない」と連載は途中でストップ。
違うものを描こうと、読み切りを描いては感触を探り、感触が良くないから次、これもダメだから次と、読み切りを何本も描いて。
その内、感触が良いものが出来て、連載になる。
これが、連載が終わるごとにやってくる。
続きを描きたい読み切りって、読者に透けて見えるのか、感触が悪いんですよ。
いっそ「これっきり!」というつもりで描いた方が、「続きを読みたい」と言っていただける。
それは覚えました。でもね、未だに狙ってもダメです(笑)
人とのご縁で仕事が広がる
『NIGHTHEAD』というSFドラマが大好きで、同人誌まで作っていたんですが、友人から飯田譲治監督にご紹介を受け、同作のコミカライズをやらせていただきました。
映画版にエキストラとして出演までしているんですよ(笑)
『YELLOW』はアメリカとドイツで好評をいただき、両国のイベントにどちらも3回ずつ招聘されました。
ニュアンスまで伝わっているのかなぁ、という不安が吹っ飛ぶほど、マンガファンがたくさんいて、「好きだぁ!」って来てくれる。
好きな作品へのパワーってすごいなぁ、伝わったんだなぁ、と思いました。
ドラマ化や舞台化については、ただただ感謝です。
大ヒットした訳でもない作品を、ちゃんと理解して手を挙げていただけるのは、とても有難い。
『ホス探へようこそ』もヒット作かと問われたら、そうでもない。
それを声優のお友達が、みんな持ち出しで朗読劇をやってくれて。
堀江一眞さん、阿部敦さんなど、今考えたらかなり豪華なキャスト。
それを観た方が舞台化してくれて…縁のつながりを感じます。
届きやすいものにメッセージを込めて
30年以上やってきて、描くものは変わってきています。
昔の作品は恥ずかしくて。
技術の低さはもちろん、こんなキザったらしいセリフを…とか(笑)
若い頃は、サブカル系とかカッコいいものに憧れていました。
でも、身の丈に合っていなくて、知識も足りず、当然ハマらない。
憧れと描けるものは違うとわかって、ストンと入るようなものを描いていこうと決めて、その辺りで小難しい漫画への憧れはなくなったかな。
沢山のキャラが喋ったり考えたりしたら、マンガはわかりにくくなるんです。
「モノローグは主人公にしか語らせない」とか、途中途中、どんどんそぎ落とされた気がします。
ちょっと残ったマニア心で、「なるほど!」という仕掛けは入れますが。
中高生の読者も増えてきて、読みやすいものってやっぱり良いんだな、と。
ゴリ押ししなくても伝わるし、そこにメッセージも込められる。
そういう作品を描いていきたいです。
取材を終えて・・・
漫画の舞台化は最近では珍しくないが、4度目を迎える作品はそう多くはないだろう。
「わかりやすく、でもメッセージを込めて」という信条の賜物であろうか。
雑談時に仰っていた「(読みやすい作品を描きたい、という発言と)相反するようだけど、伏線を張り巡らせた謎解きを入れた、大人向けのドラマも描いてみたい」というお言葉にも期待したい。
プロフィール
立野真琴(たての・まこと)
美内すずえ氏のアシスタントを経て、1986年『ミッキー&一也』シリーズでデビュー。
作品は少女漫画からボーイズラブまで幅広く、多岐にわたり、小説の挿絵も多数手がけている。
海外にも多数読者を持ち、ドイツ、アメリカ等で翻訳されている他、海外のイベントへの招聘も多い。
漫画家グループ「ぽけまん」メンバーで、公式サイトで『ミッキー&一也』シリーズが無料公開されている。
2007年『ハッピィ★ボーイズ』がテレビ東京系でドラマ化。
『YELLOW』や『青い羊の夢』など、ドラマCD化されている作品も。
『ホス探へようこそ』は2008年から2012年にかけ、声優による朗読劇として上演、2016年から舞台化され、好評を得る。
2017年7月5日から9日まで、新宿村LIVEにて、ミュージカル『ホス探へようこそ ザ・サード』が上演予定。
◆Twitter
https://twitter.com/tatemako_64
◆立野真琴公認ブログ
http://makotot.at.webry.info/
◆Amazon著者ページ
http://amzn.to/2tsbRgA
◆ぽけまん『ミッキー&一也』無料公開ページ
http://pokeman.jp/archives/2267
◆ミュージカル『ホス探へようこそ ザ・サード』公式
http://www.g-mmc.com/hostan3.html