1923年から続く老舗オーダースーツメーカーを率いるスゴい人!

人生のロールモデルは祖父

突然呼び戻され、25億円の負債を抱えることに

オーダースーツで日本人のスーツ姿を格好よくする!

本日登場するスゴい人は、創業94年の老舗オーダースーツメーカーを率いるスゴい人。
同社はオーダースーツを19,800円から購入可能にし、現在では関東を中心に全国に直販店「オーダースーツSADA」を40店舗展開。
若者向けオーダースーツ店店舗数日本一であり、毎年5店舗ペースで出店を続ける同社だが、かつては借金が重くのしかかり、どうにもならない状態だったという。
彼はどのようにして会社を再生させたのだろうか?

さあ…
株式会社佐田
代表取締役社長 佐田 展隆様の登場です!


人生のロールモデルは祖父

私は小さいころ、祖父と過ごす時間が非常に長く、おじいちゃん子でした。
祖父は満州で戦っていて、生きて帰ってきた戦争経験者でした。
祖父から聞いた戦地での話や、あの時代の日本人の考え方は、今の私のポリシーのベースとなっています。
男なら、迷ったら茨の道を行けと口癖のように言っていました。
そこまで意識してはいませんでしたが、私の人生を振り返ってみると、常に茨の道を選んでいました。
祖父とのコミュニケーションが、私の人生の軸を作ってくれたと思っています。

突然呼び戻され、25億円の負債を抱えることに

大学卒業後、東レに就職しましたが、2003年の年末に父から「どうにもならないので帰ってこい」と声がかかり、すぐに戻りました。
入社から間もなく4年が経つタイミングでした。
父の時には百貨店のそごうの下請け工場としてオーダースーツの製造をしていて、売り上げの半分がそごうでした。
しかし、2000年にそごう、マイカル、長崎屋が倒産して、3社と取引のあった当社はバブルの崩壊でほぼ致命傷を受けたのです。
帰るなり金融機関で根保証を入れさせられ、数字を見てみると、経営状態はボロボロ。
売上22億円で25億円の負債を抱えていて、営業赤字でした。
毎年金利だけで約1億円を支払わなければならず、1億円近い経常赤字が出る状況です。
最初の頃は「こんな状態の会社に上場企業から呼び戻してどういうつもりだ!俺の人生終わらせやがって!」と父を罵っていました。

会社の命運をかけた北京製品の営業

どうせダメなら足掻こう、足掻くなら会社で一番どうにもなっていないところをと思い、東レでも営業でしたから、営業に力を入れました。
当時父が描いていた絵では、北京工場を移転拡大していたのが、最後の賭けでした。
北京製品がそれまでと同じくらい売れれば、原価が大きく下がる分利益も出て、借金も返していけるのではないかという考えでした。
しかし私が今思い返しても、北京工場の製品は品質的にはまだイマイチな部分がたくさんあり、全然売れていませんでした。
父の描いた絵が全く前に進んでおらず、当時の営業メンバーには売る力が無かったのです。
せっかく北京商品という、品質はまだイマイチかもしれないけれど、コスト競争力が絶大な商品があり、これを提案することで会社の窮状を打開できる可能性がある。
それを売ればいいと誰でも思うのに、誰もやっていなかったのです。
当時は、少しでも赤字幅を小さくするために、受注数ばかり増やしていたため、取引の3分の1が赤字ビジネスでした。
私は北京商品への切替の提案営業、それがだめなら既存の赤字取引の値上げ交渉、そして新規開拓を営業の皆さんにしていただきました。
最初は「メイドインチャイナのオーダースーツなんて売れないよ」と断られると、社員が「ですよねぇ」と言って帰ってきてしまいました。
私はその社員に「営業はNOと言われてからが営業なんです」と言って、再度提案に行ってもらいました。
相手は60歳くらいの社員。でも言わざるを得なかったんです。
生きるか死ぬか、この北京製品が売れなければ終わりだと、誰も感じていなかったのです。
営業の幹部の半分くらいが辞めていきました。
あわせて、北京工場に「これでは売り物になりません」と改善させに行きました。
当時の工場長と話をしても改善せず、一番腕のいい国内工場長を説得して北京工場に行っていただきました。

黒字化すれば何とかなると思っていたのに…

結果はついてきまして、3年で経常黒字にまでなり、営業利益を1億円くらい出せる会社になりました。
ただ営業利益が1億円あっても、金利を払って終わり。元本は返済できません。
それまで、従業員の給料カットや取引先への支払いの先延ばしなどをしながら、金利だけを払って数年間生きていた会社でした。
黒字化したと業界で噂になると、取引先からは早く支払ってくれと言われ、仕入れを止められ、労働組合からは昇給やボーナスの要求があり、ストの準備までされてしまいました。
この時は流石にもうだめだと思いました。
黒字化したがために、今まで味方だった人たちが敵になったような気持ちで、その時期が一番精神的に厳しかったですね。
しかし、当時の小泉内閣が金融機関に不良債権処理を迫るという方針を打ち出してくれました。
金融機関にもう畳みますと言いに行くと金融機関の方から私的再生の提案があり、債権放棄してもらい、ファンドからお金を入れてもらって、2007年に再生が完了しました。
ただ、完了間際になって父が隠していた簿外の債務、未払い給料が発覚し、会社は残すが佐田家は追放となり、父は自己破産して、父も私も会社を離れることとなりました。

業界のタブーに切り込み、直販店を拡大

私は3年間会社を離れていたのですが、リーマンショックと東日本大震災の影響で再び営業赤字に落ち込みどうしようもないと、当時の社長が私に電話をかけてきたのです。
知り合い全員からやめろ、無理だと言われ、妻も泣いて止めましたね。
しかし、社員からも戻ってきてほしいと言われ、ここで断ったら男が廃ると、妻に土下座して会社に戻りました。
その時点で直販店の次の出店が決まっていましたが、当時は取引先に遠慮しながら直販をしていました。
そんな中、2011年の10月に新宿店を出しました。
乗降客数の多い、沿線に取引先がたくさんある立地は、一番のタブーです。
社員からも止められました。
しかし、取引先も話せばわかってくれたのです。
新宿店が成功してから出店攻勢をかけて、今では40店舗になりました。

量を追えば質がついてくる

仕事は、出足と手数とPDCAサイクルです。
「やった方がいいよね。でも…」と言っていてはうまく行きません。
出足が遅いと手数を尽くせない。
また、質を追う人には量はついてこないけれど、量を負う人には質がついてきて、両方を満たすことができるようになります。
量を追ったら必ず、PDCAサイクルを回すことが必要です。
PDCAを回さないと失敗を量産するようになってしまいますから。
これを短いサイクルできっちり回して、手数を尽くせばうまく行きます。

オーダースーツで日本人のスーツ姿を格好よくする!

私は、日本人のスーツ姿を格好よくしたいと思っています。
体に合わないスーツほど格好悪いものはありません。
日本人がこれほどスーツを着るのは、戦後すぐにどんな方を相手にしてもスーツであれば失礼が無いと、勤め人が買ったことが始まりです。
つまり、おもてなしの意を相手に表すためのアイテムがビジネススーツ、真のおしゃれとはおもてなしなのです。
オーダースーツを通じて、日本人のおもてなしの心を思い出してほしい。
その為に、これからもオーダースーツを広めていきます。

取材を終えて・・・

誰もが無理だと思うような、数々の困難を乗り越えていらっしゃったお話は、聞いていて驚くことばかりでした。
黒字化後に訪れた困難な時期は、体育会で鍛えられたという強い精神をお持ちの佐田社長でさえ、少し精神的におかしくなってしまったほどと聞き、その時どれだけ追い込まれていたかを感じました。
取材時にも、スラっとした体形にフィットしたチェック柄のスーツを格好よく着こなしていらっしゃった佐田社長。
第一印象で流石!と思いました。
ヨーロッパでは吊るし(既製品)のスーツはあまり買われないそうです。
オーダースーツというと敷居が高く感じますが、同社の製品は既製品と変わらない価格から購入可能なので、若い人もオーダースーツに手が届きやすいです。
日本人のスーツ姿が格好良くなる日が楽しみです。


プロフィール

佐田展隆(さだ・のぶたか)
株式会社佐田 代表取締役社長
一橋大学経済学部卒業後、東レに入社。2003年株式会社佐田入社。05年代表取締役社長。08年退社後、11年7月佐田に再入社。12年社長に復帰。
現在関東を中心に全国に直販店40店舗を展開。
若者向けオーダースーツ店店舗数日本一、オーダースーツチェーン出店速度日本一を誇る。
また、オフィシャルスーツサプライヤーとして千葉ロッテマリーンズ、東京ヤクルトスワローズ、大宮アルディージャ、柏レイソルなど数々のプロスポーツチームにスーツを提供している。

◆オーダースーツSADA
http://www.ordersuit.info/

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