何もわからないまま保険の世界へ
愛する子どもと離れ、東京で新たなスタート
一人一人が生きがいを持つ世界へ
これまでに13000人が受験した「終活カウンセラー検定」
最近では一般的な言葉として浸透した「終活」について、じっくりとお話を聞き、お困りごとに対して相談すべき相手を示す案内人となる。
終活の相談内容はお葬式やお墓はもちろん、相続や遺言、保険、介護、健康など多岐にわたる。
本日登場するのは、終活カウンセラーの生みの親。
一体どのようにして終活カウンセラーは生まれたのだろうか?
さあ…
一般社団法人終活カウンセラー協会
代表理事 武藤 頼胡様の登場です!
なんでも一人でやってきた子ども時代
両親がラーメン屋をしていたので、小さい頃からいつも一人で遊んでいました。
自分で考えながら工夫して色々なことをやっていた事が、今の自由な発想につながっていると思います。
学生時代は学費もすべて自分で工面しなければならず、一生懸命お金を稼いでいました。
両親が離婚して、再婚して、仕方がなかったんです。
8つ離れた社会人の兄がいたので助かりましたし、あまり悲観することもなかったですね。
自由で楽しかったです。
嫌なことがあっても、すぐに忘れてしまう性格なんです。
何もわからないまま保険の世界へ
21歳の時に一人で子どもを産んで、とにかく働いて稼がなきゃという思いがありました。
給料のいい職業一覧のようなものを見て、保険の仕事が何かもさっぱりわからないまま、保険業界に飛び込みました。
入社してすぐ、2年でトレーナーになりなさいと言われて、右も左もわからないまま営業を始めました。
当時先輩方はコネや人脈で契約を取っていましたが、私は若かったのでコネもお金も知識もありません。
だからコツコツやるしかなくて、ある先輩に「車は点の営業しかできない、自転車は線の営業しかできない、徒歩なら面の営業ができる」と言われて、最初の3か月くらいは担当地域を歩いて1日500軒チャイムを押し続けました。
「いりません」「帰れ」などと言われることもありましたが、それだけいっぱい回っていると良い面もありました。
農家のおじさんの畑仕事の様子を見ていたら「これ持っていくか?」と言われて、何気なく畑仕事を手伝い始めたらいつの間にか毎日手伝うようになり、1年後「1000万円預けるから何とかしてくれ」と言われたことがありました。
一つ良かったのは、当時保険で若い人は珍しかったので、「聞いてあげようかな」と思ってくださったのだと思います。
その時の上司が目標を絶対達成してくる私の性格を見抜いていて、どんどん目標を与えてくれたんです。
多い時では月間17件の契約を獲得しました。
上司のお陰で成績を伸ばすことができ、目標を達成して2年でトレーナーになりました。
愛する子どもと離れ、東京で新たなスタート
その後、体を壊して仕事を辞め、2人目、3人目の子どもを産んで主婦をしていた時期もあったのですが、14年前のある日、突然静岡から東京に一人で出てきてしまったんです。
夫婦仲がうまく行かなくて、子どもは連れて行きたかったんですけど、どうしても連れていけない事情があって。
後で迎えに来よう、どこかで生活基盤を作らなければ、と思ってスーツケース一つと60万円を握りしめて、東海道線に乗って東京にきました。
子どもと離れ離れになった時は本当につらかったです。
部屋を借りたら資金の半分が無くなってしまい、部屋には電話とテーブル代わりのミカン箱と、友達からもらったテレビしかありませんでした。
仕事は損害保険のコールセンターに派遣で入り、3か月でスカウトされて正社員になりました。
「スクリプト」という会話例のようなものを通勤電車に乗っている8分間で2回、頭の中で繰り返さないと降りないと決めて、何回隣の駅まで行ってしまったかわかりません。
とにかく一生懸命でした。
その頃は本当にお金が無くて、500円の傘を買うのにすごく躊躇しましたし、100円の定期入れをはがれるまで使っていましたね。
学生時代もお金はありませんでしたが、世の中もっとどん底があるんだと思いました。
離れていても子育てはできるんだ!
その頃、本当は母親だから自分の子を育てなければいけないのに育てられていなくて、何か離れていても出来る事はないかと考えていたんです。
ごはんも作ってあげられないし、おしめも変えられないし…と考えて、「そうだ!世の中を良くすることも子育てになる!」と思ったんです。
それから、一人一人が生きがいを持つ世界を創ろうと決めました。
そう思った瞬間に、離れていても私にもできることがあると思えるようになり、目標ができました。
当時はそれを仕事にしようとか、起業しようという考えは全くありませんでした。
偶然の出会いから終活カウンセラーが誕生
勤めていた会社を辞めて半年が経ち、とにかく電車が苦手で通勤したくなかった私は、自分でやればいいんだ!と会社を創りました。
でも、何をやるかは全く決まっていませんでした。
ちょうどその頃、地元の三島で葬儀社の社長をやっている方がいて、葬儀社ってどんなことをするんだろうと思い、何の気もなく仕事を見に行きました。
そこでお葬式セミナーをやっている先生がいたんです。
お葬式がセミナーになるとは驚きました。
その出会いから、先生のセミナーにカバン持ちとして1年半ついて回っていると、セミナーを聞きに来ている高齢者の方が、質疑応答の時にお葬式以外に相続や家族関係などの質問をしていて、「悩み事を言う場所がないんだな」と常々思っていました。
同じ頃に終活という言葉を目にして、高齢者の方々もこの言葉で困っていることや苦しいことを解決できるんじゃないかと閃いたんです。
当時はまだ終活という言葉の定義が無かったので、色々なことを総括できる言葉に変えればいいんだと思い、終活カウンセラーとして「終活相談センター」というWEBサイトを立ち上げました。
縁起でもないと避けてしまいがちな話題ですが、みんなもっと勉強して知るべきだと思い、勉強するスキームを作ることにしました。
ただのセミナーではなく、資格にすればみんな生きがいをもって勉強するはず!
検定は、終活をみんなに勉強してもらいたいという思いでできたものでした。
最初に作った企画書に「人の相談を受けることで生きがいができる」と書いていたのですが、今ではその通りになり、受けてよかったと言ってもらえるのが嬉しいですね。
私一人で始めた活動が、今では全国にカウンセラーさんがいて、幸せだなぁと感じます。
終活カウンセラーを作って良かったと思いました。
一人一人が生きがいを持つ世界へ
今後は、一人一人が生きがいを持つ世界を創るために、私は終活の立場から、高齢者が安心・安全に暮らせる環境づくりをします。
終活カウンセラーは、終活の水先案内人です。
日本全国で終活の相談ができるようになるためには、終活カウンセラーが52260人必要です。
2025年までに、勉強会を積極的に開いてカウンセラーを育成していきます。
取材を終えて・・・
「終活カウンセラー」とは、終活の手前の水先案内人だと、武藤さんはおっしゃっていました。
人生の終わりの話というのは、「縁起でもない」とどうしても避けてしまいがちで、いざその時がやってくると、困ってもどこに相談していいのかもわからない。
そんな時に、相談すべき相手を案内してくれるのが、終活カウンセラーさんなのだそうです。
保険営業時代も、コールセンター時代も、とにかく言われたことを素直に受け入れ、出来る事をコツコツと積み重ねて結果を出されていましたが、武藤さんのような努力の積み重ねは、特別なものが必要ないため誰でも真似できるようで、「誰よりも速く」取り組むことはなかなか真似できないことだと思いました。
プロフィール
武藤頼胡(むとう・よりこ)
一般社団法人終活カウンセラー協会 代表理事
明海大学ホスピタリティツーリズム学科外部講師
「終活カウンセラー」の生みの親。自身も終活カウンセラーとして活動しながら、「終活」についての大切さを一般目線で伝えるため、毎月巣鴨、浅草でアンケートを実施中。
リンテアライン株式会社では、葬祭業のコンサルタント事業を展開。お客様目線とクライアント希望の両方を加味した提案を心がけ実践中。
◆一般社団法人終活カウンセラー協会
http://www.shukatsu-csl.jp/
◆リンテアライン株式会社
http://rintealign.com/index.html