紆余曲折を経て、漫画家アシスタントに
「妥協」という挫折を超えて
諦めなければ何にだってなれる
漫画家としてのキャリアスタートは、決して早くなかった。
しかし、連載デビュー作『サトラレ』がスタジオジブリ・鈴木敏夫プロデューサーの目に留まり、『踊る大捜査線』シリーズで注目を浴びていた本広克行監督によって映画化が決定。
単行本の一巻発売とほぼ同時に映画が公開されるという快挙を成し遂げる。
その後、間も無くドラマ化もされ、長く愛される作品となった。
人々を引き込む物語はいかにして生まれたのか。
さあ…
漫画家
佐藤 マコト様の登場です!
小学生の時のアダ名は“コンニャク人間”
常にフラフラしっ放しで、ついたアダ名が「コンニャク人間」
通知表には「落ち着きが無い」と毎年書かれていました。
親戚筋に食えない漫画家がいて、漫画は悪者だったんですね。
絵を描こうもんならぶっ飛ばされるような家でした。
でも絵を描くのはずっと好きで…普通、チューリップって横から描きますよね?
1年生の時、上から描いてみたら「絵の才能がある」なんて褒められて。
学校では落書きをリクエストされたり。
家ではぶっ飛ばされるから描かなかったけど(笑)
バイト三昧の中高生時代
親父の会社が建築系で、当時の海外開発ブームもあり、小学生の時は裕福でした。
その恩恵は母親の趣味であった着物だとか三味線、琴、詩吟…そんなんで無くなっちゃうんですが。
後で知って「親父そんなに稼いでいたの!?」と驚きました。
中学の時は知り合いのところでバイト、高校もバイト三昧で家にお金を入れていました。「あと1日休んだら卒業できない」という限界までいって。
就活のときに担任の先生から「欠席日数を突っ込まれて、体が弱いって思われるぐらいなら本当のことを言え」とアドバイスをいただき、正直に「ズル休みです」と言うと、デザイン会社に落とされました。
面接が全滅した後、先生に「絵が得意なんだから、漫画家になれ」と言われまして。
ちば拓先生のアシスタントになりたいって、絵を送ったんです。
それなのに真逆の、とある劇画タッチの先生を紹介されて。
画調が合わないのでお断りしてしまったんです。
紆余曲折を経て、漫画家アシスタントに
結局、親父の会社に縁故で就職。
いずれ現場監督に…という話で「見てりゃいい」って言われたんですが、作業を年長の方々だけにやらせる訳にはいかず。
兼業で作業もして、睡眠時間が毎日3時間。
3年目でぶっ倒れてドクターストップがかかり、「ダメだ、向いていない」と悟りました。
「絵が上手い」という評判は皆さんご存知だったので、言い訳で「アニメやります」って言って辞めました(笑)
23歳でアニメ会社に入ったんですが、月給が当時3万円。
動画1日40枚がノルマで、ノルマを超えると1枚につき幾ら、という感じ。
女性ばっかりなんです。男はその給料じゃ結婚できないから、転職しちゃう。とんでもない世界だと、研修期間中に辞めました。
帰りに立ち読みした雑誌でアシスタントを募集していて、その場で電話。
「岡田ユキオ先生が大阪から出てくるので、アシスタントを頼みたい」というお話でした。
先生も当時新人で、アシスタントは僕一人。
大変でしたけど、勉強になりました。
スクリーントーンの速さが評判で、あちこちお声がけいただけるようになって。
もうこれはアシスタント専門で食べていこうと思いましたね。
連載&映画化決定!
29歳の時、一作も描かないのはどうなんだ、と描いた『個人世界』が雑誌に掲載され、原稿料の他に賞金もいただけた。それからは賞金稼ぎです。
4本目に描いた『箱入り娘』で担当さんがついて、連載のお話をいただき、33歳で『サトラレ』が始まりました。
4話目がジブリの鈴木敏夫さんの目に留まり、本広克行監督で映画化が決定しました。
お二人とも読んで泣いてくださったとか。
映画公開と単行本1巻発売が同時くらい。
映画化からしばらく経って、ドラマ化のお話もいただきました。
「サトラレ」って言葉は広まって、地元でも「お前がかいたの?」「知ってる〜」なんて。
それで単行本が売れたかって言ったら、微妙ですが(笑)
逆転の発想
僕の漫画って、本物か偽物かなんです。
『個人世界』は「リアル」と「仮想現実」。『サトラレ』は「本音」と「建前」。
『サトラレ』はパターン化し易い設定だったので、連載時は熟考していました。
読者を驚かせるための「“へー”ネタ」探しから始めて、25日間くらい話を考えて、それからガッと描くという。同じテーマは1回もないはず。
具体的には「氷砂糖は火打石として使える」という「へー」を見つけてきたとします。
最初「画家が暗闇で事故にあうが、一瞬の火花で景色を焼き付けて人々を救助する」って話を考えて。
物語上あまり必要無い話だから、医者の「サトラレ」と敵対するキャラの仲を近づけるのに使おうと。
すると暗闇で手術するしかない。
だからそういう状況を作って本筋に組み込んだ。
「口紅は体温で溶けるロウだ」という「へー」は、時限装置に使えるな、じゃあ新キャラを立てるために使おうと。
旦那がくれたセンスのない口紅がある。それで口紅を溶かすという時限装置を作って危機を切り抜けさせよう、とか。
発想がストレートすぎるとつまらない。
使えなかった物こそが活きるという、マイナスから逆転するから面白くって。
「妥協」という挫折を越えて
この道に入ってからの挫折、というか、挫折しっぱなし。漫画って挫折して描いていくんです。
また愚作を描いてしまった…なんて。「妥協」という挫折。
大きかったのは初めての打ち切り、単行本にもならなかった『逃亡医F』
単行本化しない場合、単行本に満たないページ数で打ち切りっていうのが暗黙の了解なんですが、4巻分は描いたのに、打ち切り、単行本無し。
「そういうことあるんだ!」って。
経済的にも困りましたね。アシスタントさんへの給料や経費を差っ引くと、単行本だけが収入源だったので。
内なるドラマを描きたい!
描きたいものを描いてきて、振り返るとほとんど全部SFなんです。
これから描いていきたいものは、徹底的にどん底の逆境から立ち上がっていくような作品。
整形美人になる番組がありましたが、実在の人間が美人になるから面白いんで、漫画でやっても全然ドラマチックじゃない。
整形に至るまでの葛藤とか内面を描いていかないとドラマにならないから、やはり内面のドラマを描きたい。
今、手掛けている作品は「コミュニケーション」の話です。
諦めなければ何にだってなれる
人の親として、次世代の大人たちへ言いたいこと。
無我夢中になってほしい。色々な恐怖を乗り越えて、夢中でやれるものをみつけてほしい。諦めなければ何にだってなれる。
アマゾン川を自家製の筏で下ったりしている、冒険家の坪井伸吾さんという友人がおりまして、動機は簡単で「自分の限界」はどれくらいか知りたかったんだそうです。
今って情報化社会で「この道を行けばこうなる」「どうせこうでしょ」って知らされすぎているようで…「そんな風に斜めに見ないで、まず体動かせよ!」と。
常に冒険する気持ちを忘れないで。
そういうのがないとAIにとって代わられちゃうよ!!
取材を終えて・・・
裕福な子ども時代から、一転バイト生活。
現場監督、アニメーター、プロアシスタントを経て、漫画家へ。
映画化・ドラマ化と1つの時代を作った!『サトラレ』で鮮烈なデビューを遂げた後、打ち切り・無単行本化という洗礼を受ける。
はたから見ると、なんとも起伏の激しい道筋に思えるが、少しも悲愴感を感じなかった。
漫画家になるまでの紆余曲折を語る時も、大きな挫折を語る時も、何というか「キラキラしている」のだ。
まるで、少年が今までの冒険の道程を語ってくれるかのように。
漫画家・佐藤マコトはずっと、無我夢中に冒険中なのだろう。
これからの冒険の途中で生み出される、新しい作品が楽しみで仕方がない。
プロフィール
佐藤マコト(さとう・まこと)
1963年、東京都生まれ。漫画家。
作品に、『サトラレ』『轟けっ!鉄骨くん』『無修正学級狩られ屋』『Qの系譜』など。
『サトラレ』は2001年3月に映画化、翌2002年7月にテレビ朝日系でドラマ化された。
・まんが王国 じっくり試し読み『サトラレ』:https://comic.k-manga.jp/title/21996/pv
・マンガ図書館Z『逃亡医F』:https://www.mangaz.com/book/detail/4241
・マンガ図書館Z『箱入り娘』:http://www.mangaz.com/book/detail/41731