本日登場するスゴい人は、カンヌ国際映画祭にも出展された自主製作映画のプロデューサーのスゴい人!
同作品はもともと、彼が実行委員長を務める「四万十映画祭」で上映するために作られた。
四万十市の魅力を伝えるべく、地元出身の監督、俳優や多数の有志メンバーが集まって創り上げた作品だ。
今年(2015年)2月に行われた映画祭は大成功をおさめた。
それだけにとどまらず、3月には東京アニメアワードフェスティバルのアニメ予告編コンペティションの作品として特別上映。
続いて沖縄国際映画祭特別招待作品として上映、レッドカーペットを歩いた。
そして5月、世界三大映画祭のカンヌ国際映画祭で正式上映され、世界の舞台で高い評価を得た。
何故これほどの大成功を収めることができたのか?
さあ…
四万十映画祭 実行委員長
『あらうんど四万十』プロデューサー
米津太様の登場です!
「四万十映画祭を!」
私はもともと地元の青年起業家仲間と、地方再生の企画を考えていました。
地元、高知県四万十市には素晴らしい資産があるのに、活かせていなかったのです。
過疎も進み、10年前に地元から映画館が無くなってしまいました。
そこで、子どもたちにも大画面で多数の人達と感情の共有ができる、映画の素晴らしさを伝えたいという想いもあり、地元からも県外からも人が集まる映画祭を企画しました。
準備中、松田大佑監督と出会い、「四万十ではもう30年近く映画のロケが行われていない。四万十を舞台にして、今四万十でブームになっている自転車の映画を撮って欲しい」と話を受け、第2回の映画祭に向けて四万十の映画を作ることが決まりました。
何もかもが初めての経験の中、立て続けにアクシデントが起き、完成しないのではと不安になった時もありました。
しかし、地元の方々のご協力と不屈の精神で皆で乗り切り、なんとか映画祭の4日前に完成。
第2回四万十映画祭での上映は大成功でした。
映画祭が終わってすぐ、JETROから自主製作映画の成功について聞きたいとメールが届きました。
当時私はこの映画をどうやったら多くの人に観ていただけるのか、と毎日考えていたのでご縁を感じ、その日に連絡を取って会いに行きました。
ひとしきり話した後、先方の口から出たのは、
「カンヌに行ってみませんか?お約束は出来ませんが、JETROのジャパンブースに出展申請してみませんか?」
最初は何を言われているのかもわかりませんでしたが、ダメもとで申請しました。
まさか通らないだろうと思っていると、1ヶ月後に出展決定の通知が届いたのです。
素人の私が、あのカンヌですよ。そりゃあぶったまげました。
現地で公式上映して、世界のバイヤーさんたちに観てもらい、ドキドキしながら感想を聞くと、好感触。
あらゆる地域のバイヤーさんが観て、多くの評価をくださいました。
こんなことがあるんだと、他人事のようでした。
カンヌから帰ってきて1ヶ月、カンヌで出会った台湾の配給会社から契約したいとメールが届き、この時は衝撃と喜びで涙が溢れました。
その後、地元高知と新居浜、東京でも上映できました。
この映画は、本当に多くの人の力でできあがりました。
ご協力くださった方、ご縁、目に見えない力、奇跡の連続に感謝しています。
こうしてご協力・応援してくださった皆様にご報告できる事を心より幸せに思っています。
ありがとうございました。
◆あらうんど四万十ホームページ
http://40010movie.com/