世界初の冷凍和菓子を開発した会社を受け継ぐスゴい人!

本日登場するスゴい人は、世界初の冷凍和菓子を開発・販売する会社を受け継ぐ二代目社長のスゴい人!

昭和29年に彼の父が製粉業として創業。
30年代は製粉を中心に行い、40年代に入るとせんべいの生産販売を開始。
40年代後半からは団子の生産を開始。
如何に長持ちさせるかを競っていた時代に、添加物を加えず和菓子本来の「朝作ったら夕方硬くなる」という「今日作って今日売る・北上京団子」を生み出し大ヒット。
その後、海外での和菓子販売のために開発した世界初の冷凍大福は、食品添加物を使用せず、解凍後に柔らかい食感を楽しめることで人気を博した。

創業者の想いを受け継ぐ現社長は、何を目指しているのだろうか?

さあ…
岩手阿部製粉株式会社
代表取締役社長
阿部明様の登場です!

「歴史を受け継ぐ」

祖父が戦前に製材業を営んでいましたが、戦争の影響で廃業。
のちに父がその製材店にあった小さな製粉機でご近所の米を粉にした事から当社は始まりました。
昭和30年代はどんな粉でも喜んで買ってもらえましたが、素人でしたので根本的な製粉方法が間違っていて、米がたくさん取れるようになると「阿部さんの粉は良くない」と言われるようになり、品質改良のために自社の粉でせんべいを作り始めたのだそうです。

私が物心ついた頃から両親は朝から晩までずっと現場で一生懸命働いていて、粉をひいてはせんべいを試作していました。
普段は祖父母と二人の兄と暮らしていて、長い時だと1か月も両親とほとんど会えないこともありました。

品質改良が成功し、当社の粉が柏餅に良いということで大口のお客様が増えていきましたが、他社のシェアを奪ってしまったために恨みを買ってしまいました。
ちょうどその頃に当社の粉を使用しているメーカーで食中毒が発生。
乾燥している粉が食中毒の原因になることなどまず考えられないのですが、「食中毒発生メーカーの共通原料は阿部製粉」と新聞に書かれてしまい、食中毒の濡れ衣を着せられてしまったのです。
検査の結果原料が原因ではない事が分かりましたが、父は濡れ衣をかぶせたメーカーを許さず、売り上げの80%が無くなりました。
当社の倉庫には粉になるはずの米が山積みになっていて、明日の事もわからず、この時ばかりは一家全員で首を吊るのではないかと思うほど困っていました。

しかし、この時の苦労があったからこそ、米の在庫を一掃するほどの大ヒットとなっただんごが生まれ、弊社の看板となった冷凍和菓子が生まれました。
冷凍和菓子は前例の無い商品でしたので、日本での販売までには賞味期限の表示の方法など多数のハードルがありました。
また発売後10年程は、「冷凍した和菓子を自然解凍して販売できるはずがない」とあらぬ疑いをかけられたこともありましたが、どんな困難な時にも自助努力の精神で家族で力を合わせ、乗り越えてきました。

近年では国産原料は価格で輸入品に負けてしまうため、生産者がどんどん減ってしまっています。
私たちは今後も地域農業、国内農業への貢献のために、地域や国内の原料で商品を作っていきます。

父は今も健在で、よく会社に来てくれます。
会社にとってなくてはならない歴史的、精神的な支柱です。
父が築いてきた会社を、今後も大事に守り続けます。

◆芽吹き屋 コーポレートサイト
http://www.mebukiya.co.jp/

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