本日登場するスゴい人は、染織研究家として活躍する女性。
彼女は京都の染色の家に生まれ、女学校を卒業後、京都新聞文化部の記者を経て、家業を受け継いだ。
女性染色作家の先駆けとして、きものや帯のデザイン、製作を手掛け、30代の頃には染と織の研究のため単身アメリカへ渡った。
キャリアウーマンの先駆けともいえる存在である。
94歳を迎えた現在もなお、講演や執筆活動を通して日本の染と織の魅力を伝え続けるスゴい人の教えとは?
さあ…
染織研究家
木村孝様の登場です!
「好きな仕事をする幸せ」
戦争中は配給される豆の搾りかすを食べて、お米が無い時には着物を持って行ってお米と替えてもらい、生活をしていました。
ひどい物を食べていたと思いますが、今となっては糖尿病にもならず、良かったと思っています。
不自由でしたが、幸せでした。
「ペンは剣より強い」と本で読み、若い頃は詩を書いていました。
女学校を卒業後は京都新聞で記者として働きました。
「女の子に何ができるか?」と言われ、悔しくて悔しくて仕方が無い事も何度もありましたが、男性社員達の前で涙を見せたら馬鹿にされると思い、家に帰るまでは絶対に泣きませんでした。
ダメ出しをされては何度も直して出し直す日々で、この頃は本当に厳しくしごかれました。
京都の染色の家に生まれ、幼い頃からずっと跡取りとして仕込まれて、「あんたはどこに行っても食べていけるように育てた」と父からも太鼓判を押され、自分の一生を染色の仕事に捧げようと思っていました。
しかし、終戦と同時にみんな洋服を着るようになり、自分が信じている染と織が世界でどれだけ価値があるのかを確認しようと、30代の頃に一人でアメリカへ渡りました。
サンフランシスコからニューヨークまで見てまわり、やはり日本の染織は素晴らしいと確信しました。
そして、私はこの道で生きていきましょうと心に決めて帰国しました。
私は大好きなきものを仕事にしているのでとても幸せです。
お金儲けのためにやっていたら、これほど長くは続いていないでしょう。
でも若い人はまず、生活のために仕事をしてください。それが使命ですから。
きものは、日本女性を守ります。
古着が悪いわけではありませんが、幸せな人は自分のきものは売りません。
きものを着て幸せになって欲しいので、できれば新しいものか、お母様や親戚の方から頂いたものを着てください。
母の形見のきものは着ているだけで守られている気がするものです。
たとえ古着を着ても、帯は、そういうものを身につけて欲しいと願います。
若い人には、日本の民族衣装を知らないで年をとっても良いの?と問いたいですね。
自分の国の事を知らずに、外国の方と会うことはできません。
着付けは覚えようとすれば誰でもできることですから、自分で帯くらい締められなければ恥ずかしいと思います。
折角日本に生まれたのだから、きものを着てほしいものですね。
◆著書『今、次世代へつなぐ想い きもの春秋』
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