人は、ファッションで自分を表現したり、民族衣装を着ることで自国を再認識したりする。
ファッションデザイナーに憧れる人も多くいるだろう。
しかしプロのデザイナーになれる人は限られており、更に世界で勝負できる日本人はほんの一握りだろう。
本日登場するスゴい人は、世界のトップアーティストであるレディー・ガガから直接指名を受け、靴の受注生産を行った。
その数、2年間で25足。
全ての工程を手仕事により制作する。
もちろん、今や世界中に愛用者がいる。
かかとの無いヒールレスシューズという斬新なデザインをどのように思いついたのだろうか?
そして、如何にしてトップアーティストへと上り詰めたのだろうか?
さあ
アーティスト/シューズデザイナー
舘鼻則孝様の登場です!
「日本の伝統を世界へ」
母がスウェーデン人形づくりの講師で、家には生徒さんに配る材料や道具が沢山あり、「もの作り」が身近にある環境で僕は育ちました。
絵を描くのも好きで、漠然と美術の世界へ進もうと思い、東京藝術大学を目指しました。
合格するために高1から予備校に通うのですが、それまで常に褒められていたのに予備校では一番下手くそ。
大学に合格できるのだろうか?合格できたとしてもプロとしてやっていけるのか?と不安になりました。
しかし、世界で活躍するデザイナーになると覚悟を決めていたので、日々コツコツとデッサンを描き、二浪して大学に合格。
下位から積み上げていった5年間は、負けない自信や強い信念に繋がり、今でも仕事の糧になっています。
継続するためには、毎日同じ事の繰り返しの日常をどうやって非日常に変え、新しい発見をするかが重要なのです。
世界で活躍すると決めていたので、大学では自国を知るために着物の研究をしました。
先生に教わるのではなく自分で研究するのが、他の大学とちょっと違うかもしれません。
着物の染の技術を学び、産地に足を運びました。
在学中は古典的なものを自分なりに制作していましたが、卒業制作は視点を変えました。
自分にとって学生から社会に出るターニングポイントとなるので、合わせて日本の将来像も表現したかったのです。
在学中に研究していた花魁の下駄は、厚底。
女子高生にも厚底シューズが流行るなど、厚底文化は日本独特なので、厚底と西洋のヒールを融合させて表現してみました。
古典的な日本と現代的な日本を繋げるものづくりができれば、新しいものになるのではと思ったのです。
自分の作品を世界に発信しようと世界中に100通近くメールを送りましたが、返って来たのは3通だけ。最後に届いたレスポンスが、レディー・ガガのスタイリストだったのです。
何事も諦めずに続けることが大事だと実感しました。
アイデアは勝手に降ってくるものではなく、自分の体験から脳裏に刻まれた経験のモトから生まれるもの。
インターネットを見て情報を集め単純に知るのではなく、実際に見て触って体験することで、脳裏に記憶として刻まれ、この記憶が繋がってアイデアが生まれるのです。
これからオリンピック開催に向け、世界中が日本に注目します。
来日した外国人が日本文化を体験し、日本を好きになり、自らの言葉で日本を語って欲しいです。
これからも、自分の作品を通じて日本と世界をつなげて参ります。