本日登場するスゴい人は、大手メーカーの独占するサッカーボール市場に学生時代にベンチャーで乗り込み10年かけてシェア4位にまで浮上した、若き起業家。
資金100万円、1000球の製造から始まった事業は、10年間で年間10万球販売、年商は約4億円にまで拡大。
さらに彼の会社では、サッカー・フットサルボール、スポーツウェアの販売のほか全国でのフットサルコートの運営など、モノづくりだけでなくスポーツを楽しむ環境づくりまで手がけている。
しかし、順調に進み始めた事業も、一時は危機に陥ったという。
彼はどのようにして危機を乗り越えたのか?
さあ・・・株式会社イミオ代表取締役社長 倉林啓士郎様の登場です!
「挑戦」
希望就職先の内定も決まった大学4年生の時に、ベンチャー企業の社長のカバン持ちに応募しました。
それが、株式会社ディー・エヌ・エーの南場社長でした。
その後、新規事業立ち上げを担当させていただくことができ、内定先を断って新卒一期生として入社し、創業メンバーとともに毎日忙しく働き続けていました。
毎日が充実するあまり単位を落として留年してしまい、5年かけて卒業しました。
当時インターネット上では、商品は安ければ買われる時代。
携帯オークションサイトの運営を通してその様子を見ていて、インターネットとは真逆の「モノづくり」を事業にしたいと感じました。
付加価値の高い意味のある商品を取り扱いたいという気持ちで「イミオ(意味を)」という社名にして起業しました。
世界中を回って取扱商品を探している時に、世界で使われているサッカーボールの多くはパキスタンで製造され幼い子ども達が働いている問題があるという新聞記事を見て、子どもの頃からずっとサッカーをやっていた僕はショックと、これこそ自分が取り組むべき仕事だという使命感を感じて、フェアトレードでのサッカーボールの製造をしようと考えました。
創業後4年目くらいまでは順調に売上が伸びていました。
その時の26~27歳の僕はイケイケで(笑)、
どんどん人を採用し、現場は役員やマネージャーに任せる経営をしていました。
すると、5年目に減収減益で大赤字を出してしまったのです。
原因は、私が人や資金のマネジメントをしっかりできなかった事でした。
不採算事業を撤退するなど事業規模を縮小し、6年目から再スタートをする気持ちで原点回帰し、工場やお客様と膝を突き合わせモノづくりに取り組むようにしました。
業績が傾くと離れていくメンバーもいましたが、残って支えてくれる仲間、新たに参画してくれる仲間がいました。
それからまた売り上げも伸びるようになりました。
現在は、年商約4億円、フットサルコートの運営など、スポーツ用品作りだけでなくスポーツ環境を作る事業も行っています。
モノづくりは製造原価がある分、ネット事業よりも効率が悪いように見えるけれど、この事業によってパキスタンに雇用が生まれるなど非常にやりがいがあります。
実は、いずれは上場したいとも考えています。
元サッカー少年が学生時代にパキスタンでサッカーボールを作るビジネスを起こし、いつか上場するって、夢があると思うんです。
だから僕は挑戦を続けます。
これからも「ボールを通じて世界をより楽しく」のミッションのもと、世界を目指して事業展開していきたいと思っています。
◆株式会社イミオ
http://imio.co.jp/
※一部携帯では見られない可能性があります。