EXILEがカバーしたことで更に大ヒットした“Choo Choo Train”を作曲したスゴい人!が本日登場する。
彼はその他にも、ブラックビスケッツの「Timing」NHKおかあさんといっしょに提供した「ぼよよん行進曲」「まんまるスマイル」など多数の有名曲を作曲している。
現在では、大人から小さなお子さんまで、幅広い層のファンを持つ。
両親に「音楽がやりたいから」と宣言し、大学進学と共に上京。
大学の先輩がアーティストデビューすることになったことがきっかけで、チャンスを掴んだ。
そして、デビュー間もない時期に大ヒット曲“Choo Choo Train”生み出した。
成功の陰には、たくさんの苦悩もあった。
そして大きな挫折もした。
でも、そのおかげでさまざまな経験を得て、自分のやるべきことも見つかったと彼は語る。
さあ・・・シンガーソングライター 中西圭三様の登場です!
「喜びはリスクの壁の向こう側」
高校生までは、本格的なバンド活動もしたことがない。
「音楽の道に進みたい」
「東京に行けば、何かチャンスがあるかもしれない」
そんな単純な想いで、大学進学と同時に岡山から上京。
両親には「音楽の道に行く」と宣言した上でのことだった。
軽音楽部に所属して音楽に打ちこんでいくうち、大学の先輩である池田聡さんがスター街道を一気に駆け上がっていく姿を目の当たりにした。
ただ、それはちょうど就職活動の時期だった。
両親を安心させたいという気持ちから、音楽の道には進まず、就職するつもりでいた。
このことを母親に報告すると、意外な言葉が返ってきた。
「音楽をやるために東京に行ったんじゃないの?」
はっと我に返った。
すぐに音楽の道に進む覚悟を決めた。
そんな状況が伝わり、池田聡さんから「次のツアーにコーラスとして帯同しないか?」という願っても無いオファーをもらった。
その後2年間は、デビューを前提にほとんど経験のなかった作曲を一から勉強していた。
そして、シンガーソングライターとしてデビュー。
翌年には、スキーキャンペーンCMの楽曲を作るチャンスが巡ってきた。
その時に作曲したのが「Choo Choo Train」だった。
キャンペーンCMは成功し、デビューの翌年に自分の代表作となる曲が生まれた。
90年代の音楽業界を駆け抜けていたものの、活動を続けるうちに自分自身の目的を見失い、まさに「酸欠状態」というような状態になってしまった。
自分を見つめ直す時間が欲しくて1年間休業し、サンフランシスコで過ごした。
現地のミュージシャンとの出会いやその土地の空気感を感じて、自分のアイデンティティを取り戻した。
地元を愛すること。
そして、子供たちのために活動すること。
これが自分の進むべき道と決めた。
帰国後に事務所を辞め、独立。
独立した後は想像以上に大変だったが、ご縁で子ども番組の歌のオファーを頂いた。
実際にやってみると、キッズミュージックは、「シンプルだが、大切なものを伝えていけるもの」だった。
さらに曲のオファーを頂き、NHKおかあさんといっしょの「ぼよよん行進曲」を書き上げた。
その冒頭の歌詞は、“どんな大変なことが起きたって君の足のその下にはとてもとても丈夫な「ばね」が付いているんだぜ”
人は、誰しも挫折や失敗をする。
でも、それは将来の栄養になると思う。
大事なのは「リスクを望んで取る」こと。
リスクを取らないと本当の喜びは得られないものです。