本日登場するスゴい人は、市長に就任するや否や独自の手法で地方自治体に変革をもたらし、日本マニュフェスト大賞、日本ファシリティマネジメント大賞を受賞した。
変革を進める上でさぞかし色々な苦労があったのだろう。
そう思い、尋ねると、「何をやっていても楽しい」と返ってきた。
その言葉には、子どもが遊びに熱中するような、わくわくする気持ちを抑えられない、そういった響きを感じた。
そして、今は一つの大きな夢を掲げ、市政にあたっているという。
彼は、どのようにしてすべてのことを楽しみに変えているのだろうか。
さあ・・・浜松市長 鈴木康友様の登場です!
「やらまいか」
政治家を目指したきっかけは、小学校の宿題で毎日1200字の日記を書かされたことでした。
毎日書くことがないので、親が見ていたニュースを一緒に見て、その内容について書くことにしました。
最初は日記のためでしたが、次第に社会問題や政治に興味を持ち、政治家を目指すようになっていました。
大学卒業時、偶然松下政経塾が始まり、入塾を決意しました。
松下幸之助さんの、「勉強はこれまで沢山してきたやろ。
その知識を知恵に変えろ。」という教えに沿い、私たちはひたすら現場で学びました。
工場での現場体験や電気屋での販売実習。
ゴミの研究では、ゴミ収集車にも乗りました。
卒業後、会社経営を経て、浜松から出馬して国会議員を2期務めました。
3期目で落選し、次の選挙に向けて準備をしていた折に、浜松市長選への出馬を地元の経済界から勧められました。
そして、大激戦の末、浜松市長に就任しました。
私は市長になるとすぐに、マニュフェストを4年間で実現する工程表を作成しました。
毎年、年間計画である戦略計画へ落とし込み、予算の裏づけをし、実行しました。
こうして、4年間でマニュフェストを実現するサイクルを確立させた結果、日本マニュフェスト大賞を頂きました。
資産経営にも着手しました。
大合併を経た浜松市には、公共施設が2000あります。
試算した結果、これらを維持するには、50年で1兆3000億円必要なことがわかりました。
年間では260億円です。
現在、施設の維持にかけている予算は、年間で80~90億円ほど。
つまり試算の1/3。
単純計算で、施設を2/3削らなければなりません。
そこですべての施設を評価し直し、廃止や統廃合に着手しました。
残す施設は、老朽化が進む前にしっかりと修繕をする。
市長は経営者と同じです。
この資産経営で、日本ファシリティマネジメント大賞を頂くことが出来ました。
市長ほどやりがいのある仕事はありません。
財源、権限があれば、ほとんどのことは市でできます。
そこで、浜松は静岡県から独立する取り組みを始めています。
国は中央からではなく、地方自治体から変えられるという実例をつくり、全国のモデルになろうと思っています。
私は苦労したと思ったことはありません。
選挙に落ちた時もなぜ落ちたかを考え、答えが見つかると、ファイトがわいてきました。
浜松には「やらまいか」という言葉があります。
あれこれ悩む前に、まずはやってみようという進取の精神のことです。
やらまいか精神で、何事にもチャレンジすれば、道は必ず開けてきます。