不登校からトヨタNO.1のメカニックになったスゴい人!

第19代総理大臣の原敬の子孫という一見すると周りからは恵まれた環境で育ったように見えたが、多汗症というコンプレックスから不登校となった。
そんな中、ひとつの目標を立てた。「クルマの世界で一番になってやる!」整備士の資格を取得しトヨタに入社。
社内でのいじめや暴力、学歴差別を乗り越え、入社3年目で整備技術のトヨタNO.1を競う「トヨタ技能オリンピック」で最年少で優勝した。目標を達成するために、必要なこととは?その教えとは?
さあ・・・株式会社ハウコム マーケティングディレクター、原マサヒコ様の登場です!

「反骨心から上昇志向へ」
家系を継ぐために親族で会議をして、私は断絶しそうだった原の名前を継ぐことになりました。
勉強をしていないために先祖である原敬のことも知らず、高校時代までの自分は、血統負けどころか人生全てに負けていました。
高校生の頃、多汗症などのコンプレックスから人を遠ざけるようになりました。頭は金髪、人を寄せ付けない目つきの悪さで友達も出来ず、ついには学校へも行かなくなりました。
親は、暴走族の特攻隊長だった兄に呆れ、弟の僕に期待していました。
しかし、高校3年生で進学先も就職先も決まっていなかった僕は「お前も同じか…」と家を追い出されました。
極限まで追い込まれ、自分には何があるのかと考えました。
大好きな車にどっぷりつかってみよう。世界一の自動車メーカーのトヨタに入り、ナンバー1のメカニックになりたい。これが僕の答えでした。家を追い出されたものの、父は、僕の決意を聞いてくれました。会社ではイジメや暴力がありましたが、一人の先輩が親身に教えてくださり、毎日必死にテクニックを盗み、繰り返し工夫しました。
努力の甲斐あって、最年少で自動車検査員になりました。トヨタのメカニックの大会「技能オリンピック」があることを知り、出場を目指しました。
技能オリンピックでは、故障して動かない車を修理します。お客さん役の人に質問して修理箇所の目星を付け、必要な部品を集めて修理を施し、エンジンがかかれば合格。単純な競技に見えるかもしれませんが、工具の置き場までチェックされる非常に厳しい大会です。
技能オリンピックは10年以上勤める本物のベテランメカニックが技術を競う場所です。新人コンクールで地域優勝の経験があっても入社3年目での出場など無謀だと思われていましたが、この大会で私は優勝できました。
ずっと血統に対する気後れがあったのですが、優勝をしたことで気後れすることはなくなり、自分の祖先の原敬の血を引き継いでいるのだと実感できるようになりました。
周囲の人を見返したいという気持ちで始めた仕事でしたが、トヨタを出る頃には強い上昇志向を持つほど自分自身が変化していました。
メカニックとしての目標は達成できたので、今は次の目標としてITの世界で新しい事業を起こすことに挑戦しています。

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