※「貫日精誠震天下」
「日々貫いて誠に精(つと)めれば天下さえ震わす」
江戸時代の後期より、うちわ、浮世絵を扱い始め、初代豊国、国芳、広重などの版元として当時の屋号“伊場屋”の名を江戸市中に広めた。
浮世絵の描かれた“伊場仙版”の絵は
国内の美術館はもとより大英博物館、ボストン美術館、メトロポリタン美術館、ヴァンゴッホ美術館など海外の著名美術館にも展示されている。
創業400年の老舗扇子屋の14代当主が登場する。
さあ・・・株式会社伊場仙代表取締役社長 吉田誠男様の登場です!
「世代を超えた絆」
子どもの頃は家の2階の物干し場から、富士山が綺麗に見えていました。
まさに、“オールウェイズ3丁目の夕日”の世界です。
次男でしたので家業を継ぐ気はなく大学では物理を専攻し、原子力のエンジニアを目指していました。
カメラメーカーへ就職し、原子力発電所の観測カメラの部署に配属されました。
当時、完成間近だった福島原発へも行きました。
仕事にも慣れだした頃に、突然、兄が家業を辞めてしまい、急遽呼び戻されました。
中小企業の将来性に強い不安を感じましたが『先代から守り続けた家業を自分の代で絶やす事は出来ない!』と強く思い、家業を継ぐことを決意しました。
お店に立ってみると一生懸命取り組んだことがすぐに結果に現れるので面白く感じました。
実は根っからの商売人だったのですね。
昨年の3月11日震災が起きた時、お店の大きな金庫がずれたので元に戻すついでに中を整理していると、関東大震災の時にお得意様へ出した被災通知書が出てきたのです。
その瞬間祖父から聞いていた関東大震災の話を思い出しました。
当時の日本橋は震災の火事で焼け野原の状態。
東北から食料品を送ってもらったりして多くの支援を受けました。
震災後一段落した時に、祖父が石巻へお礼に伺ったところ、「お礼はいらない」と断られそのかわり「万が一東北が震災に見舞われた時にお返しして下さい」と言われたそうです。
その話を思い出し、88年前の恩返しをしなくては!と思い立ちました。
日本橋で東北の商品を販売したり、日本酒を大量に購入し取引先に配布したりしました。
今でも継続的に支援しています。
日本は昔から震災や津波という自然災害と共に生きてきた国民です。
伊場仙も震災や大火で10数回もゼロからやり直しています。
売るモノがなくても3日目には店を構え、ヤル気と活気を与え、復興の流れを作ったものです。
復興で大切な事は自粛では無く消費です。
そして、自分の事ばかり考えるのではなく、日本人のDNAに埋め込まれた持ちつ持たれつという本当の絆を今こそ思い出してください。