ジャズ・ビッグバンドで日本を元気にするスゴい人!
23歳で単身渡米。かの有名なライオネル・ハンプトン楽団のコンサートマスターになるほどのプレイヤーに。サックスに魅せられ、サックス一本で人生を切り開いてきた。アメリカでの活躍もさることながら、日本でもゴールドディスク大賞を受賞するなど、名サックスプレイヤーとして不動の地位を確立。
現在は「ビッグバンドで日本を元気にしたい」と精力的に演奏活動を続けている。
自分を鼓舞できるサウンドは、きっと観客も鼓舞できるはず。音楽で世界は変わる、音楽で人生は変わる。
さあ・・・MALTA様の登場です!

「一芸に秀でること、一生勉強すること」
どもり(吃音症)と赤面症に苦しんでいた小学校の時、音楽を聞いたり、歌を唄えば治ることに気付いた。いとこの持ってきたグレンミラーのレコードに感銘を受け、トロンボーンをはじめたのが11歳の終わり。そして、中学になったある日、サックスの写真をはじめて見る。素晴らしく美しい楽器、第一印象はそれだけだった。学校の先生からは「汽車の窓から出せば音が鳴るくらい簡単な楽器」といわれたが、まったくの嘘。プレイヤーによって音色が全く異なるほど難しく「やりがいのある楽器」だと心底思った。そしてサックスに魅せられた。
日本人旅行者がまだまだ少なかった1973年、23歳で単身渡米。日本人の社会的地位は無く、リメンバーパールハーバー、まだ敵国だと思っている人が少なからずいた。
ジャズの本場アメリカで生の音が聴きたかった、そして黒人たちと一緒にプレイしたかった。アルバイトは皿洗いを何度かしただけ、後はすべてサックスで食ってきた。 縁もゆかりもないアメリカで、サックスで食えたのは、サックスプレイヤー、つまり同業者と仲良くしたから。
普通、同業者はライバル同士。でも、サックスプレイヤーとたくさん知り合った方が仕事が来ると思った。「俺ができないとき、お前に頼むからな」そういう知り合いが増えて、飯が食えた。ライオネルハンプトン楽団にもサックスプレイヤーの友達が推薦してくれた。
同業者に信用してもらって、同業者に仕事や人をたくさん紹介してもらえたのが、考えれば成功の要因だと思う。今日より明日、明日より明後日、もっともっと上を目指したかった、そして上を目指していた、もっと上手くなりたかった、その想いは今でも何も変わらない。

やる気と向上心があればいい出会いがある、それを信じて努力をし続けた。好きなことをやればいい、
一芸に秀でること、そして学び続けること、努力し続けることが勝利への近道だと思う。
失敗したっていい。続けること、上を目指すこと、そして行動すること。

一芸に秀でることができれば、いろんなものがみえてくる、そしていろんなものがついてくる。今年から日本の名だたるプレイヤーを18人集めて、ビッグバンドをはじめた。18人もいればお金もかかるし、スケジュール管理も大変。でも、私はビッグバンドで日本を元気にしたい。
そして自分を鼓舞したい。自分を鼓舞することのできるサウンドは、きっと観客も鼓舞できるはず。

それを信じて、今日より明日、まだ上をむいて、夢を追い続けて。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう