ULTIMATE MC BATTLEとフリースタイルダンジョンを史上初完全制覇したスゴい人!

夢を諦め郵便配達員に

いつも助けてくれるのはMCバトル

ラップ研修がブームに!?

フリースタイルのMCバトルをご存知だろうか?
DJが流すビートにMC同士が即興の歌詞を作り、互いのスキルを競い合う。
内容、韻、相手から言われたことに対して答えられているかも重要になる。
もともとはアメリカの東海岸のヒップホップシーンが起源と言われているが、昨今、日本でも定着しつつある。
彼はMCバトルを通じてどんな世界を見てきたのだろうか?
これからの日本のMCバトルシーンを大きく変えるキーマンになるだろう。

さあ…
晋平太様の登場です!

なにかと目につく少年時代

恐怖心というのが薄いのか、気になった事はすぐに行動に移してしまう子どもでした。
氷の張った池やプールに興味をそそられ、大丈夫かな?と氷の上を歩いて案の定割れるみたいな(笑)
身体は小さいけれどガキ大将、でも集団でつるむのは苦手なタイプ。
運動神経も見た目も良い、グループのリーダー的な奴と最初は仲が良かったのですが、集団に入るタイプじゃないから距離を置かれたんです。
逃げるのは嫌だったので、一人ずつ相手してその状況を克服しました。
この時、怖かったけれど決心して臨んだ経験は、その後の人生に活きているかも。

キングギドラの「スタア誕生」

やんちゃな所があったので地元の中学に進むのは危ないと、親が中学受験をさせてくれたんです。
家は埼玉県の狭山市で学校は都内。
裕福な友だちが多くてカルチャーショックを受けました。
中学3年生の時に友達からテープを借りてヒップホップを知りました。
クラスメイトにDJがいたり、地元にはない環境に驚く日々でした。
ある日、キングギドラの「スタア誕生」の曲を聞いた時、3分ぐらいのラップの曲に一つの壮大な物語が歌われていたのに衝撃を受けました。
ヒップホップは好きでしたがDJの機械を揃えるお金はない。
だけどラップならマイク一つでできるからやれるかも!と。
子どもの頃から本を読む習慣があり、ラップを初めて聞いた時、音楽というより国語的な受け止め方をしたんです。
物語を聞いたり作ったり、そういう表現は昔から好きで、韻を踏んだりしている所もすごく面白く感じたのです。

21歳で初優勝

ラップはマニアの友達に教えてもらい、仲間が主催するパーティーで年に数回やってはいたのですが飽きてしまいました。
18歳になり将来を考えると、真剣にできるものがラップぐらいだったので、もう一度始めました。
同じ年のラッパー(OJIBAH)に出逢い、色々なクラブやライブに連れて行ってもらい、世界が少しずつ広がっていきましたね。
突然、OJIBAHが道端で出会ったラッパーのFRANKENとMCバトルを始めた時にはすごく感動しました。
MCバトルの大会があると誘われ、初めての大会で予選を勝ち抜き、本戦に進んじゃったんです。
本戦の楽屋が狭くて、今ではそれぞれ大活躍されているKREVAさん、般若さんなども一緒で空気感に圧倒されました(笑) 
そこからラップにのめり込み、21歳でb boy parkで優勝できました。

夢を諦め郵便配達員に

優勝後はCDもリリースできたのですが、ライブに呼ばれたとしてもお客様をファン化して継続していく事ができませんでした。
ライブに呼ばれることも減ってラップだけでは生活できなくなり、24歳で郵便局に就職しました。
ラッパーになる夢を諦めきれず郵便配達をする日々、仕事にも熱が入らないですよね。
2年ほど働いた2009年、「もう一度、MCバトルに出よう!」と決めULTIMATE MC BATTLEに参戦したものの優勝できず。
ただ、大会に出たお陰でもう一度ラップ熱のスイッチが入り、仕事後にスタジオで練習を続け、小さなバトルにも参加していたら、翌2010年の大会で優勝できたんです。
2011年も優勝。
2012年は3連覇を狙ったのですが、慢心も出てしまったのか優勝を逃してしまいました。

いつも助けてくれるのはMCバトル

2012年の大会に臨む時には、ラップにもう一度人生を賭けようと仕事も辞めてしまっていたのです。
どうしようかと思っていたらULTIMATE MC BATTLEの司会にならないかと声を掛けてもらい、2016年まで4年間やらせてもらいました。
やっている間に高校生ラップ選手権やフリースタイルダンジョンなども始まり、認知度もどんどん上がりました。
司会を始めた時、地方に行くと技術が拙い子も沢山いて「俺が大切にしているフリースタイルラップの大会に下手くそな奴が出るなんて、マジでキツイ」と思っていたんだけど、全国をまわり、いかに自分が恵まれた環境だったかを実感しました。

司会から見た世界

狭山市から都心までは電車で30分。
友達が渋谷に住んでいるのが信じられなかったし、それが悔しくてMCバトルでは負けないと力に換えていた。
でも、全国から見ると俺は東京の人なんだよね。
俺と同じように仕事をしながらハングリーに挑戦している奴や、チャンスが少ない環境で一生懸命頑張っている奴が沢山いたんです。
年1回東京に呼ばれて何千人の前でバトルするなんて、ベストを出せるわけがないじゃないですか。
地元の街を背負っていると言っているけど「マジだなそれ」と思えるようになりました。
司会をやらせてもらったお陰で参加者の熱さに気づけたのは良かった事。

北海道・旭川からエントリーして来た中学2年生

旭川の中学2年生の参加者は、プロフィール写真がサングラスをかけBMWのハンドルを握っている写真で(笑)
旭川予選で準優勝だったんですが「俺、絶対に勝ちますんで!」と言ってきて、とにかく押しが強くて自意識も高いけど、めちゃくちゃ努力もするんです。
ある日、彼の地元に行くと洋服屋さんの片隅のレコーディグブースで練習していました。
彼の名前は「言×THEANSWER」と言って、今は色々な所で活躍していますよ。
色々な所で色々な奴と出会えたのは良かったです。
素直に「頑張れ!俺にできることは何か無いかな?」って思えます。

ラップ研修がブームに!?

全国を4回も回れたので2016年で司会業は卒業させてもらい、2017年は新しいステージを創る年にしました。
事務所も移り、MCバトルにも参戦。
『ラップの教科書』という書籍を出版し、子どもたちにラップを教えていると企業から研修に呼ばれるようになったんです。
研修ではラップで自己紹介をしてもらいます。
それには自分の棚卸しが必要になるのですが、面白い事にネガティブな面や弱点もラップだと明るくさらけ出しちゃうんです(笑)
終わった後はすごく自己肯定感が上がっていると毎回感じます。
これもラップの可能性の一つだと気付きました。
始める歳が早ければ早いほどスキルも上がるので、できる環境を提供しています。
次の世代が今までに無い世界を生み出すことが楽しみなんです。
そして、フリースタイルバトルでも現役でどこまで挑戦できるか!
それこそイチローさんみたいな人がラップ界にもっといてほしいと思うし、出続ける事で磨き続けられる技術もあるはず。
実際、しんどいですけどね(笑)
その景色はまだ誰も見ていないので、俺が先頭切って最初に見ますよ!

取材を終えて

ラップを、音楽として単にカッコイイという角度より、言葉が繰り広げる世界観の面白さに興味を持ってハマっていった晋平太さん!
まさか、ラップが企業研修になるとは夢にも思わなかったが、言葉の大切さを知り、夢を一度諦め就職した晋平太さんだからこそ創り上げられる世界があるのだろう。
彼自身が常に新しいフィールドを広げることが次の世代へのバトンになるが、広げながらも原点であるMCバトルを続けるという精神から、ラップへの本気度が並大抵ではないと伝わってきた。
日本において世界に誇れるラッパーが登場するのも、もうすぐなのだろう。
今度、ラップ研修に参加させてもらおう!

プロフィール

晋平太様 (しんぺいた)

フリースタイルでのMCバトルを得意とし、2005年『B-BOY PARK MC BATTLE』での優勝で注目を浴びる。2010年、2011年には日本最大規模のMCバトル『ULTIMATE MC BATTLE』(以下、『UMB』)にて史上初の二連覇を成し遂げた。
『戦極MC BATTLE』の初代(2012年)及び第10章(2014年)のチャンピオンに輝くなど、数多くのMCバトルにて輝かしい戦歴を残してきた。
2004年リリースの1stアルバム『SHOW ME LOVE』を皮切りに、これまで(2016年現在)4枚のフルアルバムと2枚のミニアルバム、さらにシングルやベスト盤、ミックスCD、DVDなど多数の作品を発表。2013年~2016年の『UMB』では全国各地の大会のステージで総合司会を務めた。
フリースタイルの伝道師として、全国各地でラップ講座を開き、フリースタイル及び日本語ラップの普及活動を行なっている。座右の銘は“Do My Best”。生涯現役を目指す、日本一のフリースタイル馬鹿である。

◆OFFICIALサイト http://shinpeita.jp/
◆著書『フリースタイル・ラップの教科書』 http://amzn.to/2FTRpJr
◆企業様&学生向けにラップ講座を行っています。 artist@dreamusic.co.jp

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