女優でありながら独創性あふれる実業家としても活躍するスゴい人!

大人の社会で過ごした幼少期

悩む前に何でもやってみる

ネガティブな「終活」から明るい「終活」へ

本日登場するスゴい人は、TVドラマや映画での出演はもちろん、実業家としても名を馳せる女優。
10代で女優デビューを果たし、TBSドラマ「毎度おさわがせします」レギュラーキャストに抜擢されるなど、当時のお茶の間で人気を博した。
元祖にっかつロマンポルノの最後の主演女優でもある。
活躍の場は日本にとどまらず、アジアにも進出。
中国では約4億人が視聴する人気連続ドラマにも出演。
現在では、畑違いともいえる「終活」に関する事業も手掛けている。
その背景には、世の中に向けて発信したいメッセージがあった。

さあ…
株式会社静和
代表取締役 かとうみゆき様の登場です!

大人の社会で過ごした幼少期

子どもの頃は、よく近所の男の子と取っ組み合いの喧嘩をしていました。
いつも喧嘩をしては相手を泣かせてしまい、相手の親から苦情が来る為、母には「たまには泣いて帰ってこい!」と叱られることさえありました。
売られた喧嘩に応えただけなので、先に泣いた方が𠮟られないなんて、何かおかしいと思っていました。
一人っ子で複雑な家庭環境で育ったせいか、保育園の時から登園拒否をし、学校も行かない、勉強もしない、変わった子どもでした。
常に大人と話す機会が多かった為、物心ついた時から自分の考えがあるのが当たり前になりました。
今思えば、もっと勉強しておけば良かったですね。

山口百恵さんに憧れて

初めて女優を目指そうと思ったのは9歳の頃でした。
テレビで山口百恵さんの「赤いシリーズ」を見て「百恵ちゃんになろう!」と思ったんです。
子どもながらに芯がしっかりした方に見え、そこに憧れて百恵ちゃんになりたいと思いました。そう決めてからはひた向きに夢を追いかけました。
小学生のころからオーディションを受けたり、のど自慢に出たりとか、自分なりにやれることをやってみました。

学校中の有名人

高校生になってから、スカウトをきっかけにモデルの仕事を始めたんです。
それから徐々に「火曜サスペンス」や「水曜ドラマスペシャル」などでちょっとした役で出演する機会が増えていきました。
18歳のころ、当時のマネージャーがとあるプロデューサーを紹介して下さって、テレビドラマの「毎度おさわがせします」にレギュラー出演することが決定しました。
大人気のドラマでしたから、あっという間に学校中の有名人になりました。
ボイストレーニングや演技の勉強もしていましたが、実際はほとんど現場で学ぶことが多かったです。
競争の激しい業界なので、いじわるをされることもありました。
特に私は外国人みたいに?思った事をストレートに言い、好きなように振舞うタイプで、横並びが当たり前の日本では、鼻につく存在なのだと後からわかりました。
でも「自分は自分だから」と割り切ることができたので、ほとんど悩むことはありませんでした。
外国ではそれが普通でも、日本ではなかなか難しいですね。
幼少期から家庭環境が複雑だったこともあり、冷静になって1人で解決する術を身につけていたので、まあいいかって感じでした。
20歳から現在までの間に、世界35か国に渡航しています。
日本と世界の常識は違うと、つくづく思いますね。

悩む前に何でもやってみる

人間関係や金銭面の問題で、19歳から事務所を離れ、独立しました。
当初は何も決まっていない白紙の状態でしたが、自ら自身のマネジメントとプロデュースを行い、コネクションを活かして直接お仕事を貰い受けることにしたんです。
黙ってうだうだ考えていても物事は始まらないので「とりあえずやってみよう」が自分の中の答えでした。
独立してからはとにかくどんな仕事でもやってみました。
自ら脚本を書き、監督・主演を務める映画やビデオを作ったり、週刊プレイボーイのカメラマンと出会ってグラビアに挑戦したりもしました。
とにかくきっかけが欲しかったんですよね。
それである時、私の友達が海外のプロデューサーを紹介してくれて、中国や韓国の人気連続ドラマへの出演が決定しました。
中国ドラマの撮影現場は面白いことに、日本語・中国語・韓国語の3か国語が飛び交っているんです。
慣れないうちは、日本語以外のセリフを聞いてもどこを読んでいるのか理解できず、苦労しました。
自らが制作する映画を手掛けた事や、女優業に関しても言えることなんですが、クリエイティブな考えがいつもどこかにありました。
元々何かを「想像」して「表現」して「発信」することが好きなんだと思います。
20代の後半からは心理学やスピリチュアル、占いなんかも学んだりもしました。
それで、実際に心理カウンセラーや占いを始め、悩んでいる方たちの相談コーナーを雑誌や新聞、ネットに掲載し活動しました。
直接、色々な方の相談を受けてもいました。

母の死から異分野事業「終活」への展開

4年前に母が亡くなりました。
母の死後半年経って、友人のお坊さんや色々なご縁が重なり、樹木葬をお寺に展開するビジネスのきっかけを頂きました。
母がまだ元気な時に、新聞のチラシを見て、母が「樹木葬って綺麗でいいね」と言ったのを覚えていたのです。
私にはこれを完成させる意味があると思い、異業種であるビジネスを完成させたいという気になったのです。
ビジネスとお寺という、相反する部分を簡略化し、コミュニケーションの間を取り持ち、1年をかけ完成させたのです。
このことが「終活」の業界に入ったきっかけとなりました。
私にとっての終括は、母の死と深い関りがあります。

ネガティブな「終活」から明るい「終活」へ

終活は一般的に広がっているように感じますが、実際は全体の9%の人しか行っていません。
横の繋がりが薄い日本に、このままでいいのかという大きな疑問が沸いて来ました。
死を看取ってくれる人が誰もいない「孤独死」が近年増加しています。
最近では遺産3億円を持ったまま孤独死されたケースもあり、死後8か月経ってから、異臭がして発見されたケースもありました。
もしも身近に、信頼できる相手がいたら、たった一人で数か月も放っておかれる事なんてないと思います。
死んだら終わりという意味ではなくて、たった一人で、誰にも看取られず、何か月も放っておかれたいと考えている人がいるでしょうか。
何千万、何億円も抱えて一人で死んで行く事を、心から望んでいる人はいないはずです。
生前から、人との繋がりが希薄になった結果起こる出来事です。
今後はますます、人との繫がりが問われる時代になって来ました。
更には、対応が丁寧で親身になって悲しみに寄り添ってくれる葬儀屋さんも存在しますが、決定した葬儀代以上に、「これを付けないと成仏できない」などと脅しをかけて、法外な請求をして来る葬儀屋も少なくありません。
同時に、必要以上にお布施を要求して来るお坊さんもいます。
どんな事もそうですが、例えお坊さんであろうと同じ人間で、いい人もいれば、そうでない人もいます。
その事を、普段から何となくでいいから知っておく事も必要だと思います。
最近では、「生前葬や感謝祭」をされる方も少しずつ増えて来ました。
元気なうちに、お世話になった方や色々な方を呼んでお金を使い、派手にパーティ形式にするのです。
人はいつか、早かれ遅かれ、お棺に入る時が必ず来ます。
「一回死んでみる?」と思ってお棺に入ると、あれもこれもやり残した事がたくさん見えて来て、死んでいる場合ではないと、逆に元気になってしまうんです!
人間、明日死ぬとわかったら、絶対に何かやる気になって来ると思います。
未来がわからないから、漠然と毎日を生きてしまう。
若い世代でも、自分で終わりを決めれば、やりたい事が明確に見えて来ますね。
生きる為の計画を行うことができれば、より有意義に前向きに生きて行けるのです。

「ドキドキワクワク」に向かう!

「絶対大丈夫!私にはできる!」と、自分で自分を信じる事は大切です。
人間誰でも、大なり小なり悩みを抱えて生きています。
けれども、成功を掴んだ人は、自分を奮い起こすことができた方々だと思います。
何も取り柄がない人間はいません。
人はそれぞれ、この世に生まれてきた意味があります。
とにかく生きていることで、その役割が生まれて来るのです。
何をするにも、ドキドキワクワクする方向に向かえば、必ず何かが見つかります。
それでダメだと思ったら、また違う事をすればいいのです。
人生は、行動と決断の繰り返しなのです。

取材を終えて

取材時、終始イキイキとお話をされていて、自分の人生を振り返っているのがとても楽しそうに感じました。
今まで歩んでこられた人生の日々を、全力で後悔のないように一生懸命生きてこられたからだと感じました。
つらいことでも常に現実視しながら時には挑戦し、時には諦め、的確な判断を踏んでこられたからこそできることだと思いました。
また、「終活」のお話を聞き、孤独死や相続トラブルが増えている世の中だからこそ、死に対する考え方が大きく変わって欲しいと改めて思いました。
これからも多くのことを世の中に発信されていくと思います。
明るい終活の実現へ、今後ますますご活躍されることでしょう。

プロフィール

かとうみゆき
本名:加藤都(かとうみやこ)
株式会社 静和 代表取締役

10代よりモデル、女優として活躍。メンタルケアのプロとして、事業家、経営者の様々な相談実績あり。お寺に樹木葬をプロデュース。現在、明るい終活を提唱している。
メンタルケアのスペシャリスト、東京心理専門学院 精神医学、精神病理学修得。特定非営利活動協会ヘルスカウンセリング学会コース修得。心身改善臼井靈氣療法直傳靈氣、初傳、奥傳修得。
終活カウンセラー、供養コンシェルジュ、マンダラエンディングノートファシリテーター、風水鑑定士。
早稲田大学ビジネススクールMBA、世界35ヶ国の渡航経験あり。フィリピンセブ島イングリッシュスクール斡旋エージェント。
1984年 TBS ドラマ「毎度おさわがせします」レギュラーデビュー
1988年 にっかつロマンポルノ「ラストキャバレー」主演 金子修介監督、第4回にっかつロマン大賞新人女優賞受賞
2001年 映画「ラヴィアンローゼ」主演、脚本、監督、プロデュース 渋谷アップリンクシアターにて上映
2010年 中国浙江テレビ「愛上女主播」主演と共演。中国本土で4億人の視聴率
2013年 韓国SBS木曜ドラマ 「あなたの声が聴こえる」主演と共演など。
その他、映画、ドラマ、バラエティ等多数出演経験あり。

◆電子書籍「愛されたいならタタせなさい」kindle総合第1位 https://goo.gl/jBKFJ6
◆フィリピンセブ島イングリッシュスクール斡旋エージェント support@cebu-omoi.com
◆お手元供養コンシェルジュ http://otemoto.online
◆終活、コミュニケーション相談受付け miyako.owakatsu@gmail.com
◆終活、コミュニケーション相談受付け https://peraichi.com/landing_pages/view/cp3qb

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう