【滝澤 志野】日本人で初めてウィーン国立歌劇場バレエ団専属ピアニストになったスゴい人!

滝澤 志野

大学卒業後、自力でバレエスタジオやオペラ団体の伴奏の仕事を得て、4年間いくつもの現場を掛け持ちして経験を積み、在学中から憧れていた新国立劇場で演奏を受け持つピアニストになった。
それから数年間、憧れの場所で幸せに演奏をしていた彼女だが、ある時このまま日本でやっていて良いのかと将来に不安を感じた。
転機はウィーン旅行にあった。
初めてウィーン国立歌劇場に入った瞬間、「絶対にここで働きたい」と感じたのだと彼女は語る。
それから、海外で活躍する知人の紹介でヨーロッパのいくつかの劇場を見学したところ、運よく次のシーズンからウィーン国立歌劇場で1名欠員が出る時と重なり、彼女は憧れのウィーン国立歌劇場の専属ピアニストとなった。
さあ・・・バレエピアニスト 滝澤志野様の登場です!

「自分を0にする」

ウィーンに行って、初めてスランプに陥りました。
今まで味わった事が無いくらい全然ピアノが弾けなくなって、ダンサーが求めている音も分からず、すっかり自信をなくしてしまいました。
仲間のピアニストたちは
「君はまだ若い。経験をそんなに積んでいないし、劇場にも来たばかりなんだから」
と慰めてくれましたが、一人になって泣いてしまうことも。
初めての海外生活で孤独のなか、仕事の事しか考えられなくて半年くらい誰とも遊ぶこともできず、休日は家に引きこもっているか劇場で練習をしているかという日々が続きました。
「できない」と思うから余計に弾けなくなっていきましたね。
ある時、友人に「もうダメかもしれない」と相談すると、「人には乗り越えられる困難しか与えられないから、絶対乗り越えられる」と励まされたのを今でも覚えています。
それから、家の近所にあるベートーヴェンのお墓参りに行ったんです。
あんなに偉業を成し遂げた人でも、難聴に苦しんでいた。
彼の苦しみに触れ、彼に比べたら私の苦しみなんてちっぽけな物だと思えて、「ダメだ」とただ落ち込むのではなく弾けないならもっともっと練習しようと思ったのです。
ポジティブになれたら、弾けないと悩んでいた間は「自分の事しか考えていなかった」と気付けました。
それで、ある時稽古でピアノのことや自分のことを一切考えず、ダンサーのことだけを考えて弾いてみたんです。
そうしたら状況が好転して、弾けるようになり、友達もできてできなかった事が段々できるようになってきました。
四人いるピアニストのなか、私が指名されるまでにもなってきて。
今となっては、あの時期は何だったんだろうと思うほどですね。
弾いていて、ダンサーから「素敵な音楽をありがとう」と言ってもらえる時や、ダンサーや観客と一体化して芸術の一部になれている時に幸せを感じますね。
ウィーンフィルの人たちとオーケストラピットに入って演奏していて、ステージの上からものすごいエネルギーを感じ、観客から祝福の拍手を頂いた時には、「あぁ、私ここに来たかったんだな」って、まるで天国にいるような気持ちになります。
今後は、もっと自分の質を高めて信頼してもらえるピアニストになりたいです。
そして、私がこれまでお世話になった分、日本のバレエ界と世界との架け橋になって日本にも素敵な何かを届けていきたいと思っています。

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