最初は楽しいと思わなかったカヌーを好きになったきっかけは…
20歳の決断。親の反対を振り切り海外へ!
本場スロバキアへ移住し、東京五輪を目指す!
昨年のリオデジャネイロオリンピックで羽根田卓也選手が日本人初の銅メダルを獲得したことで注目されたカヌー競技。
2020年に開催される東京オリンピックでも正式競技となった。
本日はカヌースラローム競技カナディアンシングルの東京五輪代表有力選手として注目されるスゴい人が登場する。
彼女は現在単独でカヌーの本場であるヨーロッパに行き、実力を上げている。
カヌーとの出逢いは?日本とヨーロッパとの違いは?
果たして2020年彼女は何色のメダルを獲得するのだろうか?
さあ…
カヌースラローム競技 女子カナディアンシングル種目
日本代表 八木 愛莉様の登場です!
カヌーとの出会いは3歳、最初は楽しいとは思わなかった
アウトドアな幼稚園に入ったので、ハイキングや川遊びなど、毎日外に出ていました。
でも、私は外よりも室内で絵を描くのが好き。
教育の一環として3歳で初めてカヌーに乗ったのですが、特に楽しいとも思いませんでした。
50mぐらいの小さな池に浮かべて遊ぶ感じで、定期的に教科として入っていただけでした。
小学校に上がってもアウトドアクラブには通っていて、初めてカヌーの試合に出たのは小学校3年生。
公立の学校に行きながら、土日と平日の1日アウトドアスクールに通う程度で、その時もまだカヌーは好きではありませんでした。
転機は小学校6年生の時。
カヌーの全国大会で優勝し、表彰台に立ち、賞賛を浴びたのがものすごく嬉しかったのです。
この嬉しさをまた体験したいと思い、カヌーで勝負する世界へ入りました。
優勝したので、ドリームキャンプという強化合宿で沖縄に連れて行ってもらいました。
初めての海外遠征で世界との差を痛感
ドリームキャンプのコーチから川の急流を下るスラロームという競技があると聞き、それまでのフラットウォーター(スプリント)より興味を持ってスラロームに転向しました。
中学からスラロームを始めたのですが、当時は監督と監督の娘さんと私しか練習する人間がいませんでした。
中学1年の春に出たジュニアの大会は確か3位。最初は怖くて怖くて、毎回滝落ちに行く気持ちで臨んでいました。
高校1年生の時、初めての海外遠征でフランスに行きました。自分の実力は出し切ったのに、結果はボロボロでした。
こんなにも世界との差があるのかと痛感しました。
その合宿で知り合った同じ歳の女の子が、スロバキア人でした。
お互い片言の英語で交流し、刺激を受けました。
この差を埋めたくなり、絶対にヨーロッパに渡ろうと強く心に決めたのが15歳の時でした。
そこから英語の勉強もはじめました。
勿論、海外に行くことは両親から反対されました。
20歳の決断
海外遠征には毎年行きました。
早稲田大学のスポーツ学科に入学し、実践的な事を学びながら、日々カヌーの練習をしました。
20歳で海外留学をしようと決めていたので、反対し続ける親を説得する為に動きました。
遠征費で親にあまり負担はかけたくなかったので、ヤマハ発動機のスポーツ振興財団に行き、プレゼンテーションをして、20万円の助成金を頂いてきました。
両親には自分の未来の為に助成金を支給してくれたのだから、もう行くしかない!と説得し、スロバキアに行きました。
ヨーロッパとの違い
ヨーロッパでは、人工的に作られているコースが各都市にあります。
人工コースは細かい設定が出来るため、あらゆる練習が出来ます。
12歳くらいの子どもがその激流コースで日々練習し、タイム測定やビデオ撮影をして、細かく指導されているのです。
果たして私が12歳の時にこのコースを乗りこなすことは出来たのだろうか?
この環境の差には驚愕しました。
練習方法も、日本では目の前の試合に向けて準備しますが、ヨーロッパでは4年先のオリンピックから逆算して年単位、月単位、週単位、1日単位と細かく落とし込まれ、日々のメニューが決まっています。
日本ではコーチの言うとおりに練習をしていたのですが、ヨーロッパではコーチの言うとおりにやっていると全く違う方に行ってしまう事があります。
「私はこうしたい!」「自分はそれが出来ないからこういう形はどうか?」と常にコーチに提案し、対等な立場で練習メニューを作り上げます。
カヤックからカナディアンへ転向
18歳の時、競技中に脱臼を繰り返すので左肩を手術しました。
リハビリも兼ねてカナディアンという、片方に水かきのついたパドルで漕ぐカヌーに乗りました。
片方だけで漕ぐので、左肩を大きく上げなくて済みます。
このカナディアンは船の中で正座をして膝をベルトで固定します。
そしてオールが両方にはなく片方なので非常に不安定な状態になります。
難しすぎてオリンピックでは男子しかない競技でした。
ただ、この難しさが楽しくなってしまったのです。
オリンピック種目に決定
東京オリンピックの競技選考の時に男子はカヤックシングル・カナディアンシングル・カナディアンペア、女子はカヤックシングルのみでしたが、これだと競技人口比率が偏り外されそうになったので、男女ともにカヤックシングル・カナディアンシングルと変更することで選考が通ったのです。
それまで女子には難しいと言われたカナディアンが採用されたのです。
海外に渡って本格的にカナディアンに取り組んでいる日本人女子は私だけ!
これはチャンスだと思い、もっと海外で磨きをかけ、本気でオリンピックを狙おうと思いました。
スロバキアを拠点として、東京オリンピックへ
最初は大学を休学して海外へ移住していましたが、何とか卒業の目処も立ちました。
スロバキアはトップ選手が常に近くにいるので、非常に勉強になります。
リオでメダルを取った羽根田選手にスロバキアでは色々とお世話になっています。
単身で海外に渡ったり、マイナースポーツであるカヌーに時間を捧げて不安はないのか?と言われますが、不安は特にありません。
どちらかというと私はノーテンキかも知れません。
ただ、成績などは誰にも負けないモノを持とうと思っていますし、人より努力をするように常に意識はしています。
先日、アジア選手権U23で優勝しました。
これは国際ランキングに加算される大会です。
日本の大会も気になりますが、今は2020年東京オリンピックに全ての照準を合わせて練習と体づくりをしています。
東京オリンピックに女子カナディアンシングルで出場し、女子初のメダル獲得を狙っていきます。
また4月から更に本格的にスロバキアで練習して行きます。
皆様、応援宜しくお願い致します。
取材を終えて・・・
マイナースポーツであるカヌーですが、将来の不安はゼロだといいます。
それくらい、スロバキアでの練習には確かな手ごたえがあるのでしょう。
スロバキアはメダルを取るならカヌーしかない!というほど国がカヌーに力を入れているそうです。練習環境も日本と雲泥の差であるのは当然。
そう考えると、東京オリンピックでメダルを本気で狙うなら、世界に行きトップレベルの環境に身を置くのは必須。
20歳でスロバキアに単独で渡り実践を常に積んでいる八木選手は間違いなく東京オリンピックで好成績を残してくれるでしょう。
そして明るく前向きな彼女は、後輩達の憧れの選手にもなるのだろうと思いました。
プロフィール
八木愛莉(やぎ・あいり)
1994年11月29日生
神奈川県相模原市出身
3歳でカヌーに出会い、中学1年から本格的にカヌー・スラローム競技を始める。
高校1年からカヤック・シングル種目(両端ブレード)のJr.日本代表として国際レースに参戦。
大学1年時の肩の手術をきっかけに、カナディアンシングル種目(片側ブレード)に転向。競技力UPの為には強豪国が多い欧州でのトレーニングが必須と考え、2015年スロバキア渡欧。
早稲田大卒業後の2017年4月から、拠点をスロバキアに移して、3年後の2020東京五輪でメダル獲得を目指す。
(女子カナディアンシングル種目は、2020東京五輪より正式種目入り)
Athlete Yell 八木愛莉応援ページ http://www.athleteyell.jp/yagi_airi/