ただのミーハーな子ども時代
何をやっていいのかわからない暗黒時代
二つ目の人生、落語家として夢見ること
ここ数年、江戸時代以来の落語ブームが来ていると言われている。
都内での落語会は、月1,000件以上開催されており10年前に比べると2倍に増えているようだ。
とはいえ、この伝統ある世界で生き抜くことは江戸時代から変わらず容易なことではない。
本日登場するスゴい人は、お笑い芸人としての地位を投げ打って6年前に落語家に転身し、今ではテレビ・ラジオで活躍する落語界で注目の存在だ。
さあ…
落語家
三遊亭 とむ様の登場です!
ただのミーハーな子ども時代
僕は、言ってみればただのミーハーな子どもでした。
家の近所で、ドラマ『一つ屋根の下』の撮影をやっていると聞くや、写ルンです(インスタントカメラ)を持って、毎日通いつめるぐらい。
中学校時代には、アイドルの「チェキっ娘」が大好きで彼女たちが出演していた番組の企画である「お台場ジョークボックス」に部活をサボって出ていました。
今より素人が番組に出やすかった時代なので、「変な中学生がいるぞ」ということで『学校へ行こう』や『笑っていいとも!』に出させてもらいました。
そんなことをしながら高校生になり、2000年にはヤングマガジンの創刊20周年を記念して行われたミスターヤングマガジンコンテストにパンツ一丁の写真で応募したら、グランプリを獲ってしまって。
その勢いで、芸能事務所のオーディションを受けたら合格して、お笑い芸人としての活動を始めました。
順調だった芸人としての滑り出し
人真似で始めたダジャレですが、高校生というのが珍しく、色々な仕事をもらっていました。
20歳になってからはテレビにも出るようになって。
一番の転機はドラマ『野ブタ。をプロデュース』の出演ですね。
この頃は本当に天狗でした。
当時の写真を見ても、怖いものが何もないというか、俺が次世代のエースだ!ぐらいの顔をしています。
2年くらいは食べるにも全く困らない状況でした。
一つの仕事がきっかけで後輩と立場が逆転
ある時、『ラジかるッ』という朝の情報番組の天気コーナーの仕事が来たのですが、別の仕事で受けることができなくて。
それで当時の事務所の後輩だったザ・たっちが出演することになったのですが、彼らがそれで一気に有名になったんです。
夜通し放送した『ラジかるッ』の特別番組の時も、ザ・たっちはメイン企画のマラソンランナー。
一方僕は、キャバクラ風のセットの裏でひたすらお酒を作る係。テレビにも映りません。
彼らがマラソンでゴールした時は、裏で本気の悔し泣きをしていました。
元々、ザ・たっちの方が実力も上だったことに気付いていなかったんです。
徐々に、芸人の仕事だけでは食べられなくなっていきました。
何をやっていいのかわからない暗黒時代
一度仕事が減ってしまうと、もはやどうしていいか分かりませんでした。
お芝居をやろう!と思い、ドラマにも出させてもらいました。
下着泥棒、仮面ライダーの悪役、変態の役などやらせてもらいましたが、とても食べてはいけません。
自分のダジャレの代表ネタに(おたまと下駄で)「おったまげた!」というのがあるんですけど、スタッフさんから「70歳までそれやっていたら面白いけどね」と言われて、「これで70歳までは厳しいなあ」と思ったりもしていました。
そんな時に、立川志の輔さんの落語を初めて見たんです。
扇子と手拭いだけで1時間半。
こんなすごいエンタメがあるのかと感動しました。
春風亭小朝師匠と知り合った時に「落語やりたかったら言いなさいね」と言ってもらったので、社交辞令を勘違いして師匠の仙台公演まで追いかけて「落語を教えてください」言うと二つ返事で「いいですよ」と。
それで、小朝師匠の弟子にあたるいなせ家半七師匠に稽古をつけてもらったのですが、難しくてすぐに投げ出しました。
自分の限界を感じた、とある出来事
自分の芸人としての道に悩んでいた最中、東日本大震災が起きました。
何か元気づけることをしたいと思い、マギー審司さん、島田秀平さんと3人で被災地にネタをやりにいきました。
マギーさんが司会で盛り上げ、島田さんが手相で盛り上げ、最後に僕が。
恐ろしいほど滑りました。
ネタを見た中学生に「頑張れ」と逆に応援されてしまって。
それで、本格的に自分の将来を考えようと思って、中途半端になっていた落語をやり直そうと思いました。
転身に迷いが生まれ、そして落語家を諦めるはずが…
小朝師匠から三遊亭好楽師匠を紹介していただき、喫茶店でお会いしました。
師匠はとても優しくて、「一門に入りたかったら言いなさい」と言ってくださいました。
でも落語家になるということは、仕事が変わるし、名前も変わります。
今までやってきたことも続けられないし、そもそも事務所に話してもいない。
悩んだ結果、やっぱり断ろうと思いました。
「色々考えたのですが、落語とお笑いの二足のわらじは厳しいからすみません。」と言おうとして、「色々考えたのですが、落語とお笑いの二足のわらじは厳しいと思うんですね。」と言ったところで、師匠から「よし!その気持ちがあるなら大丈夫。明日は僕の誕生日だから、誕生日に入門ということにしよう」と言われて、師匠に背中を押される形で入門が決まりました。
二つ目の人生、落語家として夢見ること
まずは真打ちに昇進することが今の一番の目標です。
そして、真打ちのお披露目は日本武道館でやりたいと思っています。
6年落語をやってみて、落語の奥深さや凄さなど、入門時とは違った発見ができるようになりました。
今後は、お笑いからきた人間の感覚を織り交ぜてやっていきたいです。
僕の生き方は、前に出ないで後悔するくらいなら、前に出てすべった方がいいと思っています。
落語ももしダメだったら、みんな笑ってくれるからいいやという気持ちで始めましたし。
頭の中で考えて、辞めちゃうくらいなら思い切って挑戦してみてください。
失敗しても全てがネタになりますから。
取材を終えて
三遊亭とむさんは全身から『迷いのなさ』が伝わって来る人だ。
それは、小さい時から誰よりも前に出て自分を表現してきた経験を持ち、人よりもすべって来た経験も持ち合わせているからだろう。
自分が面白いと思ったものを、恐れず表現する。
『すべる』『空気を読む』という言葉が日常生活の中であまりにも一般化した私たちにはなかなかできることではない。いつの日か何者かになるために。
今日から『すべる』ことを始めていきたい。
プロフィール
三遊亭 とむ(さんゆうてい・とむ)
1999年2月 末高斗夢としてお笑い芸人デビュー
2000年 講談社 ミスターヤングマガジングランプリ受賞
2011年8月 三遊亭好楽に弟子入りし、落語家に転身
2011年9月 両国寄席にて「三遊亭こうもり」として高座デビュー
2013年2月 『R-1ぐらんぷり2013』決勝進出
2014年4月 伊勢神宮 外宮せんぐう館にて落語家初の奉納落語
2014年9月 二ツ目昇進「三遊亭とむ」に改名
2015年 三遊亭とむ独演会ラブファントム2015(600人動員)
2016年 三遊亭とむ独演会ラブファントム2016(900人動員)
◆三遊亭とむオフィシャルサイト http://sanyutei-tom.com/