本日ご紹介するのは、「選択肢と可能性を広げる」株式会社HABING、代表取締役社長 熊谷勇太様。2020年の会社設立以来、高齢者・障がい者向けのシェアハウス「IDEAL・アイデアル」を運営されています。驚くようなアイデアで利用者の暮らしを支えている熊谷社長ですが、介護の道に辿り着くまでには激動の人生を歩んで来られました。今回はその壮絶な生い立ちと共に、熊谷社長が目指す福祉の未来を伺いました。
ゴーイングまぃうぇぃ
夢見た東京で新しい挑戦!
編:お父さんは働けなくなってしまったのでしょうか?
熊:そうですね。仕事はセーブするしかありませんでした。私はヤンキーだったけど成績は良かったので、当初は高校進学を考えていましたが、ここで金銭的な問題が起きました。当時柔道で優秀な成績を残していた弟の方が将来性があるだろうと思って、僕は高校に行かず、働くことを決めました。そして中学校の卒業式の二日後には家を出て、友達の家に転がり込みました。この時に飲食業や建築業などの職業を経験しました。安い給料でしたが、必死に働いて弟に何か買ってあげたり、ささやかながら実家にいくらか送ったりもしました。
編:普通なら学校に行っている高校生の年齢ですよね…
熊:当時、週5日間、朝から晩まで働いていたのに、月に8万ぐらいしか稼げていませんでした。その時は疑問にも思っていませんでしたが、今から考えると安すぎますね。(笑)このままじゃいけないと思いながら、18歳の誕生日を迎えました。すると当時居酒屋を経営していた父親が、久しぶりに電話をかけてきました。「話があるから実家に来てくれないか?」私は誕生日を忘れずに祝ってくれるのだと思い、実家に向かいました。すると父親から「悪いけど18歳になったから消費者金融でお金借りられるだろう」と言われました。破産してどこからも借入れが出来ない父の代わりに18歳の誕生日に消費者金融に行って30万円の借金を申し込んだんです。
編:18歳で借金ですか?!本当なら18歳のお祝いでお金をもらっても良いくらいですよね(笑)
熊:ですよね。(笑)そこでやはりこの環境を変えようと思って札幌に引っ越したんです。とはいえ、やはりヤンキーは抜けきれない生活を札幌でしていました。当時若者の間で流行していたVIPカーにハマりましてね。最初は目立ちたいという気持ちでわいわい騒いでいただけでしたが、人に何かをしてあげることが本来好きなので、いつの間にかVIPカー好きの集まる組織ができて、その運営をするようになりました。
編:会社のトップに立つ素質があるんでしょうね…!
熊:いえいえ、なんとなく日々を過ごしていただけですよ。けれど20歳を過ぎた頃から周りが就職や結婚などを機にみんな落ち着いて来たんです。よく考えると、私は手に職があるわけでもないし、学歴もない。ある朝目覚めて「俺は何やっているんだろう…?」と焦燥感を感じて、まず今ある全てを手放すことにしました。その時に住んでいた家も、車も、現金も、全部後輩にあげちゃいました。そして実家に戻って、「東京に行くわ」と伝えたんです。
編:ご家族は驚いたのではないですか?
熊:そうですね。めちゃくちゃ反対というか怒られたというか、呆れられましたね。それでも何とか人生を変えたくて「10年頑張るから。迷惑はかけない」と伝え、なけなしの現金10万円と父からもらった餞別の3万円で憧れの東京へ行きました。
時給1300円に惹かれて
熊:右も左もわからない土地に来て、朝はハウスクリーニング、夜は串カツの店で働き始めました。そんなある日、障害を持った方の生活支援ボランティアを募集するチラシを見つけました。何の資格もいらない点や、日払いで時給1300円であった点に惹かれてすぐに応募したんです。元々母親が看護師をやっていてその部分に抵抗がなかったことも原因ではありますが、そもそも人の面倒を見るのが好きな性格であるのと、一番には自分が知らない分野に手を付けてみたいという好奇心からでしたね。これまで飲食、営業、建設など様々な仕事をやってきていましたが、介護業界というのは今まで縁がありませんでした。
編:今につながるきっかけですね。
熊:ここから介護業界に興味を持ち、介護資格を取得しました。働いている内に、障がい者の介護業界についてもっと知りたいと思って、NPOに転職しました。当時、情報漏洩するという理由で禁止されていた在宅勤務を、車いすの方が従事可能となるようにと新事業を立ち上げました。車いすの方が家から仕事ができるようになるためにパソコンの使い方を教える仕組みなどもを作ったんです。
編:介護というよりは障がい者の方の自立支援に近いですね。
熊:二年後にはNPO団体の理事に就任していましたね。しかし、やはり自分の責任の範囲で想いやアイデアを形にしたいと思って、フリーランスの介護士になることにしました。
介護の仕事に全力集中
編:立場を捨ててでもやりたいことが。。。
熊:フリーランスの介護士として、「I.DO(アイドゥ)」という屋号を立ち上げました。文字通り、“対象者や仕事の内容に関わらず、呼ばれたらいつでもどんなことでも私はやります!”と約束しました。その結果、9社と契約を結ぶことができたのですが、忙しすぎて1年のうちに家で寝ることが出来たのは2日ぐらいでした。
編:2日ですか?!
熊:24時間を24ブロックとして考えて、1週間の予定を全て埋めていました。自転車よりも速いスクーターを使って移動時間を短縮して日中は動き回り、夜間は利用者さんの家や施設で夜勤をしました。精神、知的、身体、発達、児童から高齢まで、そして施設も含みありとあらゆる方に対応できるよう自分自身経験を積みました。当時も今も言われていることですが、“介護では稼げない”という理由をとにかく自分で知りたかったんです。その結果介護業界の仕組みを知ることが出来たことは得難い経験となりました。
編:体力的には大変ですが、やりがいを感じられる働き方ですね。
熊:ある日、年配の利用者さんに旅行に行きたいと言われ、旅行に行くことがあって、その場所にあるロープウェイに乗車しようとした時に、車椅子では乗れませんと言われてしまって。そこで私が車椅子を片手で折り畳んで、利用者さんを担いで乗車することにしました。無事に目的地まで着いた時、利用者さんが喜んでくれましてね、「長年生きてきてこんな経験初めてだ」と言ってもらいました。その後も今までは入ったことがない大浴場に真っ裸で抱っこし、露天風呂に介助しながら一緒に入ったり、ビールにストローを刺して一緒に乾杯したりしました。その利用者さんが1人では出来ないことでも、自分のような存在がそばにいることで、様々な可能性が広がるんだということを実感できた瞬間でしたね。
編:利用者の方の人生をより豊かにするお手伝いができる仕事なんですね。素敵です。
熊:そこから3.4年間かけて起業する準備を進めていた矢先に、突然父親が急死してしまいました。父親には色々迷惑をかけられましたが、最後は苦しむこともなく、あっけないほどに突然いなくなってしまいました。本当に悲しかったですね。
なんだかんだ五体満足大きく育ててくれた父に感謝していますし、これからやっと少しづつ親孝行をしていこうと思っていた矢先だったので。。。
編:そうだったんですね。
福祉の未来を変えていく一歩を踏み出す
父の一周忌が終わってから、株式会社EISEIを起業しました。実は会社の名前は全部星に関連のある名前になっています。EISEI(衛星)、I.Do(緯度)、FSTER(first star=一番星)、HABING(惑星)。介護を必要とする利用者さんを側で見守るという思いです。そしてEISEIにはもう一つ意味があって。EISEIは父の名前にちなんで付けた名前なんです。父を超える会社を作ろう。頑張っている姿を少しでも見せたかった。絶対に成功させると感謝を込めてこの名前を付けました。
編:思いが込められているのですね。
熊:はい。しかしいざ会社を独立させたものの、もともとあった9社はライバル関係になってしまったので仕事は0となりました。起業前は「頑張って!」「応援している!」「協力するよ」と言ってくれていた会社も全く仕事は回してくれなくなってしまいました。それまでのフリーランスの経験を生かして起業をしたのですが、他会社や個人情報の守秘義務もあったので、フリーランスの時の利用者さんたちと連絡さえ取ることが出来ない状況になってしました。自分の考えの甘さを痛感しましたね。人のふんどしで相撲を取ろうとしていたことに気が付かされました。
編:想定と違ってしまったんですね。
熊:それでも長年の利用者さんや、我武者羅に働く自分を見ていた、現場のスタッフの方が「熊谷が始めるならお願いしたい」「一緒に働きたい」と会社に集まってきてくれました。幼少の難しい家庭環境にある時、北海道から東京に出てきたころ。ここに至るまでに周囲の色々な人が私に力を貸してくれたから今日があります。会これまでの全てが良い経験となり、力になりました。様々な職種も経験したからこそできる事は必然と増えていました。
その後、会社に何があってもすべての関わりのある人を守れる状態にすることを決心したのち、株式会社HABINGを立ち上げました。HABINGでは“親なき後の障害者”をどう支援していくかを課題と見据え、日本初となる重度障害者医療的ケア対応のシェアハウスIDEALを事業としました。全ての利用者の「選択肢と可能性を拡げる」を理念に、24時間体制で生活支援を行なっています。国から助成金を貰わず、民設民営で運営しています。どんな人でも暮らしやすい世の中を作るために、障害を持った方々が今よりも多い選択肢を持てる状況を作っていきたいと思います。
今では、知的障害の方から身体障がいの方、医療的ケアの方、90代の高齢の方まで暮らす家。まさにダイバーシティを実現した場所となっています。
幼少期、家族と過ごすことの出来なかった事、それでも温かい家庭で過ごす時間をくれた事。様々な経験をした私だからこそ出来ることがあると思っています。
「今後のEISEI が目指すものとは」
編:最後にEISEIさんの今後の方針をお伺いいたします。
熊:まずは継続的にシェアハウスを建てていくことです。高齢化が進む日本社会の中で、とりわけ障がい者の高齢化というのも大きな問題となっています。そういう意味で弊社の事業は、ニーズも社会的意義もあるものだと確信しています。近いうちにきっとどこかで法律も変わってくると思います。そして弊社グループでは新たにこの春から訪問看護事業を始めます。今の法律では、介護士は医療的なサービスを提供することができません。逆に医療従事者は介護業務までは難しい。そこで弊社が医療と福祉の事業運営、居住空間も一から作り上げることで、今まで出来ていなかったきめ細かいサービスが可能になると思うんです。
編:医療と介護の境目が無くなるわけですね!
熊:そうですね。利用者さんにとって非常に重要なその二つのサービスがバリアフリーになること。そしてそこで働くスタッフの環境も負担が少なく、やりがいがあるバリアフリーであること。これが弊社の願いです。
編:本日は貴重なお話ありがとうございました。
了
熊谷勇太様 プロフィール
埼玉県生まれ、北海道育ち
株式会社HABING 代表取締役社長
会社公式サイト:https://habing.co.jp/contact.html
取材後記
学生ライター田村陽奈
“福祉”や“介護”という言葉は、高齢化が進む日本社会ではよく耳にする言葉ですし、大学の授業でもよく取り上げられる話題です。しかし今回の取材で、現在の福祉業界が抱える問題や仕組みについて学ばせていただき、いかに自分の知識が表面的でしかなかったかを痛感しました。まさに“百聞は一見に如かず”です。取材は世田谷区、仙川にあるシェアハウスIDEALで行わせていただき、取材中には熊谷社長自ら施設案内をしてくださいました。トイレひとつをとっても温かみのある配色や、車椅子でも通りやすいドアなど工夫が散りばめられていて、驚きの連続でした!また利用者の方のみならず、スタッフの方々も安心して働くことのできる環境が整備されており、熊谷社長の事業にかける熱い想いを感じることができました。改めて今回は貴重な体験をありがとうございました。
学生ライター 瀬沼佐織
今回は世田谷区にあるシェアハウスIDEALで取材させて頂きました!実を言うとあまり興味がなかった介護ですが、実際にEISEIさんが建てたシェアハウスを紹介して頂いたことで、自分の介護に対してのイメージが180度変わりました。熊谷社長が紹介して下さったシェアハウスの中は、自分が想像もしていなかった設計ばかりで溢れていて、沢山驚かされました。また、熊谷社長の波乱万丈ながらも自分がまだ挑戦していない新たな分野に取り組む姿を見て、心を動かされました。私も自分が興味のあることだけではなく、今回の"介護"のような今まで触れたことの無い分野を知ろうとする姿勢を大切に、大学生活を充実させていきたいです!