現代社会に生きる人間の「孤独」をドラマにするスゴい人!▶雑賀 俊朗氏 DAY1

国際映画賞受賞作「カノン」を始め、数々のヒューマンドラマを制作し現代社会の孤独や葛藤を浮き彫りにする映画監督 雑賀 俊朗氏。この度北九州を舞台とした映画「レッド・シューズ」の公開を目前に控えた雑賀氏にその活動の源泉と生き方について伺いました。

二階へ上がりたいと言う気持ちが 階段というアイデアが生まれる! 

 

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原風景としての北九州の夜景

北九州市八幡東区の生まれ、八幡西区育ちです。ケーブルカーで有名な皿倉山の麓で生まれました。皿倉山から見る眼下に広がる街並みは絶景でして、子供の頃から美しい風景を目にして育ちました。2018年に北九州市は新日本三大夜景として1位に選ばれました。昔から美しいとは思っていましたが、ああ、やっぱりそうなのだなと嬉しく思いましたね。北九州市は工業地帯ですから、その力強い工場群の灯りと人々の生活の営みの灯りが絶妙に相まって、夜景を美しくしているのだと思います。生まれ育ったこの北九州の美しい夜景が僕の映画製作にも大きく影響していることは否定できません。ぜひみなさん機会があれば一度は訪れていただきたいなと思います。参考:皿倉山ケーブルカーサイト

皿倉山は標高が600mくらいあるのですが、子供の頃は友達と麓から頂上まで徒競走。今考えると基礎体力はここで作っていたかもしれません。北九州市というのはいわゆる「ウナギの寝床」ともいわれる街で、開けた平野のような場所はありません。ちょっと行くと山があり、その反対は海です。僕の作品に海や山のシーンが度々使われるのもその環境に影響されているのだと思います。山を撮影したら次は海を取りたくなるんですよ。

思いついたらすぐ行動する子供時代

子どもの頃から好奇心が旺盛で、常にやってみたいこと、なりたいものという夢を追いかけていました。例えば5歳くらいの時には高いところから飛び降りるのが大好きでね、空を飛ぶ鳥になりたいと思っていました。家族で銭湯に行った時に、高いところから飛びまして、落ちて骨折しました。あまりの痛みに、これは痛すぎる、なんだか違うと思って飛ぶことはやめましたね(笑)。

ある日父が地球儀を買ってきまして。それを興味深く見ているうちに日本の真裏はブラジルなのだなと気が付いて、「行ってみたい」とシンプルに思ったんです。すぐに家の裏庭を小さな子供用のシャベルで掘り始めました。少し掘ってからもういいかなと足を入れてみたら抜けなくなりましてね、これまた大騒ぎに。「何やってんだ!」なんて怒られましてね。もうブラジルに行くのはやめようと(笑)。思いついたらとにかくトライしないと気が済まない性格なのは子供の頃からですね。

幼稚園の時 父と

映画ロッキーに大興奮

中学時代は柔道、高校時代はラグビーをやっていました。ちょうどスクールウォーズの時代でした。僕がいた時代は先輩からボールの投げ方とか教えてもらうくらいでしたけど、僕が卒業してから、後輩たちが花園の全国大会に出たんですよ。僕は体格が大きいわけではなかったのですが、フォワードのフロントのポジションが多くて、タックルなどで負荷が高い役割でした。ある日地元の対戦試合で、相手チームの選手が横綱みたいな体格だったんですよ。やばいと思って相手の足首を狙ったら倒されて、そこから記憶を失って。おそらく脳震盪だと思うんですけど、試合終了のホイッスルがピーっと聞こえた時に、ふっと我にかえって。あれ?俺何してた?って友達に聞いたら「普通に走ってたよ。」と(笑)。でも全然記憶にないなんてこともありましたね。

ちょうど腰を痛めてラグビーができない時があって、そんな時に友人に映画に誘われたんです。小倉にある映画館で観たのが、シルヴェスター・スタローン主演の「ロッキー」。衝撃を受けましたねー。あまりに興奮しすぎて、その友達と歩いて自宅のある三ヶ森まで帰ったんですよ。距離にして80kmくらいあるんじゃないかな。帰宅したのが朝になりましたから、親からは「何してるんだ!」って怒られました(笑)。その時歩きながら見ていた風景が北九州の工場地帯の夜景でね。父親が新日本製鉄で働いていましたから、子供のころは溶鉱炉の見学などに連れて行ってもらっていたんです。昼間の工場地帯は殺風景な記憶でしたが、夜になってそれが美しい夜景として一変しているのを発見したのもこの時でした。「この町の夜はこんなに綺麗だったのか!」と驚きました。

 

憧れのバンカラ早大生のはずが。。。

地元福岡が誇る大作家に五木寛之さんがいます。五木さん原作の映画「青春の門」は北九州の炭鉱を舞台にした立身出世ストーリーです。主人公は筑豊出身の若者で、田舎から東京の早稲田大学に入るんですよ。これに僕は当時憧れていて、なにはともあれ早稲田に入るんだと思ったんです。俺もこれになるんだと。当時はラグビーに注力していたので成績はそれほど良いわけではなかったのですが、進路面談時に担任に相談したら、背中を押してくれましてね。「男はそれくらいじゃなきゃダメだ」って。すごく安心しましたね。頑張ろうと思いました。他の大学には一切目もくれず、早稲田大学のほとんど全学部に挑戦しましたね。早稲田大学入学!の一念でした。

青春の門の主人公の信介はいわゆる「バンカラ」で、下駄をはいて早稲田に通うんですよ。だから僕も入学後の大学の初日にね、これはやっぱり早大生なんだから下駄だろうと。意気揚々と履いていったわけですよ。そしたら授業終わったら先生に呼ばれて。「雑賀君、下駄はうるさいから明日から靴にしてください。」って(笑)。「あれ?思ってたのと違うぞ」と思って周りを見たら、スケボーやっている人や、テニスウエアで歩いてる人とか、今どきな人が沢山いたわけですよ。それからはもうアルバイトと自分で立ち上げたサークルに集中することにして、イベントやったりミニコミ誌を出したり自主映画を制作したりしてました。アルバイトは30種類くらいやりました。面白いものですと、仮面ライダーの中の人や、交通流量の検査員とかビルの解体とか、こんな仕事が世の中にあるのかと大変勉強になりましたね。

大学時代

 

不動産営業で気が付いた本当にやりたいこと

卒業を控えて、就職活動はもちろん映画配給会社を中心に考えていたのですが、当時は「映画氷河期時代」と言われていた時で、東宝さんでさえ「今年は不動産部門のみの採用です」なんて状況でね。映画作りたいわけですから、映画配給会社の不動産部門に就職してもしょうがないよなぁ。なんて考えていたら大学の先輩から声掛けいただきましてね。リクルートセンターはいろんなことができて面白いよ。と。それならやってみようと入社したんです。そしたら配属先はなんと週刊住宅情報の営業。結局不動産に携わることになってね(笑)。あれ?おかしいな。と思いながら働き始めました。先輩には、「まあいろんな部署を経験してみろ」と言われてね(笑)。見開き1ページが当時200万です。その広告を販売する仕事でした。

朝の部会が終わったら会社を出て、クライアント訪問。新人の僕が不動産会社の社長さんに相対して、そんなに簡単に取れるようなものじゃないですから、最初は苦労しましたね。とにかくクライアントの会社に伺って、雑談をするということを続けているうちに、ある日社長さんに「君はよくうちにいるけど、何してる人だっけ?」と言われましてね。「いや実は僕ずっと広告売っているんですよ!」「あーそうか」って(笑)。でもそしたら翌日に4億の受注が入ったんですよ。新人の僕に突然。臨時ボーナスがボーンっと出ましたし、皆の前で発表する機会も得ました。その成果を皆のまで報告している時に、「あーやっぱりここは僕の場所じゃない」と思ったんですよね。成果を出しても違うと思った。嬉しいけれど、僕のゴールはここに無いと。収入も良かったし、家族には反対されましたけどね。それで泉放送制作に転職しました。

リクルート時代

平日はドラマ制作、土日は自主企画で休み無し

入社後はTBSのドラマ部の担当となりました。当時「ふぞろいのリンゴたち」や「男女7人夏物語」などで大ブレークしていましたから、幸運でしたね。25歳でしたけれども、1年目からドラマ制作の助監督をやらせてもらって、今「巨匠」と呼ばれる方たちが沢山いましたので、この時は本当に勉強させていただきました。ドラマ制作のいろはから学べましたね。僕は企画が得意な方で、バブルど真ん中の時代ですから仕事終わりに同僚たちは飲みに行こうと誘ってくれましたが、断ってひたすら自主企画を制作していましたね。土日も普通はみんな休みなんですけど、早く監督の技術を磨きたくて、知り合いから来たカラオケの仕事を快く受けて、自分で映像を撮って編集していました。カラオケを歌っていたらテレビモニターに映像が流れてくるじゃないですか、あれです。

朝の六本木に集合して午前中はロック系の音楽、午後は演歌系を撮影するという。俳優さん達に「今日は30回キスシーンあります。大丈夫ですか?いけますか?」なんて確認してからいろんな場所でキスシー積極ンをひたすら撮影し続けるという(笑)。疲れますけど、面白かったですねー。助監督の仕事とは違う、自分自身が表現できるという喜びがありました。そんな日々の中でもずっと映画製作をしたいという熱意は消えることは無かったです。

3年目の時に地元北九州市にスペースワールドという宇宙を題材にしたテーマパークができました。遠心力を使って無重力体験ができるというのが話題でね。こちらのロケ取材の企画が社内で通ったんです。東京の主婦が地方で非日常を楽しむ!という情報番組の企画でした。テレビの仕事をしていると年末年始もなかなか帰省ができないのですが、この時はロケ取材を口実に2,3年ぶりに帰省できました。一石二鳥です(笑)。

(2日目へ続く)

撮影:株式会社グランツ

雑賀俊朗氏 プロフィール

福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高校→早稲田大学社会学部卒業。

(株)泉放送制作を経て、現在、(株)サーフエンターティメント社長。

株式会社 サーフ・エンターテインメント http://surf-entertainment.com/

数多くのTVドラマや番組の企画、演出、ディレクター、プロデューサー、脚本を務め、

2001年「クリスマスイヴ」で劇場映画監督デビュー。

2016年の「カノン」では、中国のアカデミー賞と言われる金鶏百華賞で作品賞・監督賞・女優賞の3冠を受賞。「おくりびと」以来の快挙と言われる。

その後、積極的に映画に関わり、現在は映画監督を中心に活動している。

「主な作品と受賞歴」

2001年「クリスマス・イヴ」で監督デビュー。

2002年「ホ・ギ・ラ・ラ」

2008年「チェスト!」角川エンジェル大賞・香港フィルムマート日本代表

2009年「海の金魚」NHK「怪談百物語」NHK制作局長賞

2012年「リトル・マエストラ」上海国際映画祭日本週間招待

2016年「カノン」2017年金鶏百華賞・作品賞・監督賞・女優賞

「今後の作品」

20232月24日~全国公開 「レッド・シューズ」カナダ・ファンタジア国際映画祭招待作品 公式サイト

2024年公開予定       「レディ・加賀」

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