新宿歌舞伎町。夜になるとここに集まる人がいる。人間の必要と欲望が交錯するこの場所で夜回りに奔走するのが今日ご紹介する坂本氏。戦争で死ぬことも、飢餓にあえぐこともない現代日本の首都で、我々にとって「見えていない」「見たくない」現実に光をあてるその覚悟と人柄はどのように形成されたのか。NPO法人レスキュー・ハブ代表 坂本氏に伺いました。
我が為すべきを為すのみ
外務省の営業担当から2度目の海外転勤
編:ホンジュラスの後、日本に帰国されました。
坂:帰国後は外務省担当の営業として、在外公館における海外ではなかなか手に入らない高精度の金属探知機などもセールスしました。国によってはしかしテロ対策用のX線装置や金属探知機などはやはり長年にわたってテロの脅威にさらされているイスラエルや英国、米国が製造しているものが先進です。日本へ輸入したり、三国貿易で現地へ直接送らせたりもしていました。ちょうどその頃ロシアモスクワにおける警備対策のために現地の警備責任者として再度海外赴任をすることとなりました。ホンジュラスでの経験と知見を活かして、プロジェクトチームのリーダー現地へ飛びました。2004年、32歳の時です。
編:全然違う立場での海外行きですね。
坂:前回のホンジュラスとは違って特命警備隊の隊長としてですから、まさに管理職で、日本からの若手のメンバーを束ねて目的を遂行せねばなりませんでした。大使館の仕事ですからその責任は非常に大きい。公私ともに背筋を伸ばして日本国の仕事をするんだという意識をメンバーに持たせること。いわゆる女性がサービスをする店などへの出入りも厳しく禁止しました。日本人だけで20名くらいメンバーがいたので、その個々の意識を揃えていくこと、目線合わせが大変でした。自分の年齢に比して責任の重い役割を担当させてもらったことは僕自身の成長にはとても貴重な経験となりました。
編:部下の方たちに生活の面から意識改革をと思われたのでしょうか。
坂:それもありますが、やはりホンジュラスで見た性的の光景が僕としては忘れられなかったですし、ロシアという国においてもやはり想像以上の女性や子供の性的は行われていましたので、人としてそういう場面で加担すべきではない。という考え方でしたね。
編:ホンジュラスでは「できることがない」と感じたその社会構造にロシアでは行動をされました。
坂:行動というほどのものではないですが、「加担しない」という行動を示すことはできました。当時日本にもそういう女性たちを支援している組織があると知り、帰国後に寄付サポートを開始したのもこの頃でした。
編:人権侵害の社会的課題に対して少しずつ行動へ移されていったんですね。
3度目の海外転勤、北京へ。
編:その後は中国へ行かれました。
坂:2007年、帰国から4か月ほどで今後は中国の北京へ転勤となりました。今度はすでに進行中のプロジェクトのサポートでした。ある日上司に「中国料理好き?」と聞かれて、「好きですね」と答えて決定しました(笑)。当初は3か月の長期出張の予定でしたが、気が付けば4年に及びました。
編:2007年の中国というと、経済発展が著しい時期ですね。
坂:そうですね、ただ経済発展の裏側でやはりここでも女性の性搾取の現状を知ることは多かったです。組織的に女性たちが搾取される現状をみるにつけ、このままでいいのか。という思いは募りました。
編:世界の各国で行われている女性の性搾取の事実をある意味横串で経験されていますよね。
坂:これ以上傍観者でいていいのか、寄付することが解決になっているのか。という思いはありました。会社にいることで持った問題意識ですが、会社に居続けることでむしろこの課題に直接向き合うことができないのではないかと思い始めました。
編:もっと深くかかわり続ける必要性を感じたわけですね。
坂:会社員としてのこれまでの人生に不満はありませんでした。待遇も悪くないし評価もされていました。それでも自分自身の一度しかない人生を生き切るとしたら、何度もこれまでに目にしてきた社会の課題をこのままにしておいてはいけないと思いました。何かをなす責任があると痛感しました。
帰国・退職。そして独立
編:中国から帰国後に長年勤めた警備会社を退職されました。
坂:今のままでは、この世を去るときにい「いい人生だった」と思えないのではないかという危惧がありました。人権問題に向き合うNGOやNPOに所属もしましたが、そこでは資金調達を担当しながら電話対応や様々な個別の案件に直接支援をすることやりがいを感じていました。それでももっともっと見えないところに実際は被害者が沢山いて、電話をかけるまでに至っていない方、ヘルプの声を上げられない状態の方々がもっといるんじゃないかと思っていました。
編:電話をかけて相談しようというところまで来れていない人。
坂:そうです。日本の人権侵害は構造上見えにくいんです。国連が定めた、人身取引を抑止するための議定書で、正式名称を『国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書』、通称、パレルモ議定書日本も2000年にイタリアの署名会議において署名、国内の法律整備などが整い、正式に条約締結したのは2017年です。世界では188番目でした。
編:日本での毎日の生活の中で深刻な女性や児童の人身取引の事実を目にすることはあまりないかもしれません。
坂:いわゆる映画やドラマなどで見る人身取引被害の形態がありますよね。国境を越えて女性や子供を移送し、売春宿のような場所に監禁し客を取らせる。炭坑やレンガ工場、採掘現場、漁船、建築現場などで危険かつ過酷な労働に従事させられるなど。こういった事例よりも、日本独特の性的搾取被害が存在するんですわかりやすい事例でいうと、脆弱な立場を利用され、脅しなどによって支配下におかれて、第三者がその利益を搾取するという構造です。それによりアダルトビデオへの出演を強要されたり、性産業に従事したりしています。日本ではこの現状が可視化されにくいという構造的な問題があります。あたかも自分の意思によって行動しているように見えるので、いわゆる「人権侵害」とは思えないんです。日本独特の「自己責任」というワードも真相を見えにくくしている構造的要因が社会にあると思っています。
編:見えにくいものを見るために、自ら歌舞伎町に足を運ぶスタイルでのNPO法人を設立されました。とはいえ、実際の現場において女性に声をかけるのはとても勇気がいると思います。
坂:そうですね。信頼してもらってはじめて彼女たちの現状を話してもらえますから、そこに至るまでがとても大切です。歌舞伎町に行きついて、性産業に従事するようになった個々のケースは多種多様な背景があります。「親との不仲」「帰る家がない」「ホストに貢ぐため」それぞれの背景を知るには話を聞くしかない。僕も彼女たちの加害者である多くの男性のうちの一人ですから警戒もされるし、信頼までの道のりは時間的にとても長い。少しでも僕の存在に気が付いてもらえたらと思ってマスクや化粧水など彼女たちが必要だろうと思うものを購入して渡しながら話を聞いてきました。最近では法人や個人からの寄付もいただけるようになってきました。
「利他」から「自利」へ
編:大変な活動を個人で進めてこられています。坂本さんがこの活動に向かう源泉というのは何でしょうか。
坂:突き詰めていくと、「他人の為」ということだけではなく、最終的には「自分のため」という事だと思います。ちょっと宗教的ではありますが、人はいつか必ず死にます。僕がいつかこの世を去るときに、いい人生だったと思えること。そのためには、この世で与えられた時間と労力をどれだけ自分以外のところに使うことができたか。この活動による見返りを求めないこと。感謝もされないでいい。ありがとうさえ言われなくていい。それでいいと思っています
編:目の前の助けを必要としている人から。
坂:そうです。結果的にその人の人生が好転していくのであればそれで良くて、それだけを求めて今日行動する。利他の行動を通して、最終的には自分が幸福を得る、自利の行動なんです。偽善と思われる人もいるだろうけれど、それもそれでいい。僕が僕自身の人生で追及すべきことが今ここにあると思って活動している。これにつきますね。
坂本新(さかもと あらた)
NPO法人 レスキュー・ハブ 代表
取材を終えて。
今は昼の仕事で自分の生活を支えながらこのNPO活動をしている坂本氏。ようやく今年助成金の目途が立ったそうで、スタッフも雇えるような環境を目指しているのだとか。他人を助けることで最終的には自分が幸福になるんだよ。という優しい笑顔に、本当に強い人はこういうことなんだなと改めて気が付かされた出会いでした。