医師と患者をつなぎ、未来の医療を変えていくスゴい人!DAY1▶小川智也様

今日ご紹介するのは、医療人材プラットフォームを構築している小川社長。コロナ禍のずっと前から医療システムにおける問題点に気付き、関係各所に提言していた。多くの人が医療にアクセスできなくなったコロナ禍にあって、その先見のサービスが今、多くの患者を救っている。その思いと挑戦の過程を伺った。

さあ、MRT株式会社 小川智也CEOの登場です!

医想全咲(いそうはるさき)

▶今日のポイント

・ボーイスカウトで得た貴重な経験

・アメリカで医師になると決意

・もっともっと命を救いたい!

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父はオイルマン。ボーイスカウト一筋の少年時代

よく親族も医療関係者なのですかと聞かれるのですが、まったく違っていまして。祖父は散髪屋を営んでいましたし、父親はオイルマンで、世界中で仕事をしているような人でした。アルジェリアなど中東の産油国を相手に仕事をしていたようです。唯一母親は看護師の免許を持っていましたが、医療従事からは遠かったですね。子どもの頃に父親はほとんど不在で、たまに帰国するくらいでしたから「お父さん」というより「時々手紙をくれるおじさん」みたいなイメージでした(笑)。ですから厳しい父親に接することが無く、祖父母に甘やかされている私を心配した母がボーイスカウトに入れたんです。ここで学んだ人間関係や、新しい事に挑戦する力というのが今も私を支えてくれています。子どもの頃から身長が高く、リーダーを任されることも多かったのも良かったと思います。子供の頃に医者になろうという考えは皆無でして、高校3年までボーイスカウト一辺倒で、いつもキャンプに行ってテント張っていました。怪我もよくしましたね。同じ箇所を3回骨折したので今でも骨が湾曲している所があります(笑)。高校を出たらすぐ働こうとさえ考えていました。

アメリカで医者になりたい!と一念発起

たまたま高校3年生の夏休みにアメリカでボーイスカウトの大会があり参加したのですが、その時のホストファミリーは父親がドクターでその奥様がナースというご家庭だったんです。将来のビジョンは何なのかという質問をされて、臨床心理士に興味があるというお話しなどをしたところ、人の心を理解するにはまず人間の身体を知っていた方がいいよ。医療関係を学ぶといいよとアドバイスをもらったのが大きな転機となりました。帰国後高校の先生に医学部に行きたいと話したら「今からなら血尿が出るくらい勉強しても到底難しいよ」と言われました(笑)。文系でしたし、その中でも下から数えた方が早いくらいの成績順位でしたから無理もありません。ところがこの時、私の無謀な計画に対して父親が応援するよと言ってくれたんです。その代わりやるなら本気でやりなさいと。翌春から浪人生活となりましたが、予備校の学力テストの結果からすると医大進学コースには入れないと断られたほど学力がありませんでした(笑)。なんとかお願いして医学部進学コースに入れてもらったものの、人気の医学部進学コースは400人クラスが2クラス。教室の席は成績順で、当然一番末席です。この前にいる800人を超えていくくらい勉強しないといけないのだと痛切に思ったのを覚えています。ある意味覚悟ができたので、そこから1年、朝から晩まで猛勉強しました。

医学部卒業後、救命救急の道へ進む

めでたく医学部に進学したものの、やはり学力という意味では劣等感が抜けなくて。卒業後に専門分野を決める際、内科や精神科など、いわゆる縦割りの医局に入って頭脳明晰な先生方と一緒にやっていくのには尻込みしました。医局とは、入った診療科で先輩や教授について同じルートで医者として経験を積んでいく世界です。私が目指していたのは、どんな状況でも、どんな疾患でもいつでも診られる医師。だから広く医学の知識を得て医療を究める事ができ、かつどこの医局にも特化しないある意味ノンジャンルの救命救急の世界は性に合っていたんです。約28万人いる医師の中で救命救急の専門医は当時1000人ほど。圧倒的に不足していました。だったら私はここで頑張ろうと。医学部の中でも数少ない選択だったので同級生には心配されましたけれど(笑)。

患者の命を救うための瞬時の洞察力・判断力・体力が要となる救命救急の現場においては、ボーイスカウトで培われた経験も大いに役立ちました。救命救急に特化するぞと決めて各地の救命センターをわたり歩きました。救命センターには、意識が無く、話すことができない状態の患者さんが突然運び込まれることも多い。病歴も不明、今の症状も教えてもらえない。この状態を自分の目で見て判断して、治療方針をいかに迅速に立てられるかということが重要です。ボーイスカウトの活動を通じて、毎回与えられた自然環境の中で仲間と力を合わせてテントを張り、炊事をし、生活をする。その経験は救命救急の現場に通じるものがあると思います。体力勝負ということも含めてですね。

救命救急医として多忙な日々を送った

救えない命をもっと減らしたい!

大阪の救命センターで救急医として毎日人の死に向き合っていく中で、どんなに手を尽くしてもどんなに懸命に向き合っても救えない命がありました。虚無感、無力感に襲われることも多かったです。この状況をもっと何とかできないのかと考えているうちに、医療が不可能となるまでの前段階をもっと改善したらよいのではと思いました。いわゆる予防医学を学びたいと思いました。ある意味では救命とは真逆の医療といえます。そこで予防医学の学習環境が整っていた東京へ活動の拠点を移しました。東京でも救命救急医として働く傍ら、予防医学を学ぶという生活になりました。医療の始点と最終点を同時に体得していくような日々の中で、長年携わってきた大阪での救命救急と東京のそれとでは様々な違いがあることも現場で気が付きました。同じ日本という国の中で、国民皆保険という同じ医療制度を利用しているにもかかわらず、なぜこんなに違うのか?

例えば救急車の受け入れ。私が勤務していた大阪の医療施設では、困っている人がいるのなら1秒でも早くとにかく患者を受け入れるという姿勢で取り組んでいました。ICUが一杯だろうが、救急外来が一杯であろうが、とにかく救急患者は全部助ける。1秒でも早く近隣の病院で対応するという姿勢が当たり前だったんです。ところが、東京は大阪と違って病院の数も多いですし、大学病院も多くあります。救急対応病院の数も大阪とは比較にならないほど多いため、病院が救急搬送依頼の受け入れを断っても他のどこかが受け入れできるだろう、と無理してまで受け入れる判断を行わない印象が強かったです。東京には東京の患者を受け入れるルールがあってそれを各病院が守っているので、大抵どこかの病院が受け入れられる仕組みになっていたのです。つまり効率的に救急医療をサポートする仕組みを都内全体で実現しようとしているように感じていました。どっちがいいという話ではないのです。ただ大阪の現場を長く経験していた当時の私には、本当にこれでいいのかなという思いはありました。その他にも違いは沢山ありましたが、いずれにしろ東西の医療現場の解決したい問題は同じです。そしてどちらの現場でも医療に携わる人が必死に頑張るだけでは救えない命が必ずあります。だったらこの医療システムや医療の仕組みを変えることによってまだ実現できていない医療があるのではないかと思いました。

当時感じたこの違和感を病院関係者や東京都、消防などの各部署へ訪ねてみたところ同じような回答だったんです。「そういう制度ですから。そういう仕組みですからしょうがないですよ。」と。制度・仕組み・ルール・法律。これを変えなければ病院の中だけで改善しようと努力しても無理だなと思いました。この時の想いが今の事業に参画するようになったきっかけです。

 日々の手術や治療、診察の中で抱えた想い

医療サービスの仕組みを改善して、患者を救う!

当社の使命は医療業界における様々な課題を解決するための仕組みや資源を供給することです。私は救命救急医としての経験が長いのですが、現在注力しているのはドクターのシェアリングサービスです。ドクターの日常に生まれる1時間程度のちょっとした空き時間と、医師不足で困っている医療機関をマッチングすることで、限られた医療資源である医師や看護師を再配分します。当社のサービスが「患者の救命」という医療の最終目的を果たすために社会が抱える課題を解決できると考えています。

当社のサービス一覧:https://medrt.co.jp/service/index.html

編集部注:ここで突然小川社長の携帯が鳴り、インタビューを中断し15分のオンライン診療となりました。

オンライン診療とは何か

もともと当社は同じ課題解決を目指す医師の互助組織からスタートしました。様々な医療現場で働く立場から、もっと効率よく患者を助けられないのだろうかと考える医師が年齢も専門も違うメンバーで集まったのが最初です。

コロナよりも前の2005年前後くらいから高齢化社会が進み、一つの病院に様々な病状の患者が集中することで病院医療という「医療資源」を圧迫する問題が指摘されていました。そこで主に高齢者を対象に自宅での介護や自宅療養という考え方が見直され、「訪問診療」という新しいカテゴリーが出来ました。ご自宅で療養している高齢者を医師が往診し、投薬治療する。最後は自宅で看取るところまで視野に入れた完全在宅診療という形が、問題を解決すると期待されるようになりました。

実際の往診データが増えるにつれ、地域によっては患者さん間の移動距離が長くなり、効率的な診察ができないという新たな問題も見えてくるようになりました。現在の制度では、診療所から半径16km圏内のご家庭・施設を訪問して診療を行うことができるのですが、私自身が訪問診療をした時に経験したのは、ある患者さんの診察を終えて次の患者さんに向かおうとしているときに、10kmほど離れた患者さんのご家族から連絡が入り、「おじいちゃんが転んで怪我をして出血してしまったので今すぐ往診してもらえないですか。」という急な依頼でした。ご家族は、「足から出血している、どうしたらよいか・・」と気が動転していたのですが、電話だけの内容からは、どの程度重篤な怪我なのか全く想像もつきませんでした。こんな時、オンライン診療を活用して傷口を画像・動画で確認できたら、緊急性の判断や適切なアドバイスができるのではないかと気づきました。

画像を一目見れば、傷口は自宅で少し休めばよいレベルなのか、すぐに救急車を呼んだ方が良い深刻な状況なのかはすぐにわかります。つまり、患者さんには安心を提供でき、医療者側にとっても緊急性の判断や患者さんへの適切なサポートができるようになるので、非常に有益です。

スマホによる遠隔診療というサービスが大いに活躍するのはこのようなケースです。当時はまだオンライン診療という言葉自体が無くて、遠隔診療サービスという名前でやっていました。当社のサービスが少しずつ広がり、多くの方にご利用いただくに従って国の方でも認知していただきやがて「オンライン診療」という名前になりました。現在はコロナ禍で、まさに非接触、非対面型で行う医療サービスが存在感を増し、ご利用いただく双方にメリットを実感していただける状況となりました。2年前から政府へはオンライン診療の意義を提言し続けていましたので、コロナ禍での診療に活用してもらえるように間に合ってよかったという思いです。

*医想全咲(いそうはるさき)とは当社の造語:

新型コロナウィルスが猛威を振るう状況だからこそ、MRTの企業理念である「医療を想い、社会に貢献する。」を今一度意識して事業に取り組み、更に広めたいという想い。 そしてそれをすべての人達に対して取り組むことで、やがて花が咲くという意味。

(明日へ続く)

取材:アレス 校正;NORIKO 映像:グランツ株式会社

◆小川智也氏 プロフィール

MRT株式会社 公式サイト:https://medrt.co.jp/service/index.html

1973619日生

20024        96回医師国家試験合格

20046        大阪府立千里救命救急センター入職

20056        国立病院機構大阪医療センター救命救急センター入職

20119        当社取締役事業本部長

20139        当社取締役執行役員経営戦略室長

20145        当社取締役執行役員事業本部長

20156        当社取締役副社長メディカル・ヘルスケア事業本部長

20183        株式会社CBキャリア(現株式会社日本メディカルキャリア)取締役(現任)

20194        当社代表取締役社長(現任)メディカル・ヘルスケア事業本部長

20201        Vantage株式会社代表取締役社長(現任)

 

◆医師紹介サービス「Gaikin」:https://medrt.com/

◆看護師紹介サービス「MRTナースバンク」:https://nurse.medrt.com/

◆オンライン健康相談・診療「Door. into 健康医療相談」: https://medoor.com/webmed/

◆「ヒト臍帯由来 幹細胞培養上清液」の販売、世界最大級のアンチエイジング医学会A4Mの日本統括などを行う当社関連企業「Vantage株式会社」:https://vantage-inc.net/

 

 

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