集客も求人も同時に行う新サービスで店舗経営者をサポートするスゴい人!DAY1▶田中祐介様

本日のスゴい人は、検索ポータル「駅近ドットコム」代表取締役社長の中田祐介様。まだ若い経営者でありながら急成長するポータルサイトを運営、率いています。コロナの時代に味わった苦労の中から未来を見据えて前を向く、そのコツとヒントを伺いました。

  やりきる!!  

見どころ 

―俳優業に没頭していた中高時代

―パチスロで一日20万円稼いだ日々

―父親の会社で職人として働いた経験

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駅近ドットコムってどんなサービス?

編集部(以下 編:)本日はよろしくお願いいたします。まずは御社のサービスの概要をお聞かせください。

中田社長(以下 中:)よろしくお願いします。当社は駅近ドットコムというサービスを展開しおります。主に飲食店と美容サロンを紹介しているポータルサイトです。特徴としては集客と同時に求人も掲載している点があります。食べログとホットペッパービューティとマイナビが合体したイメージがわかりやすいかと思います。現在掲載店舗数は日本全国で約6万店舗あります。

 

編:立ち上げて2年で6万店舗はすごいですね。

中:そうですね、過去の同種のベンチャー企業のスタートアップと比較するとかなり早いペースで登録店舗数は伸ばしているかと思います。当社は店舗ファースト、店舗様が使いやすいサービスにしているのが大きな要因だと思います。

 

学校よりも芸能活動がメインだった子ども時代

編:では今日は中田社長がどのようにこのサービスの立ち上げをするようになったのかを深堀りさせていただきたいと思います。小さな時はどんなお子様でいらしたんですか?

中:かなり元気な子でしたね。父は地元で鉄工所を経営していました。だからなのか、みんなと仲良くて、応援団なんかもやって目立つのは好きな方でしたね。有名人になりたい、テレビに出たいと思う気持ちが当時からあって。小学校高学年の時くらいからどうしたらテレビに出られるのかなと考えるようになりました。

 

編:それは相当目立つのがお好きだったんですね(笑)

中:そうなんでしょうかね(笑)小学校6年生から役者をやり始めて、舞台中心の生活になりました。

 

編:事務所に所属されていたんですか?

中:所属していました。朝7時くらいの電車に乗って稽古場に行って、終電で帰るという毎日だったんです。お金になるにはとても大変な世界ですが、好きで続けていた部分が大きかったので当時はあまり苦ではありませんでした。

 

 

編:生活も普通の子どもさんとは違ったんですか??

中:中学3年の頃には地方公演もありましたし、ロングラン公演もありましたので、その期間は学校へは行かなかったんです。俳優を目指していたので、高校にも進まず、ひたすら舞台と稽古に邁進していました。その点については両親も好きなようにさせてくれたので感謝しています。

 

 

編:舞台をやめたのはどうしてですか?

中:6年くらいそんな生活をしていたのですが、18歳の時に、ふと「これ楽しいのかな」と気が付いたんですよね。燃え尽き症候群というか、やれることはやったな。という思いになったんです。

 

パチスロやホストとして生計を立てた日々

編:その後の生活はどう変わったんですか?

中:そこから夢を失って、2年くらいはぶらぶらしたんですよ。パチンコのスロットで生活してました。今と違って昔はスロットで一日20万とか勝てた時代でしたので、収入源はそれでした。なんとなく目標を失ってしまって。

 

編:ホストのご経験もおありだと伺いました。

中:はい。友人が歌舞伎町の大きなホストクラブで役員だったので、誘っていただいたんです。お酒が好きだったので、お酒飲んでお金もらえるなんていいな。というくらいの感じでした。実際やってみたら楽しかったですねー。中に入ると色々な人間関係やトラブルもありました。酔ってけんかなんて日常茶飯事ですし、お客さんの取り合いなんかもありましたね。私自身はそこからは一線を画していたので、巻き込まれることはなく、人物観察をするという立ち位置でした。

 

編:凄い経歴ですね。

中:彼女と結婚するという話になって、ホストはやめてほしいという事だったので、やめて父親の会社に入社したんです。22歳の時でした。ほどなく子供ができたので、そこからは仕事に一生懸命に働きました。

 

結婚を機に父親の鉄工所へ就職 

編:お父様はその時どうおっしゃいましたか?

中:父親は仕事一筋の人だったので、それまでは実はあまり深い会話をしたことが無かったんです。舞台に出ていた時も特にそれについて話があったわけではなかったですし、相談することも無かったのでもっぱら母親とのコミュニケーションで成立していましたから。父親は職人気質の人でしたので、僕が工場で働きだしても仕事の話はしますがあまり日常生活の会話などはしない人でした。

 

編:お父様の鉄工所ではどのようなお仕事をされたんですか?

中:父の鉄工所は大量生産できない複雑なものを作る会社です。例えばセブンイレブンの食品工場でパンにマーガリンを塗るという工程があるのですが、そのマーガリンの量を一定にするためにノズルの先に金具を付けたい、その金具を作るというものがありました。どこにもできないと断られたというので父の会社で作りました。その金具は今でもセブンさんの工場で使われています。そういうニッチなものを作る鉄工所なんです。

 

編:古くからの職人さんたちの間に飛び込んで、大変ではなかったですか?

中:社長の息子という事もあって、小さな時から見知った顔の職人さん達ですし、年齢的にも高齢の方が多かったので、親切に技術を教えてもらったし、可愛がってもらったと思います。技術の習得は難しいけれど環境は悪くなかったので楽しかったです。30歳くらいまではそこで働きました。

 

編:その後は転職なさった?

中:営業をやりたくなって、広告代理店へ就職しました。クライアントへの営業活動などをやらせてもらいました。当時は美容サロンや飲食店のクライアントさんが多かったです。

 

編;そこでの経験が今生きているんですよね。

中:そうですね、当時担当していた美容サロンや飲食店のクライアントさんから既存のポータルサイトに対する不満をよく耳にしました。値段が高いというのもありましたね。サイト内での自社の掲載を優位にするSEO費用が別途掛かったりしますので。一番価格が安いサービスだと店舗サイトの見栄えが悪く、使用できる機能も制限されていたりします。その細かな不満を解消するサイトがあればもっとユーザーが増えるのかなという思いがありました。

 

中田 祐介(なかだ ゆうすけ)氏プロフィール

千葉県出身。駅近ドットコム株式会社 代表取締役社長

 公式サイト:https://ekichica.com/

 

 

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