デジタルサイネージで、リアルな現実をデジタルに変えるスゴい人!DAY2

今日は今話題のデジタルサイネージ広告で業界をリードする3D Phantom(ファントム)事業を担う田中幸一郎様の2日目。若干31歳でありながらその半生は、波乱万丈。どんなきっかけや出会いが彼をそう至らしめたのか、昨日に引き続きお伝えしていきます。

 こだわるべきは己の人生! 

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見どころ

偏差値38で慶應大学入学

―1年で大学中退し、起業

中国で日本人のために病院を買収

1日目を読む

 

偏差値38からの猛勉強で慶応大学へ

 恩師の病死の衝撃がきっかけとなって、僕自身の精神は大きく成熟したと思います。芸能活動に対する目線も変わっていきました。何をやるにしてもまずは人脈が必要だと感じて母親に相談したら「慶應大学に行けばいいんじゃない」と言われて。「なるほど」と思ったので、勉強を真剣にするようになりました(笑)。一浪はしましたがなんとか慶應義塾大学へ入学することができました。高校3年の時の担任だった吉田先生に「こだわるべきは己の人生」だと言われた事に感動したので「入れる大学」ではなく、「入りたい大学」へ行こうと決めました。でも、僕、当時は偏差値が38だったので、人並みの努力では間に合わないと思いましたから、朝6時に起床して、誰よりも早く予備校に行きました。教室前で暗記しながら開くのを待って、空いたらそのまま自習室に入る。12時からは1時間の昼休憩があるんですが、遅れている自分がみんなと同じ休憩時間を取ってる場合じゃないと思って、15分で切り上げてまた自習室で勉強。17時でカリキュラムが終わってから22時までまた自習。予備校が閉まってからは外に出て、渋谷のマークシティに光るベンチがあるのですが、それは光るので冬場は温かいんですよ。だからそこに座って、終電2-3本前までまた自習。家の最寄り駅に着いたら、近くのミスタードーナッツへ。そこの飲み放題のカフェラテを飲みながら自習していたら大体夜中の2時くらいになります。そこからようやく自宅に帰って飯くって寝て、また6時に起床して。まさに修行そのものでしたね。そうしていると半年後には代々木ゼミナールの全国模試で3位になりました。大学受験は勉強ができるかどうかでなく、相対的に努力できるその沸点を高く保てるかどうかだと思うんですよね。大学受験は、人生で最後の平等な条件で挑戦できる唯一のチャンスだと思います。

 

大学中退とベンチャー企業でのビジネスロンチ

せっかく慶應大学SFCに入りましたけど、一年で中退しました。戦略的にやめてしまったところもあります。20歳前後のこの23年ってすごく大事で、失敗も大いにできる時期。大学って年齢関係なくいつでも入れるのだから今じゃなくてもいいのではないかと思いました。東京大学で起業サークルをなさっていた、保手濱さんという方に「悩むくらいならやめた方がいいよ」と言われたのも大きかったですね。いろいろな選択肢があって良いんだと思えました。

一番最初に企業したのが、学習塾の武田塾といいまして、全国に300校くらいは今あるのではないでしょうか。授業をしない塾で有名なんです。まだ23校くらいの展開だったころに、その中で自由な発想で社内ベンチャーとして起業させていただく事になったんです。僕が大学1年生の時、2009年に早稲田大学生と慶應大学生と僕の3人で起業しました。その時スタートしたサービスは、スカイプで東京の先生が地方の生徒に教えたり、携帯電話で東京大学や慶應大学の先生に直接知りたいことを教えてもらえたりというサービスで、当時としてはかなり革新的なサービスでした。

 

中国で病院買収し、医療サービスのロンチ

それから今度は20歳の時ですね、知り合いの経営者の方に、「中国で病院を買収しよう」というなんとも魅力的な誘い(笑)をいただきまして。それも出国が東日本大震災すぐの314日に出国予定でした。成田に向かう交通がすべてストップしていましたので、タクシーで成田に行って、その日から運行を始めた飛行機になんとか乗り込んで。2年くらい大連と香港とで仕事をしていました。大連には9千人くらいの日本人がいるんですが、なかなか中国の病院を利用するのは言葉だったり、衛生観念だったりが難しいという現状がありましてね。古かったり、経営難だったりする病院を買収して、まずはそういった方を対象に往診するサービスから始めました。新しいサービスとして注目されていたので、中国政府の方や共産党の方にもよくしていただきましたし、現地での天皇陛下の御誕生祝賀会などにもお呼びいただいたりもしました。まだ21、2歳でしたが本当に貴重な経験です。そのサービスを現地の方に売却して帰国しました。中国での仕事は精神的にもとてもハードでしたので若かった僕は今と比べるととげとげしてましたね(笑)。そうでなければやり抜けない局面もあったのですが、やはり精神的に落ち込む時期もありました。その時に僕を支えてくれたのは現地で知り合った方々でした。家族同然のように接してくれる中国の方は、落ち込んでいる僕を自宅に食事に招いて、「元気だしなさい」と心配してくれる方、日本人の駐在員のご家族の方も僕を心配して声をかけて支えていただきました。人の優しさや思いやりに触れて「いつかこの人たちに恩返ししたい」と思うようになりました。人とのかかわり方が変わってきたのはこの時の経験が大きいですね。

 

ITビジネスでの挑戦と成功

帰国してからは障碍者就労支援事業所やプログラミング学校を設立したりしました。もともと僕はWEBデザインの仕事をやっていたのですが忙しくなってアシスタントを雇おうと思ってもなかなか自分が必要とする人材に出会えなくて、困っていました。だったら学校ごと作っちゃえと思って「クリエイターズハイブ」という学校を作りました。パイソンやWEBデザインを教えました。その当時所属していた会社がIBMのスマートキャンプというコンテストで世界一の称号をもらう機会があって、このクリエイターズハイブも人材教育ツールとして本格的にIBMさんのお力添えをいただくようになったりしました。当時はFinTechがブームになっていた頃で、三井住友銀行の「未来ハッカソン」で第一回の特別賞を受賞しました。この時は「ヘルカン」というヘルス管理サービスを提案したのですが。働き方改革と人事評価制度をFinTechで結びつけて、働き方が人事評価制度に反映するようなブロックチェーンシステムを開発したんです。会社としても働き方改革を推進できるし、社員としても働き方を変えることが人事評価につながっていくようにしました。

そんな時に現代表の大貫をIBMの展示会に招待いたしました。18歳の時からの知り合いでしたから、本当に色々な知恵と機会を授けていただきお世話になって板のですが、双方のやりたいことのアイデアがまとまって、20171月に Life is Styleという会社を設立しました。今僕は3D Phantomというデジタルサイネージ広告を担当しています。今はコロナでイベントが止まってしまいましたが、ピンチはチャンスというか、逆に交通広告の方に力を入れることができて、渋谷に3D Phantom モビリティアートトラックを走らせることが実現しました。

今年の4月には正式に特許を取得できましたし、将来にわたっての様々な可能性を想定して数種類の特許を申請取得しまして、韓国他の海外における取得も順次取得予定です

僕は20代前半で様々な事業を通して中国大陸で経験を積むことができました。この経験を通して日本人や日本企業がもっと、アグレッシブに世界に打って出る必要性を知っています。海外では日本で大切にされている「筋」のようなものは通じません。海外の人達は皆、だましだまされの世界で、いかに勝つか。どう勝ち続けるのかという戦略を常に思考錯誤しているわけです。僕自身が今後海外事業戦略を勧めていくにおいて、僕自身がもつ経験は必ず事業の発展に寄与するだろうと信じています。ご期待ください!

 

インタビュー:NORIKO 映像:株式会社グランツ

【編集後記】

赤いセーターがまぶしい青年実業家の田中さん。取材の時に見せていただいた3DPhantom 製品にスタッフ一同釘付けでした。子どもの頃に未来にはこんなものがあるんじゃないかなと想像していたアイテムがリアルに目の前で展開していく。この衝撃は新鮮で、人類が進む未来は果てない挑戦の継続なのだなと実感しました。この未来型のPRが当たり前になる日はすぐそこに来ているのかもしれない。

 

Phantom サイネージ株式会社 

公式サイト:https://phantom-3d.net/
公式Twitter:https://twitter.com/_3dphantom

製品紹介:弊社は空中に3D映像を出す3D Phantom(R)(スリーディー ファントム)をメインとし、ハード開発・映像制作・イベント企画を行う会社になります。3D Phantom(R)とは空間に3D映像を作りだす機器で、専用メガネをつける必要はなく、肉眼で3D映像を見ることができ、その圧倒的なインパクトと世界感で、店舗・イベント・展示会・舞台の演出やアイキャッチなどにご利用いただいています。

プロフィール 田中 幸一郎(たなか こういちろう)氏

横浜生まれ、横浜育ち

2006年 ダンス甲子園出場

2007年 JAMにてLock Danceで全国7

2009年 慶應義塾大学環境情報学部へ進学事業専念のために自主退学

同年 株式会社GATCHにて起業武田塾にてWebコースを開始(18歳)

 2011年 中華人民共和国にて邦人向け医療事業を開始(現:さくらクリニック)20歳)

2013年 障がい者の就労移行支援事業所を開始(23歳)

同年 株式会社YUTOLIの取締役に就任しアーティストのPR・デザイン等を行う(24歳)

2014年 次世代のクリエイティブクラスを創出するためのCreators Hiveを開始(25歳)

2014年 IBM Smart Campにて世界1の投票数により、Peoples’ Choice Awardを受賞

 2017年 株式会社Life is Style 取締役就任

2020年 Phantomサイネージ株式会社 代表取締役就任 至現在

202011月 羽倉賞・ノミネート賞 W受賞 http://soatassoc.org/hagura

 

 

 

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