一歩一歩やっていくしかない。そう話す巻来功士さんは、ジャンプ黄金期に名を連ねた漫画家のひとり。少年誌である週刊少年ジャンプでは異色なグロテスクさやオカルティックな表現で知られています。デビューし、プロになってからも、自分がやりたい表現のための試行錯誤を繰り返し、独自の世界観でファンを引きつけてきた巻来さんに漫画家としての半生について伺いました。
漫画は人の出会いの奇跡
──原哲夫先生のアシスタントもされたと伺いましたが。
プロになってからですね。読み切りをやった後、連載に入る準備の間です。ちょうど『北斗の拳』が始まったばかりで1回目と2回目だけ手伝いに行ったんです。その頃、原さんのアシスタントにあまり描ける人がいなかったので、声がかかりました。原さんがモヒカンの細かいところやバイクも描き込んでいる状態で。僕は崩れたビルなどの背景を描きましたよ。まあ砂漠の中だったので簡単だったんですが。
2回目の時かな。原先生が仕上げたカラー原稿を「これは駄目だ!」って担当編集の堀江さんがボツにしたんです。
──出来上がったカラー原稿がボツになったんですか!?
そうです。あの頃は堀江さんと原さんは師弟に近い関係でした。多分うちにそのボツ原稿、あるんじゃないかな。
そして原さんが描き直したものは、格段に良くなっているんです。コマ割りなんかの迫力が違う。堀江さんの見る目って、当時の僕なんかより全然凄いんですよね。応えた原さんも凄いです。疲れ切っていましたけどね。
──編集さんとの関係や相性はとても大切なことなんですね。
漫画家は運がとても大きく影響する仕事です。漫画家さんや編集さんがそれぞれ優秀でも、相性で駄目になってしまうこともある。アシスタントさんともそうです。
食べていける売れた漫画家なんて、氷山の一角なんですよ。食べていける人は、あらゆる人間の組み合わせが、たまたま上手くいった人なんです。
一歩一歩やるしかない。少年誌から青年誌へ移り、感じた新しい壁
──『機械戦士ギルファー』からはしばらく『週刊少年ジャンプ』で作品を発表されていますね。
『機械戦士ギルファー』の時に、担当が堀江さんから松井さんに変わりました。松井さんも個性豊かな方で、いろいろありまして。1年半くらい次の作品まで間がありました。その間、ふたりで話し合って、今度は人が描かないような印象に残る漫画にしようと。それまでの僕の作品は『少年キング』時代からコメディ系です。そして『機械戦士ギルファー』は血など描かないで王道の少年漫画で行こうと決めていたんです。でもそれでは目立たなかったから180度転換して、振り切って血飛沫も出る漫画にすることにしました。手応えはあったんですが、10週でこれも終わりました。編集部の内部の話はよく知らないのですが、やっぱりある編集さんから「この漫画はここにのせちゃいけない」といった意見はあったようです。
──『週刊少年ジャンプ』の中では女性がヒロインもめずらしいですよね。ヒロインでダークヒーローだったり、ドロドロに溶けたり、希望がある明るい世界ではまったくない表現ですし。
そういう漫画の表現は、小池一夫先生の漫画に影響を受けています。『子連れ狼』や『I・餓男 アイウエオボーイ』です。
──代表作となる『ゴッドサイダー』を連載されたり活躍された後に青年誌に移られましたが、元々大人びた表現の作風でしたので、やりやすくなったと感じられたりしましたか?
青年誌に移るまでは描きやすいんじゃないかと思っていました。実際は難しかったですね。少年誌の垢が抜けないんですよ。コマ割りも物語の運び方も少年誌っぽくなってしまう。憧れていた青年誌の漫画が描けないと気づいた時には愕然としました。叙情豊かな表現ができないんですよ。少年誌は次々とアクションが入ってくるので。上村一夫さんの『同棲時代』なんかが好きだったんですけど、そういう表現が自分にはできなかったんです。壁ですよね。
──最初から青年漫画に行っておけばよかったと思いますか?
そうですね。あっちが駄目ならこっちっていう甘い世界じゃないんです。やりたいものがあるなら一直線で、そこに向かって一歩一歩、やっていくしかなんです。
──いつぐらいから青年誌に馴染まれたんですか?
全然馴染んでないですよ(笑)。やればやるほど壁だらけ。
少年誌の先生方でキャリアと共に雑誌を移られる先生もいますが、ヤング誌までは移れるんです。でもそれより上に行くのはハードルが高いです。どんどん苦しくなってしまう。
自分は人間ドラマを描きたいと思っていますが、そこを描くのは、修行の積み重ねですね。
──ご自身が描きたいものはどんな作品だったのでしょうか。
『ミキストリ』のスピンオフ『Magic Paradise』ですね。これは短編集なんですが、思い通りのものが描けたと思います。その後、挑戦とはなんだろうと考えて、絵柄も変え『瑠璃子女王の華麗なる日々』を描きました。これも描きたいものを描けたと思える漫画です。
評価された作品で、映画化もされました。本誌で連載になってしまうと、せっつかれてしまって、やりたいことが崩れてきてしまうところもあったんですが。
青年誌を描きながら、少年誌臭が捨てられない自分がいる。捨てたいんですけどね。前の段階に戻って描ければと思うこともあります。そんな風に反省しながら作品を描いています。
勝道上人との出会い
──『SHODO 勝道上人伝』はこれまでの作品とは違う漫画ですが、何がきっかけで描くことになったんでしょうか。
『連載終了!少年ジャンプ黄金期の舞台裏』が終わって、担当の松井さんから「こういうお坊さんの漫画があるんだけれど」と声をかけられました。
日光の輪王寺の開祖と言われる人で、銅像も立っているのですが、名前は案外知られていないお坊さんです。輪王寺の方から、どう描いてもいいからと。
資料もあるけれど、時代が古いので曖昧なものも多く、自由度が高かった。だからとても楽しく描きましたよ。空海とかみんな知っている人だと色々言われたりするので難しいのですが。
──山登りのシーンもありましたね。手塚治虫先生の『ブッダ』のような雰囲気を感じます。
手塚先生も好きなので、影響を受けた部分もあるかもしれません。僕も取材で男体山に実際に登ってきました。松井さんが担当している漫画におかざき真里さんの『阿・吽』があるんです。そちらの会社に協力いただきました。それでスムーズにできましたね。
僕は宗教を特に信仰するということはなく、そこにある人間ドラマを描きたかったんです。
漫画を書き続けたのはそれしかなかったから
──漫画を描く上で大事にされているポリシーなど伺えますか。
漫画家はみんなそうだと思うんですけど、漫画を描いていないと救われないんですよ。ワーカーホリックの人が仕事をしていないと救われないように。漫画のことばかり考えて、考えすぎてしまう人は心身疲弊することもありますが、結局、漫画を書き続けることしかできないんです。
──他の仕事は全く意識していなかったんでしょうか。
映画監督になりたいとチラッと思ったくらいですね。他は全くないです。
──デビューできなかったときのことは考えたことがなかったんですか?
面白いことに、全く思わないんですよね、当時は。もしデビューできなかったら切り替えて他の仕事を考えたんでしょうが、本当に全く思い浮かばないんです。
こういう仕事を選ぶ人は、みんなそうなんじゃないですか?
ただ昔は5年やって駄目なら諦めると言われていたので、目安はありましたよね。
──生まれ変わってもまた漫画家やりたいと思われますか?
これからのデジタルの時代ならしていないかもしれません。紙の時代ならまたやりたいです。映画監督を選ぶかもしれませんね。
──将来の展望について伺えますか?
あまり負担なく好きなことをやっていきたいと思っています。心身が安定した生活で農業をやるとか。山と農業の生活です。熊が怖いんですけどね。
──ありがとうございました。
(了)
インタビュー:アレス 撮影・ライター:久世薫 動画制作:株式会社グランツ
巻来 功士(まき こうじ) プロフィール:
長崎県佐世保出身。子供の頃から漫画を書き続け、中学3年の時に投稿した作品が集英社『週刊少年ジャンプ』のヤングジャンプ賞の最終候補作になる。大学に進学してからも投稿を続け、20歳の時に小学館のマンガくん月間まん研新人杯の佳作を受賞。大学3年で中退し、東京に原稿の持ち込みに来たときに、たまたま入った少年画報社で連載の話が決まり村田光介のペンネームで少年キングに『ジローハリケーン』でデビュー。後に週刊少年ジャンプ『機械戦士ギルファー』を発表し、ジャンプ黄金期を支える作家のひとりとなる。代表作は『メタルK』(集英社)『ゴッドサイダー』(集英社)等。『ゴッドサイダー』は青年誌に移った後も『ゴッドサイダーセカンド』(新潮社)『ゴッドサイダーサーガ 神魔三国志』(秋田書店)が連載されていた。
来る2021年初頭よりネットで連載開始予定の巻来功士流近未来戦争漫画【FAKE WORLD フェイクワールド‐偽世界-】を準備中。
公式サイト:『MindHouse』http://www.sokaido.com/makikoji/