漫画を描き出す前に「漫画家になります!」宣言し、本当に『少年ジャンプ』の漫画家になったスゴい人DAY1

インタビューでも時々、シャイな表情を浮かべて、ていねいに質問に答えてくださったのは、かつて『週刊少年ジャンプ』でスポーツ漫画を中心に活躍した今泉伸二さん。『空のキャンバス』『神様はサウスポー』などやわらかいタッチの作品を描く一方、劇画調の作品も発表。高い表現力で、ファンを魅了してきました。そんな今泉さんの漫画家となった衝撃の経緯と、その半生について伺います。

 情熱と行動力! 

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デザインから漫画家へ。初めは何もわからなかった。

 

──幼少期はどのようなお子さんだったのでしょうか。

元気でしたね。体を動かすのが大好きな子供でした。もちろん絵も好き。学校へは体育と図画工作の授業のために行っているような子供でした。

 

──高校卒業後はグラフィックデザイナーを目指されたんですよね?

専門学校に進んで商業デザインを専攻しました。いわゆるグラフィックデザインの学科です。広告などを学ぶ学科ですね。本当はイラストをやりたかったんですが、そういう科はなかったんです。

 

──どこかで漫画家になりたいと思いつつ、イラストを学ぼうとした結果、グラフィックデザインにたどり着いたということでしょうか。

そうですね。ただ、その時はまだ漫画家になりたいというのは、そこまでは強くありませんでした。ミュージシャンに憧れてたりしまして。

 

──ミュージシャンになりたくてデザインの専門学校に進学したんですか!?

東京に出てきたかったんですよ!当時、フォークソングなどをやっていました。実は一度、どこかのオーディションを受けに行ったんです。オリジナルの曲を歌って合格したんですが、そこでお金いくらあるか?と言われて。そんなお金はないし断って帰ってきました。それでミュージシャンはやめておこうとなりました。

 

──就職はデザイン事務所に入られたとのことですが、どのようなお仕事をされていたんでしょうか。

小さいデザイン事務所で、ほとんど版下を作るのが仕事でした。たまにデザインもやりますけれど。ある意味、漫画作りと同じことをしていました。アナログの時代なので、漫画も作るものは版下原稿ですからね。

 

まずは行動!漫画を描いたことがないのに漫画家を目指して退社

 

──グラフィックデザイナーから漫画家へ転身したきっかけを伺えますか。

版下屋さんというのは急ぎの仕事が多いんです。しかも急ぎの仕事は夜に来る。それを明日の朝までに仕上げてくれ!という依頼も多かった。でも、絵を描くという仕事はほとんどない。自分がデザインの学校に行ったのも、絵をやりたかったからです。だから「漫画家になります」って言って退職しました。漫画を描いたことはなかったんですけれど。

 

──漫画を描いたことがないのに漫画家になるって言ってやめたんですか!?

落描きでキャラクターを描いたことはもちろんあるんですが、コマ割りやストーリーを作る作業をしたことはほとんどなかった。でもとにかく、宣言した以上やるっきゃない。やるべき事は即行動!これはブルース・リー先生の影響ですね。ブルース・リー先生の好きな言葉に「願うだけでは不十分だ、行動しなければならない。学ぶだけでは不十分だ、応用しなければならない。」というのがあって感銘を受けました。

 それで漫画を描き始めたんですが、通常は描く前にネームという設計図を作りますが、それすらもよくわからなくて、いきなり原稿に漫画を描き始めたんです。でも、すぐに行き詰まってしまいました、何かが違うと…。そこで漫画雑誌の編集部に「描き方がわからないから原稿を見せてください」と連絡したんです(笑)。

 

──いきなり漫画が描けない素人の状態で編集部にプロの原稿を見せて欲しいと頼んだんですか!?

 断られるところが殆どだったんですが『少年ジャンプ』の編集部だけが来てもいいと言ってくださって、原稿を見せてもらいました。「凄い」って感動しましたよ。ペンの線も物凄くきれい。その時に自分が描いた絵を持っていったんです。それを見てもらうと、絵は描けそうだからどこかに入ってみるか?と誘われて、アシスタント先を紹介してもらうことになりました。運とタイミングが大きかったと思います。たまたま人がいなくて探していた時期だったんじゃないでしょうか。『少年ジャンプ』で見てもらうまで、問い合わせた編集部は全滅でしたから。

 

『フレッシュジャンプ』で受賞。プロの道へ

 

──デビューのきっかけを伺えますか。

フレッシュジャンプ賞をいただいたのがきっかけです。お世話になっていた先生を紹介して下さった担当さんにずっと自分の作品を見ていただいていたんですが、その方が出してみないかと言ってくださったので応募しました。これで読み切りが掲載されて、数年後に連載を持つことができました。

 

──連載に至るまでに企画はかなり出されたんでしょうか。

企画を出す以前に、読み切りネームのボツの山が築かれてます(笑)。とにかく読み切り作品のネームをたくさん描いて、連載企画はそのずっと後です。

 

──スポーツ漫画を多く描かれていますよね。

最初に『空のキャンバス』で器械体操の漫画を描きましたから、その流れがあるかも知れません。ただ、ずっと後になって判るんですが、一度扱っているジャンルの依頼と言うのは「同じジャンルだから描けるけるだろう」と言う事で依頼される事はあります。一度、ゴルフ漫画を描いた事があって、その後ゴルフ漫画の依頼が随分来ました。ヒットもしていないのに(笑)。

 

競技によって見え方が変わってくるスポーツ漫画

 

──描いた経験値が編集側で判断基準になるということですね。スポーツ漫画というキャリアの中でも、題材となった競技はひとつではありませんが、題材競技を選ぶポイントはあるんでしょうか。

なぜ器械体操の漫画の次にボクシングの漫画に行ったかというと、器械体操が採点競技だったからです。採点競技って、結果が出るまで時間がかかりますよね。競技が終わったタイミングで得点はすぐはわからない。次の企画を考えている時に編集さんと話し合っていて「今度は一発で勝敗がわかるものにしよう」と言われたんですよ。ボクシングだと一発ダウンなら、もう視覚的にわかるじゃないですか。それで、ボクシングでいくことになったんです。それなら、ページも勝敗の説明に使わずに済みますから。

 

──試合が続いて、なかなか勝敗が決まらないスポーツ漫画もありますよね。

売れている漫画の場合はいいんですよ。でも、読者アンケートでそこまで人気が高くない場合、試合がダラッとしちゃったらどんどん人気が落ちてしまう。そういう時にボクシングのような、スパッと結果が出るスポーツなら、さっさと次の展開に移れる。テンポよく描きやすい競技なんです。そういう利便性の面もありました。

 

──人気投票で連載の今後に影響が出るのは、シビアな世界ですよね。

アンケート結果は一日二日くらいでわかります。最初の1000枚の段階で、だいたい何%かわかりますから。最後まで集計しても結果はだいたい同じになるようです。編集部によってはアンケート結果を作家に伝えたがらない所もあったりするんですが、それはよくない事だと思っています。作家自身が、現在描いている内容や方向性が読者に喜んでもらえているかどうかを《実感をもって知る》重要な手がかりですからね。

 (2DAYに続く)

 インタビュー:アレス  ライター:久世薫

 

 

今泉 伸二(いまいずみ しんじ) プロフィール:

群馬県桐生市出身。1984年に『ブリキの鉄人』(集英社)で漫画家デビュー。2年後の1986年には『週刊少年ジャンプ』(集英社)で『空のキャンバス』の連載を開始する。以来、スポーツものを中心に、少年誌、青年誌で活躍する。代表作は『神様はサウスポー』(集英社)。『週刊少年ジャンプ』にて連載した本作は、2009年には『週刊漫画ゴラク』(日本文芸社)で続編『神様はサウスポーDIAMOND』が連載された。

現在、YouTubeチャンネル『今泉伸二漫画館』で、初心者に向けた漫画の描き方などを公開している。

 

公式サイト:『今泉伸二.com』http://www.imaizumishinji.com/

YouTube:『今泉伸二漫画館』https://www.youtube.com/channel/UCFMMjxDJdlw68jBRSx4rw9w/

 

 

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