今週のスゴい人は、伝説のクルマ、三菱自動車のパジェロがバカ売れした原動力となった篠塚建次郎氏。「モノづくり大国・日本」の代表ともいえる自動車業界の隆盛をソフト面で支えたラリードライバーだ。その類まれなドライビングセンスで激動の時代を走り抜けたスゴい!軌跡を追う。
令和リニューアル記念4日連続インタビュー
DAY3
現役大学生インターンとの特別対談
今日は、篠塚建次郎さんと、学生インターン生の対談をお届けします。
ちょっと答えづらい学生からのストレートな質問にも、篠塚さんは真摯に本音で答えて下さいました。
学生 初めまして、どうぞよろしくお願いいたします。
まず初めに篠塚さんがラリーに興味を持ったきっかけを教えてください
篠塚(敬称略) 当時18歳になったら免許取って車を買うっていうのは若者たちにとって憧れみたいな感じだったんだよね。私も同じように18歳になってすぐに免許取って、大学に行きながら中古車を買ってドライブをするっていう…そんな学生生活だったんだけど、大学1年のとき、たまたま友達が今度ラリーに一緒に出ない?って誘ってくれたの。その時は自分の知識のなかにラリーという言葉すらなかったんだけど…。
学生 大学に入学するまではラリーのことはご存じなかったのですね。
篠塚 そう。でも友達が色々説明してくれて。元々車好きだったからその友達を含めたグループを作って一緒に出ることになって。最初はナビゲーター(助手席でアシストする選手)をやってたかな。コースは東京でスタートして富士五湖の方を回って帰って来るっていう。土曜日の夜に出発して日曜日の朝に帰るっていうね。その時、初めて砂利道を走った時に車が横にスライドするっていうのを経験したんだけど、自分の経験の中に車が横に滑るなんてことは無かったから、それが衝撃的に面白かったの。これはおもしろいなぁって思って、あんまり学校にいかずにアルバイトしてお金が貯まったらラリーに出るっていう生活をしてたね。
学生 そのときはどれくらいの頻度でラリーをされていたんですか?
篠塚 月に1、2回くらいかな。ラリー好きな友達と2年間くらいそんな生活をしてたなぁ。そうやっていろんな大会に出てた時、たまたま三菱のチームの人ととっても親しくなって、大学3年の時に、来年うちの車に乗らないかって誘われたわけね。メーカーチームの車に乗れるなんて夢のような話だから、じゃあお願いしますって言って、そこから三菱の車に乗るようになって。最初はナビゲーターをやっていたんだけど、ちょうど一年たったら4人いたうちの一人が辞めることになっちゃって自動的にドライバーになったんだよね。そんなこんなで大学4年の時から三菱チームのドライバーとして走るようになったかな。
学生 三菱のチームに誘われる前からプロ選手になることは考えていたんですか?
篠塚 いやプロなんて全然意識してなくて、また走れればいいな〜ぐらいな感じ。当時ね、日本のプロで飯が食えるのは野球と相撲とプロレスくらいで、あとはプロなんてなかったんだよ。Jリーグも無かったし。だから車でプロなんて発想がなかったな。
三菱のドライバーとして走るようになってから、日本の大会で連戦連勝してたんだけど、もうそのときは就職の時期で。漠然とこのまま三菱に入るのかな〜なんて思ってた。当時プロドライバーなんて職業なかったから、普通に入社試験を受けて、社員になった。
学生 すごいですね!(笑) 今の就職活動から考えると信じられないです。
篠塚 社員になってラリーもしてくれっていう話だったから、普段は全く普通の仕事をやりながら、ラリーがあるときだけラリーに行くっていう。二足のわらじでスタートをしたわけ。今よりもっとマイナーなスポーツだったから、大好きなラリーを続けるためにはラリーをやることによって自動車メーカーが得をするっていういうことを証明しなきゃいけなかった。会社の予算を決める時にたくさんの項目があったとして、その中でラリーが下の方にあると、じゃ予算足りないからちょっとやめようかっていうことにすぐなっちゃうわけだよね。だからテレビに出るとも含めての露出を増やして、まさにラリーをやることによって車や会社の認知度が上がって、最終的には車が売れるんだっていうのを実際に示そうと思ってやってたね。
大学 篠塚さんの著書『ラリーバカ一代』の中に「サラリーマンでこそできる仕事がある」を拝読したのですが、私たち学生が社会人になってサラリーマンになるうえでのアドバイスなどいただけたらと思います。
篠塚 サラリーマンっていい言葉としては使われないじゃない?なんとなく上からいわれることに従ってやりたいことはできないとかね。でも自分はサラリーマンだからこそできたなと思うことがあるのね。ラリー出場には計画書を書かないといけないんだけど、自分で書いてハンコ押してっていうのは社員じゃないとできないんだよね。外部の、フリーのドライバーだとそれはできないのよ。社員として会社の信用とお金を使うことができるわけだよ。時には会社の人間も使えるわけじゃない?これってすごいことなんだよ。
大学 会社からの信用を得ることで、できることの幅も広がるんですね
篠塚 そう、なかなか会社の信用っていうのはすごいものでね。サラリーマンやってる時は感じられないかもしれないけどね引退するととっても感じるの。定年になって名刺がなくなった途端、話もしてくれなくなっちゃうんだよね。今までもその人自身と話してたというよりは「名刺の役職」と話してたんだっていうことをすごく感じるの。だからこそ会社にいるときに会社の信用やお金、人を使って自分でやりたいことをやるっていうのはねとてもいい方法と思うんだよね。
学生 ありがとうございます。
最後に、御著の中で、三菱自動車がリコール隠しをしたということに対して、その根本の原因として「大企業トップの言いなり的雰囲気」をご指摘されていますが、私たち学生が大企業に勤めるにあたり、意識するべき点などあれば教えていただきたいです。
篠塚 やっぱり基本的にね、みんな真面目すぎるんだよ。いつまでにこのエンジンを開発しろって言われると「ハイ」って言って開発するんだけど、色んな理由で間に合わないことってあるじゃない。けど間に合いませんって言えないんだよね。
開発している現場の人間は、まだ今は無理ですっていうのを分かってたはずなんだよ。それが中盤の常務クラスになったとたん、上には「できます」なんていい返事しちゃって、っていうのが世の中にはいっぱいあるのよ。だから実意見がちゃんと通る風通しのいい企業じゃないと失敗するっていうことだよね。
学生 中盤層に立った時に上に言える人間になるってことが大事なんですね。
篠塚 そうそう。風通しの悪い企業とかよく聞くよね、それは何かっていうと、中盤にいる人が上に対していいことしか言えなくなってるんだよね。ほんとは現場で問題は起きてるんだけど上には伝わらない。だから偉くなればなるほど判断を間違えるというようになっちゃうんだよね。でもこの中盤の人っていうのはクビになりたくないからいいことしか言わないっていうね。それが世間に言う大企業病っていうものなんだよ。
学生 自分自身がどういう人間になるのかという認識を持ちながら働いていきたいと思います。
篠塚 そうそうそう。大企業ってみんなそうなのよ。だけど、若い人はこれからどんどん変えていけるから。頑張ってね。
学生 なるほど。ありがとうございました。
取材:アレス ライター:MAYA 翻訳:Tim Wendland
学生:阿部颯樹(上智大学4年)
◆篠塚建次郎氏 プロフィール
大田区出身 1948年生 東海大学卒
1971年 三菱自動車入社
1997年 ダカール・ラリー総合優勝 他多数
- 最新著書 『ラリーバカ一代』 (2006年、日経BP社)
- 公式HP https://shinozukakenjiro.jp/
- ファミリー経営 ペンション La VERDURA(ら・べるでゅーら)