とっさの嘘から漫画の道へ!?
いつまで経っても新人扱い
周囲の助けでピンチを越える
「夜の世界」でナンバーワンを目指すヒロインを描いた、『嬢王』という漫画がある。
人気となり、2005年から実に三回にもわたりドラマ化されたヒット作だ。
その作画を担当したのが、本日登場するスゴい人。
画力の高さに定評があり、ことに女性キャラの「可愛さ」に魅せられるファンも多い。
デビューまでの道のりや、今後の展望など、お話を伺った。
さあ…
漫画家
紅林 直様の登場です!
不良もオタクも友達
少々バタバタした家庭で育ち、子どもの頃は何かあると大家さんのところに駆け込んだり、友達の家でご馳走になったり、周りの大人に助けられていました。
友達の幅は広くて、やんちゃなヤツもオタクっぽいヤツも仲が良かったです。
がっつり不良という訳では無かったですが、中学時代は『ビー・バップ・ハイスクール』の影響で、仲間はアイパーをかけたり、変形学生服を着たり。
僕のポジションは、エッチな本やビデオを持っているヤツ(笑)
そのうち、お色気漫画っていうところに行き着いた。
「漫画ホットミルク」という雑誌に、唯登詩樹先生や藤沢とおる先生など、絵が上手い人が沢山集まっていたんです。
漫画の描き方指南や、「まんがの森」の店長さんの『この漫画を読め!』みたいなコラムもあって、岸大武郎先生の『恐竜大紀行』とか、高屋良樹先生の『強殖装甲ガイバー』等、通好みの漫画が取り上げられていて、影響を受けました。
とっさの嘘から漫画の道へ!?
17歳の時、家庭のトラブルで、高校を中退したんです。
学業、友達、家の事…全部一遍にできなくて、一度シャットダウンする事になりました。
やがて真っ当な友達は、大学に行ったり仕事を始めたり、地元を出て行ってしまって。
自分が上京する術は無くて、寂しかったですね。
一方、悪い仲間は残っていて、ここに居るとヤバいぞ、という状況で。
ある時、悪友から誘いの電話があって、丁度ニュースで手塚治虫先生の訃報が流れた。
それを見て、誘いを断る口実に「俺、漫画家になるから」って、とっさに嘘をついたんです。
絵は得意とはいえ、漫画を描いた事はなかったんですが。
そうしたら、意外な事に「頑張れよ」って言ってくれて。
だけどしつこく「漫画できた?」って聞いてくるんです。
結構なペースで、編集者さんより押しが強い(笑)
8ページできたら見せて、って繰り返して完成。
「ジャンプ送んねーの?」って言われて、応募したんですが、落選でした。
賞金で上京
これで火がついて、悪友にも「真剣にやるから、ちょっとほっといて」と伝えて。
漫画賞の講評やホットミルクの描き方講座など、試行錯誤で知識を組み合わせ、数作描きましたが、どれも落選。
18歳の時に、可愛い女の子がボクシングを頑張って、男の子が「努力しないと何もなせない」と気づく、という作品を描きました。
当時の僕のことですね(笑)
それをサンデーに持ち込みしたら、入選の連絡をいただいたんです。
賞金の30万円でやっと上京できる!と、喜びもひとしおでした。
まずはアシスタントからと、みやすのんき先生にお世話になる事に。
我流で描いていたので、枠線が引けないどころかペンの持ち方も知らず、先輩たちも僕のあまりの描けなさにビックリしてしまって。
皆さんにご迷惑をかけたんですが、イチから丁寧に教えてくださいました。
エンタメ修行
半年くらい経って、今度は西森博之先生にお世話になりました。
独特の鍛えられ方をされましたが、カルチャーショックでしたね。
1日1冊、本を読む方で、インプットの量が半端じゃないんです。
映画や本を一週間で一作は見て、面白かったのを教えてくれ、と言われて。
先生も僕たちに勧めてくれるんですが、僕らも伝えなくちゃいけない。
面白く伝えないと、つまんねーな、って言われちゃう。
そのやり取りをしている内に、これは訓練なのかな、と気付いたんです。
面白い部分を探り当てて、自分で言葉にできると作品にも使える、と教わりました。
いつまで経っても新人扱い
何作か読み切りを発表したんですが、担当さんが異動になってしまったんです。
当時は担当が異動すると漫画家も付いていくような慣習で、別の雑誌になると雑誌内でのポジショニングをイチから築かなければならない。
それを何度か繰り返して、毎回ヒエラルキーの下の方からスタートとなり、中々連載に繋がらない訳です。
どこに行っても新人扱いで、悪条件で描かされるから、ペンは速くなりました。
お金にも不自由していた時代で、いつもお腹を減らしていましたね。
八王子の浅川で鯉をとって食べたら、食中毒になった事も(笑)
お医者さんに、そんなモン食べちゃダメ!って怒られましたよ。
段々行き詰まってきて、みやす先生にご相談し、集英社の編集さんをお引き合わせいただきました。
「厳しい訓練」を経て
後にウルトラジャンプの創刊編集長を務める方なんですが、コマの運び方から、キャラの演技の仕方、演出術まで、理論的に解説して下さいました。
ぐうの音もでない位理詰めで、プレッシャーが凄いんです。
ご馳走になっても、色々とダメ出しをいただきながらなので、ちっとも美味しくない(笑)
西森先生のは楽しい訓練でしたが、彼のは厳しい訓練でしたね。
でも、このお陰で漫画家を続けられていると思っています。
倉科遼先生原作の『嬢王』は、ホームページに載せていた絵を見た編集さんに抜擢していただきました。
漫画では描くチャンスが無かった、可愛い女の子を描いていたんです。
原作があれば脚本があるようなものですから、話が早い。
演出・演技の力を鍛えられていたので、自分の力を発揮しやすかったのでしょう。
今まで3作ご一緒しましたが、倉科先生とも相性バッチリでした。
周囲の助けでピンチを越える
何度かピンチはありましたが、要所要所で周りの方に助けられてきましたし、大きな挫折というのは無いと思っています。
先生方や編集さんに紹介していただいた時は、「今、引き上げられている」と感じました。
状況と周囲をよく見てみると、助けてくれる人の方がむしろ多いものかもしれませんよ。
壁がある時、誰かが穴を空けてくれたり、ロープを垂らしてくれたりしている。
何か「武器」はあった方が良いでしょうね。
僕は絵が描けたから苦境を脱出できたんです。
出会ってから30年くらい経ちますが、初代担当さんとも未だに親交があります。
皆さん、師匠であり恩人です。
役を演じるように描く
今連載しているのは『女優遺産』というタイトルですが、僕はキャラとは単なる絵では無く、役者だと考えています。
女も男も悪役も、僕が感情移入できないと描けないんですよ。
絵を描いているというより、演じているという意識でやっています。
作品に入り込むというのは、主体的でないとできないでしょう?
人物を漫画の中で立体的に掘り起こしたい。
イメージとしては海外ドラマのように、内容の質が高い作品にしたいと考えています。
原作者さんから直接オファーをいただく事も多いのですが、今はホラーに興味があります。
心理的な怖さ、みたいなものを描いてみたいですね。
取材を終えて
お話の最中、「周りに助けられて」と何度も仰っていた。
だから、精神的な辛さはバネになる事はあっても壁にはならない、という。
「それらがあって、今ここに漫画家として存在しているんです」とのお言葉に、謙虚さを感じつつ、実感が伴っている重みがあった。
「未だに助けられることもありますよ。『怨み屋本舗』の栗原正尚先生とは仲が良いんですが、今度彼の紹介でアメリカのイベントに招聘されるんです」という。
デジタル作画の講義をされるとのこと。
イベントのご成功を祈念するとともに、紅林タッチのホラー作品、楽しみにお待ちしたい。
プロフィール
紅林 直(くればやし・なお)
漫画家
静岡県出身。
1990年『ボーイッシュ』(週刊少年サンデー増刊号)でデビュー。
みやすのんき氏、西森博之氏のアシスタントを経て、漫画各誌で作品を発表。
代表作に『山靴よ疾走れ!!』『ソレイユ』『かの名はポンパドール』などがある。
『嬢王』(ビジネスジャンプ)は6年にわたり連載され、三度ドラマ化された。
現在は『女優遺産』(まんが王国)を連載中。
2018年3月16〜18日、米カンザス州で行われる「Naka-Kon」というポップカルチャー・イベントに登壇予定。
◆『女優遺産』連載ページ
https://comic.k-manga.jp/title/28204/pv
◆Amazon著者ページ
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◆公式Twitter
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◆Naka-Kon公式:ゲスト紹介
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