親も諦めるほどの悪ガキだった
人生に失敗はない、すべて経験
本物だけを追い求めて
本日登場するスゴい人は、「液体凍結」という革新的な冷凍技術を生み出した人物。
従来の冷凍方法であるエアーブラスト(空気)凍結は、冷気の中に食品を入れるものだったが、液体凍結はフローズン液に食品を浸し、急速に凍結する。
この技術によって凍結のスピードが格段に上がっただけでなく、食品の細胞を破壊しないため、肉や魚からドリップが出ないなど、生と見分けがつかないほどの高品質を保ち、その技術が注目を集めている。
革新的な技術はどのようにして生まれたのだろうか?
さあ…
株式会社テクニカン
代表取締役 山田 義夫様の登場です!
親も諦めるほどの悪ガキだった
私は、食肉業を営む家庭に生まれました。
子どもの頃は成績が悪く、いたずらばかりしていて、親も諦めているぐらいの悪ガキでした。
僕は人一倍遊ぶことが好きだったので、遊ぶためにはお金がいるから稼がないといけないと思いました。本能のまま色々な仕事をしていました。
会社員を10年位したり、両親の会社をちょっとやったり
兄弟の会社で助っ人みたいに協力したり。
大きな船を持って漁師もやってみたものの魚なんて捕れたことがない。
1年半でアコウダイ1匹しか釣れませんでした。
振り返って自分の若い頃を見ると、「能力もないのに、あいつ本当に馬鹿だね」と思います(笑)
人生に失敗はない、すべて経験
24歳で乗馬クラブを経営して、31歳でステーキハウスを六本木に作り、本能でずっとやってきました。
六本木のステーキハウスは5500万円かけて始めて、ずっと赤字で、1年経ってやっとトントンくらいでした。
当時は食肉の会社を持っていたのでやっていけたけれど、1年経って「見込みがない」と辞めました。
その後、成増で肉の小売店を始めたのですが、親父に「一日いくら売れるんだ」と聞かれて、「6万円くらいかな」と言ったら「全部儲けても6万円か」と言われてガクーンとなり、その日に閉めました(笑)
僕は切り替えが早いんですよ。
はたから見たら失敗に見えることもあったけれど、僕は失敗とは思っていません。
人生に失敗はない、そういう経験があるから今があると考えています。
だから、20代で船を持ち、車は何台も持ち、乗馬の馬も何頭も持っていました。
やはり人の欲しいものを考えないといけない。
よそでやっていることを一切僕はやらないんですよ。
他で買えるものや使えるものをやったって、面白くないですよね。
だから独特のもので、人が喜ぶようなことを考えます。
これは、子どもの頃からの僕の基本的な考え方です。
効率化のために「凍眠」を開発
「凍眠」は、一つのきっかけから生まれました。
35年くらい前、外食産業が伸びていて、年間200~300店舗出店する時代。
飲食店に収める問屋は、翌年は5割増しで製造しないといけませんでした。
僕は兄弟の食肉会社を手伝っていて、商品を段ボール箱に詰めて冷凍するのですが、冷凍に24時間かかっていました。
冷凍庫の中は、半分が冷凍するための棚で、もう半分が冷凍したものを保存するスペースです。
限られたスペースなので、とてもじゃないけれど、翌年5割増しで作るなんて無理です。
それなら棚を取り払って、作業場の中で凍結する装置を作っちゃえばいいと考えました。
そうすれば、冷凍庫に何倍も商品が入ります。
凍結時間を20分にできるものを作ろうと、独学で設計しました。
以前ブラジルにいた時に、アルコールを学び、結構詳しくて。
アルコールは低温にすると蒸発もしないし、比重も軽いので物が沈んでくれて、表に出すと蒸発してくれて、口に入れても害がない。
その上、世界中にありますから。
アルコールで凍結するのは面白いと考え、約1年で「凍眠」ができました。
最高のレベルにするには15年かかりましたね。
最初は速さから入ったのですが、同時にドリップが出ないということがわかりました。
肉をどんなに凍結・解凍を繰り返しても、叩いてぐしゃぐしゃにしても、ドリップが出ないのです。
良いものができても売れなかった10年間
これを機械として独立して売ろうと、テクニカンを創業しました。
ところが売れないんです。
新しいものは浸透するまでに時間がかかります。
「おいしいハンバーグ」は、ハンバーグを知っているからすぐに売れます。
だけど、今まで空気で冷凍していたものを液体凍結にすると「何それ?」となってしまう。
浸透するまでに10年以上かかりました。
その間は、赤字はほとんど出しませんでしたが、ぼちぼち売れて、食っていけるからいいやというくらい。
ただ、創業から6~7年経った頃に大手機械メーカーから代理店をやりたいと言われ、最初は逃げていたんですが口説かれて。
人を大量に入れて、工場を作って、3年半何も売れませんでした。
結局4年半で2億5千万円くらい損をして、累積で1億6千万円赤字が出て。
これはダメだと思ったのですが、一日一日生きて行こうという所から始めて、3年間でその赤字をほとんど埋めました。
日本全国、呼ばれるとどこにでも自分でテスト機を持って行って、テストをしました。
その頃はしんどかったですよ。
でも、いつも楽しかったですね。
絶対にあきらめないプラス思考
自分が作ったものは、諦めることはありません。
人の作ったものをコピーすると、2~3年売れないと辞めてしまいます。
だけど自分で開発して、いいと思ってやっているものは、絶対諦めない。
いつか分かってくれるという気持ちがあるので、自分で作ったというのは強いですよ。
「このままで良いのかな」という想いがよぎったことはありますが、不安にはなりませんでした。
僕はすべてプラス思考で、一切マイナスを考えません。
だからいつも明るくて、楽しくやっていますね。
うちの会社はみんな笑っていますよ。
本物だけを追い求めて
肉のために作った「凍眠」も、今は肉から水産、フルーツ、野菜など、食品全般に範囲が広がっています。
テクニカンは冷凍のいい悪いという競争は一切しません。
そうではなく、「生」とどう戦えるか。
だから、冷凍の良い悪いというのを飛び越さないと仕方がないんです。
僕は偽物が嫌いだから、何でも本物を出したいと思っています。
機械でもそうなんです。
「10年くらいで多少故障するくらいがいい」なんて言うけれど、そんなのだめだ、20年でも30年でももつ機械にしろと。
最高の凍結ができればシンプルなのがいいという考えなので、機械は非常にシンプルで、タッチパネルもつけません。
タッチパネルは壊れたら交換だからメーカーは儲かるけれど、スイッチ一つで1~2万円で済むならその方がいい。
僕が考えている機械というのは、コンパクトで能力があって長持ちするものです。
当たり前のことを、当たり前にやっているだけなんですよね。
信念
自分が知り合った、信頼できる人間は、絶対不幸にしないというのが信念です。
あとは、手を抜かないこと。
遊びも仕事も忙しいんです。
仕事と遊びを分けていなくて、全部僕の人生そのものなんですね。
今の日本は、儲からない商売をやりすぎです。
相手が喜んで、自分たちも笑えないと、遊べないと意味がないので、薄利多売ではなく、きちんと利益を得て、それでも相手の方に喜んでもらう商売をしています。
取材を終えて
私は、“破天荒”という言葉が一番似合う方だと感じました。
色々なことに挑戦し、経験から学んだことを活かし、独学で突き進む。
大胆で型破りなその考え方で仕事も遊びも全力で楽しむことを一番に実行されていました。
取材後、実際に凍眠を使ったデモストレーションを見せていただき驚きました。
将来、この冷凍技術によって食品だけではなく、医療の分野など、世の中を変えてしまうかもしれないと私は感じました。
プロフィール
山田 義夫(やまだ・よしお)
株式会社テクニカン 代表取締役
◆株式会社テクニカン
http://www.technican.co.jp/