独自のカット技術を生み出し、赤字店を全国に名を轟かせる炭火焼肉店にしたスゴい人!

きつい貧乏生活

芝浦は築地じゃなかった!

築地を見習い焼肉業界の地位向上に務める!

本日登場するスゴい人は、「最高の炭火焼肉を美味しく楽しんでいただきたい」その純粋な努力を怠らずに、日々突き進む炭火焼肉の職人。
焼肉ファンの中では知らぬ人はもういない「炭火焼肉なかはら」
焼肉も経営に関してもド素人の男が肉に真摯に向き合い、切り方一つにこだわり続けた結果、世界に誇る和牛の良さを最高の形でお客様に提供している。
寿司屋は大将が取材対象になるが、これまで焼肉屋の取材対象は肉だったと思う。
何故、彼は前面に出るのだろうか?
予約が取れない人気店になるまでに乗り越えてきた苦労と、焼肉界の革命児と言われている彼の素顔に迫ってみよう。

さあ…
株式会社ヘンリーコーポレーション
代表取締役 中原 健太郎様の登場です!

アメリカと日本で過ごした小学校時代

父の仕事の関係でアメリカで生まれ、3~4歳の時に初めて日本に来ました。
小学生のうちは日本とアメリカを行き来していたんです。
アメリカと日本の人間付き合いに、子どもながらに悩んだりもして。
海外では自分をアピールしないとついてこないし、出かけるにも車だから親同士が連絡を取り合い時間厳守。
それに比べ、日本は友だちとの時間も曖昧で自由。
友だちの家にはファミコンのカセットが沢山あったり、引き出しにヒヨコがいたり(笑) 
このファジーで独特の世界観に「日本スゲー!」って思いました。

将来が不安だった大学時代

中学から私立に行ったのですが中学高校の6年間で、小さい悪さをして停学を6回ももらったのは自分ぐらいでした(笑)
群れることが昔から好きではなくて、それは今でも同じです。
大学時代、みんな楽しそうに大学生活を送っているけれど、将来何をするのかな?この先明るい未来があると思っているのかな?といつも中庭で寝ながら考えていました。
企業に就職した場合の生涯年収を計算したり、世の中の仕組みを色々と理解していくと、自分が思い描くほど世間は甘くないと分かり、もの凄く怖くなりました。
今の環境は変えられないけれど、どうしたらいいんだ?と思いながら大学は6年かけて卒業しました(笑)
家庭教師などのバイトもして稼いでいたので、サラリーマンが全てじゃないとは思っていました。

結婚、焼肉店を継ぐ

卒業後テレビ局に就職したのですが、上司とそりが合わず7か月半で辞めてしまうのです。
退職して初めて「何もない」とちょっと焦りました。
「お坊ちゃんで世間知らず、レールに乗ってきた人生!?それでお金稼げるのか?」と言われた時に、ヤバイ!と思ったんです。
そこで頭を下げて実家に戻り、塾の講師やBARで働き始めました。
BARで働いている時のお客様が今の妻です。
出会って数年で結婚したのですが妻の実家の焼肉屋を手伝う事になりました。

きつい貧乏生活

お店に入ってみたら火の車!
狂牛病の影響もあり、お客様なんて2日に1回来るか来ないか。
借金もあって、業者に対して掛売りは許されず、現金支払いのみ。
銀行はもう貸してくれない状況なので、僕が保証人になり借金もしました。
妻のお腹には赤ちゃんがいて、布団もないし、エアコンもない。
お金が原因で喧嘩することもしばしば。
家賃12万5千円なのに、手元にあるのは7万円ですよ。
笑っちゃいますよね。
お金が無いのが喧嘩の原因にもなっていたのでいっそ無い方が良い!
そうしたら、美味しいのを食べて使っちゃうか!?
なんなら、いつもはしないパチンコをしてみよう!とやってみたらビギナーズラックで勝ってしまい家賃を払えたのです(笑)
そんな時に決めたんです、何をしてでも売り上げを前年比120%に持って行く!と。
120%割った時点で閉店しようって。
経営なんてしたこともない僕でしたが、がむしゃらに働きました。

芝浦は築地じゃなかった!

知識も人脈もないけれど、動かなければ何もできない。
まずは仕入れだ!と築地と同じイメージで朝5時くらいに芝浦に行ったんです。
門が開いていなくて、7時まで待っても開かない。
仕入れだと言って入ってみたけれど、販売している人が見当たらないんです。
そこにいたオヤジさんに「俺、肉買いたいんだけど!」って言うと、「どこのやつだ?どのくらい買うんだよ?」と。
俺、「月30万くらい買っちゃうよ!」って言ったら、「バカか!1頭買うのに200万だぞ!
」と言われて。
無知なのは自分だったけど、オヤジさんにバカにされたのが頭にきて毎日通ってやりました(笑)
1週間くらい通ったら長靴と白衣が用意されていて、オヤジさんに包丁の持ち方から肉の捌き方など色々と教えてもらったんです。
毎朝、自分がほしい分だけ勝手に切って現金で支払って仕入れていたんです。
肉の流通は、セリをした後に仲卸が買って精肉にし、肉屋へという流れ。
築地のように部位ごとに買っていくスタイルではなかったんです。

かっこつけるのをやめて、素直になった

当時、店があった三ノ輪という場所はすごい土地柄でした。
おっちゃんが炭の中や床にタバコを捨て、外の席では勝手に屋台のラーメンを食ベ出すし、食い逃げもしょっちゅう。
そういうおっちゃんの相手にだんだん疲れてきて、カッコつけるのが嫌になっちゃって。
こっちもタメ口。
忙しくてできないものは、素直にできないと言ったり。
一度、従業員も全員解雇して、一人で店を切り盛りしていた時もありました。
朝は仕入れに始まり、店の掃除、買い出し、仕込み。
そして、オープン。
一人で一通りやってみると、仕事量に対する適正な対価も見え、経費を圧縮する基準が見つけられました。
例えば網は自分で洗うより業者に出した方が効率的とか。
たまに満席になって提供が遅れても、お客様が理解してくれるようになり、時にはお客様に手伝ってもらいました(笑)

築地を見習い焼肉業界の地位向上に務める!

お寿司屋さんや料亭の大将は、素材を見るために築地に行くことがあるじゃないですか?
だけど焼肉屋さんで競りに来ている人って誰もいないんです。
自分の目で確認していない商品を出すのはお客様に失礼だと思うんです。
自分の目で確認すれば良いモノを適正な値段で買う目を養える。
それは生産者の為にもなり、お客様の為にもなります。
そして、最終的にお店のためにもなるんです。
築地では消費者に美味しいものを食べさせたい気持ちで、漁師さんから仲買人さんまで連携が取られているように、焼肉業界も連携を取っていきたいです。
お寿司屋さんはどこで修業したかがお店選びの一つの基準になると思うんです。
それはその大将から受け継いだネタ選びからネタの仕込み、そして仕事全体に対する姿勢を受け継いでいる安心感をお客様に与えているからだと思うのです。
そういう和文化にある職人気質が焼肉業界にも広がればもっと良くなると思うんです。
例えば、「なかはら」で修業した人間はちゃんとお肉を扱える職人なんだ!という安心感です。
これからは焼肉業界でも「〇〇出身」という系譜を作るべきかと。
文化を変えるのは時間がかかりますが、これからも焼肉業界の地位向上に務めていきます。

取材を終えて

中原さんにお会いしたのはまだお店が三ノ輪にあった時。
場所は決して良くはないが客席は満席!コストパフォーマンスに感動した。
今回、取材を通じ確かに!と思う業界特有の文化に気付かせてもらえた。
きっと数年後は中原さんの様な焼肉店オーナーが沢山出てきて仕事に対する想いを語っているのだろうと思った。そして、「中原さんに憧れて焼肉屋になりました!」という若者も沢山出てきて欲しい。その為にも中原さん独自の目線でこれからも焼肉業界に切り込んで頂きたい。

プロフィール

中原健太郎(なかはら・けんたろう)
1976年、東京都出身。大学卒業後、テレビ局に入社するも退職して様々な職を経験する。27歳のときに奥様の実家である焼き肉店【七厘】を継ぐことになり、独学で肉の仕入れや調理を習得し、人気店に成長させる。2014年に市ヶ谷に移転し、店名も【炭火焼肉なかはら】に。2016年には【ヘンリーズ バーガー】もオープン。

◆炭火焼肉 なかはら http://sumibiyakinikunakahara.com
◆ヘンリーズバーガー http://www.henrysburger.com/

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