潤滑油製造業界の発展に貢献し藍綬褒章を受章したスゴい人!

工場で暮らした幼少期

チームワークを大切に

他人事と思うな

本日登場するスゴい人は、車両用潤滑油、及び工業用潤滑油を製造する専業メーカーの社長。
同社は1954年に創立され、今年で65周年を迎える。
また、平成17年より全国石油工業協同組合の理事長も務めており、平成19年にはオイルの日を制定(7月10日)。
平成27年には業界の発展に寄与したことに対して、藍綬褒章を受章。
事業のみならず、地域活動やボランティア活動にも積極的に取り組むのはなぜなのだろうか。

さあ…
中外油化学工業株式会社 
代表取締役 石川 裕二様の登場です!

工場で暮らした幼少期

この会社を設立したのは、先代である父です。
四国から出てきて、戦後の仕事がない頃に東京の大学を出て、アルバイトで潤滑油に出会い、潤滑油の再生工場としてスタートしました。
当初は、工場の休憩室で親子川の字になって寝ていました。
お風呂も工場にボイラーがあり、現場の人たちが仕事を終えて油まみれになって入るところに一緒に入ったりもし、幼少時代を過ごしました。
通常3年保育ですが、両親の仕事の邪魔になるため、保育園に掛け合い3才から保育園に預けられていました。
私は幼稚園から高校まで皆勤賞で、風邪をひいて寝込んだこともありません。
気合いかな。
スポーツ大好き人間で、高校時代はインターハイの空手で優勝し、2年間連続でメダルを取り、ニューヨークに渡り子どもたちに教えたこともありました。
スポーツで経験した上下関係や、旅行ではなく海外の人々の生活に触れたことは、仕事でも役立っていると思います。
私は次男で、もともと体育の教師になりたかったのです。
ただ、兄が会社を継ぐものと思っていたら違う方向に行ってしまったので、教師の道を諦めて家も会社も継ぐことになりました。
大学卒業後に当社へ入社し、40歳で社長に就任しました。

オイル市場の縮小という課題

近年日本では、ハイブリッド、EVなどの車両の変化と共に、ガソリンや車両用潤滑油の市場が縮小しております。
そこで現在取り組んでいるのが、車両用以外の潤滑油の開発と海外展開です。
ミャンマーには中外油化学の代理店がありますし、昨年からアフリカのインターンの受け入れを行い、次の展開を目指しております。
潤滑油は、他の業界や製品と比べて新規参入がなく、需要の減少も他の業種や製品よりはなだらかな変化なので対応する時間はあります。
製造業で人員的なミスが発生すれば、クレームが起きます。
クレームが起きた時の対応次第では仕事がゼロになってしまいますが、より強い信頼を築くチャンスでもあります。
誠心誠意努めることに尽きると思っております。

チームワークを大切に

私はタイプ的には営業社長ですので今でも外に飛び回って仕事をしております。
手帳は予定を入れて黒くしていないと落ち着きません。
ただ、もちろん全体のことをわかっていないといけません。
よく社員に言うのは、サッカーに例えると社長は監督、フォワードは営業、ミッドフィールダーは製造部、ディフェンスは業務部や技術部、最後は経理部がゴールキーパー。
組織ですからボール回しも上手くしないといけないので、フォワードは後ろに目があるくらいでないと、製造部や技術の人たちみんなの苦労がわからないと、パスも回せませんし、シュートもできません。
やっぱりチームワークが必要で、先代の時代には愛社精神やスパルタでまとめていましたが、今は中外チームをどうやってまとめていくかを、工夫しています。

100年企業を目指して

100年企業を目指し、この5年の間で3代目に事業承継します。
日本には老舗や大手などの100年企業は多数ありますが、中小企業の製造業で100年企業は0.00数%の世界なので、何もしなければ終わってしまいます。
若い人たちには会社の歴史は伝えてきておりますが、今後何をするべきなのかを私のアイディアは都度伝えるようにしております。
100年企業を目指せ、その時私はもういないよ、だけどやるしかないでしょう、と伝えていきます。

地域や業界への貢献活動

先代が埼玉工場に本社機能を移行した時、栃木県佐野市に佐野工場を作りました。
1992年から佐野でお世話になっているので、2004年には佐野で僕がやりたかった屋内外のフットサル場とトレーニング施設を併せ持つ、「FOOT ENERGY」を始めました。
元気な足とコミュニケーションづくりの場を提供することを目的として、F.E.サプライという会社を運営しています。
当時先代が倒れ、病気で動けなくなり、「やはり人間は足が元気でないとダメだ」とも思っておりました。
フットサル場で大会を開いたり、子どもたちのサッカースクールをしたり、チームを結成し、栃木のフットサルの一部リーグに出ております。
2013年には佐野工場が「世界に誇る佐野ブランド企業」に認定されました。
技術力や国内シェア、品質管理、地域貢献度の観点で認証されたと聞き、大変光栄に思います。
また、オイルに関係する活動としてレース活動もずっとやっていて、自社のチームを作って参戦したり、他のチームにもロゴを入れスポンサー活動もしております。
子どもたちの大会には佐野市のゆるキャラ「さのまる」を呼んだり、レーシングカーを持ってきて体験できるようにしています。

他人事と思うな

当社では月に1度社員全員で街のごみ拾いをしています。
「ありがとう」と言われるのは嬉しいですが、最終的には「中外さんがやっているから私たちもやろう」と地域でやるのが目標です。
東日本大震災の時はフットサル大会で募金を集めたり、レース活動を休んでその分の経費を被災地にお送りする活動をしました。
2017年には熊本も行きました。
熊本城の復元にも寄付をさせていただきました。
こうした活動をするのは、25年程前に台風で埼玉工場が腰まで浸水し、仕事にならず、お客様に迷惑をかけ、自宅も水に浸かってしまった経験があるから、他人事だとは思えない。
口先だけで言っても仕方がないですから。
社員にいつも言っているのは「目配り気配り思いやり」「他人事と思うな」ということ。
僕はいつも「行ってきます。明日元気だったら会おうね」と言います。
幸せだと、天災や事件も他人事だと思ってしまうけれど、いつ何があるかわからない。
そのくらいの危機感をもって生活していますし、会社としても今は危機管理体制を万全に構築しております。

7月10日=オイルの日

平成19年には7月10日を「オイルの日」と制定しました。
今はなかなか自分の車のボンネットを開けることもなく、オイルがどこに何リットル入っていて、オイル交換はいつやればいいのか、知らない人が増えてきております。
皆さんにもっとオイルを理解してもらうため、「OIL」を半回転させると「710」に見えることから7月10日をオイルの日とし、7月をオイル交換強化月間としました。
テレビなどにも取り上げられましたが、更に多くの人に認知していただきたいです。

取材を終えて

先代であるお父様から受け継がれた会社を守り、発展させつつ、事業を広げ、さらに地域貢献活動や被災地支援活動も行っている石川社長。
50代で褒章を受けることは珍しいそうですが、さらに石川社長のお父様も勲章を受章されていて、お祖父様も学校の校長先生として褒章を受けており、三世代にわたり評価を受けているというお話もお聞かせくださいました。
本当にスゴいです。
製造業の中小企業で100年企業になるのは容易なことではないというお話でしたが、石川社長のお話を伺っているとすでにはっきりとその道筋が見えているようで、きっと100年企業になるのだろうと感じました。

プロフィール

石川 裕二(いしかわ・ゆうじ)
中外油化学工業株式会社 代表取締役
アドヴァンストケミカル株式会社 代表取締役
F・Eサプライ株式会社 代表取締役
中外石油株式会社 取締役 

昭和55年中外油化学工業株式会社に入社。
平成5年に常務取締役となり、平成11年代表取締役就任。
また、平成19年6月から平成23年5月までは社団法人潤滑油協会会長を、平成17年6月からは全国石油工業協同組合理事長を務めている。
平成27年藍綬褒章を受章。

◆中外油化学工業株式会社 http://www.chugai-yuka.co.jp/

◆FOOT ENERGY  http://www.footenergy.jp/

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