数々の日本記録を保持する若手No.1フリーダイバーのスゴい人!

イルカの島、御蔵島で生まれる

入退院を繰り返した小学生時代

思ったことは何でもできる

柔らかな笑顔とゆっくりとした口調で話す本日のスゴい人は、その柔和な見た目とは裏腹に強靭な肺を持つフリーダイバーだ。
プール種目では水中を水平方向に泳いで行ける距離を競う種目で197m、海洋種目の素潜りでは水深103メートルと、どちらも日本記録保持者である。
人魚ジャパンという日本代表の団体で世界連覇を達成するメンバーの1人。
御蔵島で生まれ海と共に育った彼女は、おばあちゃんがいつも話してくれたという、島ならではの考え「明日は明日の風が吹く 自然と供にあれ」という言葉と共に生きる。
病弱だった小学校時代からフリーダイバーになるまでの軌跡を見てみよう。

さあ…
フリーダイバー
HANAKO様の登場です!

イルカの島、御蔵島

父の実家である伊豆諸島の御蔵島で幼少期を過ごしました。
2~3歳で千葉県に引っ越してきても、休みになるとおばあちゃんが住んでいる御蔵島によく行きましたね。
御蔵島はイルカと泳げる島ということでも有名です。
親戚のおじさんの船でいつも海に遊びに連れて行ってもらって。
高校生になっても毎年夏休みには御蔵島へ。
ドルフィンスイムのアルバイトで、親戚のおじさんやお客さんのお手伝いをしながら、イルカとたくさん遊びました。
小さい頃か海が身近だったので、泳ぐ・潜るという環境はその頃から身に付いたと思います。

病気で入退院を繰り返した小学校時代

小学校1年生から4年生くらいまで、突然腎臓病になり入退院を繰り返す日々でした。
その病気は小さい頃に突然発症することが多いみたいです。
急に血尿が出て、病院に行ったら即入院。
当時は結構過酷な闘病生活で、外で遊びたい盛りなのにつまらない思いもしていました。
体育の時間は見学、給食もみんなと同じものが食べられないので母のお弁当。
ただ、痛みはなく制限があるくらいだったので、今思えばすごく昔の話でそんな時期もあったな、という感じです。
5年生くらいには病状も落ち着き、普通に生活できるようになりました。

海への憧れ

小さい頃から海の仕事をしたいとずっと思っていました。
海の近くで働きたい、海の近くに住みたい、と漠然と考えていて。
イルカの調教師さんもいいなと思ったけれど、野生のイルカと遊んでいたので自分のイメージとあまりマッチしませんでした。
高校の時、大学に行くというビジョンはなく、スポーツインストラクターの資格が取れる専門学校があることを知り、進学を決めたんです。
専門学校で初めてスキューバダイビングを始めましたが、素潜りを基礎としていた私にとってダイビングが少し苦しく感じてしまって…。
でも、研修先で出会ったショップの方々やツアーに行った先でのお客さんとの出会いのおかげで、ダイビングの仕事も素敵だと思えるようになりました。
その後、しっかり資格を取って卒業し、ダイビングショップへ就職しました。

無知ながら大会に出場

フリーダイビングには高校の頃から興味があったのですが、あまり機会に恵まれませんでした。
当時、ダイビングショップのオーナーが親身になって相談に乗ってくださり、働きながらフリーダイビングをやればいいと提案・協力して下さいました。
就職して1年目の夏、海での「水中に垂直に設置したロープに沿って潜れる深さを競う種目」に出場。
一番深くまで行きたい!と申請した制限深度が35メートル。
その時、日本のフリーダイビングのパイオニアと言われる松元恵さんから、初出場の私にいきなり35メートルの申告は認められないと言われました。
でも、その大会前にご自身の練習に誘ってくださり、そこで潜水能力を認めてもらえて、35メートルの許可がおり達成することができました。
同じ年の12月、京都で行われたプールの大会に出場。
そこでもまた、ルールも知らない、大会の様子もわからない状態でしたが、ベテラン選手たちが色々教えてくれながらサポートしてくれました。
息継ぎ無しで水中を水平方向に泳いで行ける距離を競う競技では99メートルを記録。
大会に行くための時間や費用のサポート、現場でサポートしてくださった方々のおかげで、プールや海での大会に出場する一歩を踏み出せました。

鼓膜が破れてしまったり、壁があったり

海洋大会2回目の時、制限深度38メートルのタグを取る直前、鼓膜が破ける音が聞こえました。
浮上していく途中で何度もめまいがしましたが、38メートルを達成できた嬉しさもあり、大したことではないと思っていたんです。
ただ、鼓膜が破けてしまうと自然に治すしかなく、とにかく耳を乾燥させなければなりません。
ダイビングの仕事をしているのに仕事にならない!とショップのオーナーに怒られました。
海洋大会はそこから機会に恵まれませんでした。
仕事との両立では時間があまり取れず、練習ができない、遠征ができないという壁。
大会に行くための環境づくりも非常に厳しかったです。
大会で優勝したとしても賞金が出るわけではないので、金銭面でも大変でした。
でも、ショップのオーナーやお客さんなど、たくさんの支援者がいてくださったので乗り越えることができました。

思ったことは何でもできる

数々の大会に出てきて、色々なことを感じられました。
フリーダイビングをやっていて、上がってくる時には毎回、今まで生きてこられてよかった、という思いになります。
お世話になった人に会いたくなったり、温かさを感じたり。
いいダイビングができた時には本当に幸せな気分になりますし、また潜りたい!この気持ちをシェアしたい!という気持ちになります。
体調が優れない時などは、いいダイビングばかりができるわけではありません。
常に心と身体がリンクしている状態なので、フリーダイビングをやっていていつも正直でいるということに慣れました。
海の中にいると、自然に自分と向き合えるようになります。
同時に、思ったことは何でもできるんだ、ということに気づかされました。
思い描く行動一つ一つ、思考一つ一つが必ず実現できる方向へ向かっているので、ちゃんと思えばできないことはないと私は信じています。

これからのフリーダイビング

海が好き、イルカと泳ぎたいということの他に、健康面、マインドフルネス的にもフリーダイビングが注目され始めています。
海の中で過ごす魅力を知ってもらいたいですし、フリーダイバーを増やしたい、楽しんでもらいたいと思っています。
2017年3月に10年勤めたダイビングショップを退職し、仲間と沖縄でワークショップを行いました。
SNSなどで情報を得た方々がたくさん参加してくれました。
沖縄では素潜りのサークルもあって、生活の一部にしている方々もいます。
今後はワークショップなどをたくさん行って、フリーダイビングの魅力を多くの人に伝えていきたいと思います。

取材を終えて

HANAKOさんはきっとフリーダイビングに関して天才肌なのだと思う。
一般の人は苦労して手にする記録もスイスイとやってのけてしまうイメージが強い。
性格はとても明るくチャーミング。
スゴく自然体な女性であり、水中で暮らしていそうな不思議な雰囲気がまた魅力的な方(笑) 
今年、2018年は世界大会の年であり、また人魚ジャパンの大活躍が見られるだろう。

プロフィール

HANAKO (廣瀬花子)
フリーダイバー / 現日本記録保持者

2010年,2012年,2016年人魚JAPANメンバーとして3度の世界一に輝く。
2017年4月、世界女子史上2人目となる水深100mへ到達。
また水深103mで当時の世界記録を更新。
現在は水中モデル、水中スタントとしても活動を展開中。

*My One Breath Record*
STA (息止時間):7分03秒
DYN (潜水距離):197m
CWT (潜降深度):103m

◆HANAKO オフィシャルサイト https://www.hanakofreediving.com

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