元祖「ぼたん鍋」のお店を守るスゴい人!

牛肉さえも食べない時代に猪をどう食べてもらうか

継いだ時は借金だらけ

「畑かく」のぼたん鍋が美味しい理由

「ぼたん鍋」を食べたことはありますか?
本日、登場するスゴい人は元祖「ぼたん鍋」のお店を守るスゴい人だ。
「ぼたん」とはイノシシを表す隠語である。
猪は縄文時代から食され、猪鍋は日本各地で食べられている。
この猪鍋を「ぼたん鍋」と名付け、京の都で大正7年に創業したのが「畑かく」さんだ。今日は「畑かく」さんの3代目にご登場頂く。
「畑かく」さんの「ぼたん鍋」は格別に美味しいが、その生まれた背景と受け継ぐ想いを聞かせてもらおう。

さあ…
京料理 畑かく
新造 一夫様の登場です!

宿屋から料理屋

祖父は鴨川の上流にあたる雲ヶ畑で宿屋を営んでいたのですが、大正7年に京都市内に出て来て料理屋「畑かく」を始めました。
もともと、雲ヶ畑は林業で栄え、京都で何かあった時に材木を出す場所でした。
ちなみに丸太町という地名は丸太を上げた場所だったことに由来します。
雲ヶ畑は明治時代に京都御猟場となり、今で言うゴルフをするように、鉄砲を担いで狩りをし、捕れた鹿やイノシシを料理する文化が形成され宿屋でも提供していました。

当時、全てが珍しすぎた「ぼたん鍋」

猪肉はとても美味しいので京都市内でも評判になるだろうと今の場所(上京区)に店を出したのが始まりです。
しかし、京都の人は会席料理文化なので猪肉には見向きもしません。
今では考えられないかもしれませんが、まだ牛肉さえも食べていない時代なのでなおさらです。
獣肉は食べない時代です。
そんな時代、祖父はどうしたら美味しい猪肉を食べてもらえるか研究しました。
白味噌文化の京都だから、馴染みのある白味噌を使おう。
ただ、京都のネギは九条ねぎだが青ネギは合わない。
どうしたものかと思っていると当時、東京から白いネギが入りはじめ、京都では珍しい白ネギを選びました。

牛肉さえも食べない時代に猪をどう食べてもらうか

猪鍋では耳あたりも悪い。
獣肉の隠語は色々あります。
お寺が多い京都では、仏教徒のお坊さんが獣肉を食べるのはご法度だったので隠語が生まれました。
鹿は「もみじ」馬は「さくら」猪は「ぼたん」と呼ばれ「ぼたん鍋」は耳あたりも良いので「ぼたん鍋」と名付けたのですが、それでもやはり売れません。
綺麗に肉を並べるのですが、当時は冷凍技術も無く花びらのように並べることはできませんでした。
猪肉は油が多いほど価値があるのです。
その猪肉を綺麗に並べると牡丹の花のようになり、「ぼたん」という隠語はその様子に由来するという説がありますが、それは後付けされただけです。
私共が牡丹の花のように盛り付けだしただけですから。
現代のように周知するのは難しい時代、祖父は何か良いアイデアは無いか考え抜き、京都の料理屋さんを招き入れ、試食会を3回実施しました。
料理屋さんに食べてもらい、広めて頂く口コミです。
美味しさは理解してもらえましたが、現代のように爆発的に流行ることはありませんでした。

祖父の背中を見て育つ

私が生まれた時に祖父がもう1店舗、雲ヶ畑に料理旅館「洛雲荘」をオープンしました。
幼い私は祖父によく「洛雲荘」に連れて行かれ、泊まったりしていました。
村の人に株を買ってもらう株式制度が流行り、祖父もその制度を取り入れたそうです。
そんな祖父の頑張りを幼い頃から身近で見ていた私は、継がないと仕方がないんだろうなと思っていました。
家もお店の上にあり、当時のトイレはお客様と同じトイレ。
夜、トイレに行こうと階段を降りると、三味線の音色に合わせて裸のおじさんが踊っている姿も日常的に目にしていました(笑
大学を卒業する頃、父の具合が悪くなり、家業を手伝うようになりました。
外で修業をして家業に戻る場合、通常は一番下からではなく途中からになるのですが、私は一番下の鍋洗いから始めました。

継いだ時は借金だらけ

私が23歳の時に父が「時代に合わせる必要がある」とお店を大規模修繕し、その後すぐ入院してしまい私が30歳の時に亡くなってしまいました。
借金だけ置いていったなぁ…と思いましたが、とにかく目の前の仕事をするので精一杯。
25歳で結婚もしているので、妻からは「亡くなった時はどうなるのかと思った」と随分経ってから聞かされました(笑)
板長さん、従業員さん、銀行さんなど、周りの人に助けて頂き、バブルという時代の後押しもありなんとか切り抜けました。
バブルと言っても料理屋なので集客数、客単価は基本的に決まっているので、他業種のように大きく儲かったわけではありません。

飲食店と京都の料理屋の違い

京都以外の料理屋さんはさほど変わりは無いかもしれませんが、京都でいう料理屋さんは芸子さんを仕切っています。
昔は今のように男の人がお酒を飲んで楽しむBARやクラブはありませんでした。
その代わりをするのが料理屋だったのです。
料理屋は芸子を呼んだり、中居さんと遊んだり、そして、接待もする場所でした。
冠婚葬祭や法事、七五三、結納なども執り行われ、仕出し文化もあるので地元の人とも深く長く付き合いのある場所でもあります。
料理屋の役割は食事を食べて頂く他にもありますので、インターネットは便利かもしれませんが私共の予約は電話で頂きます。
電話でどのような用途で何をされるのか、詳細にお聞きしないと十分なおもてなしができないことが、多々あるからです。
京都の料理屋が他と違う文化になった一つは、ここの地元も含め織物文化に支えられ、五花街が残っているという背景もあります。

料理屋の役割

バブルの時にふぐのお取り寄せが流行り、銀行さんから全面的にバックアップするからお取り寄せメニューを作らないかとご提案を頂きました。
だけど、私はしっかりとお断りさせて頂きました。
料理屋というのは五感で楽しんで頂くものだと思っているのです。
屋敷の造りが醸し出す雰囲気、庭から見て取れる季節、お部屋の静さ、料理の香りや盛り付けの見た目、中居さんから感じ取るおもてなしの心など、美味しいものを食べに行くと思ったその時から、頭の中は美味しさのイメージで埋め尽くされます。
だからわざわざ京都の、そして「畑かく」という料理屋に足を運んで頂くことが大切で、これを外してはならないと思っているのです。
私で3代目ですが、一つも大きくしておりません。
息子には何でもっと上手に儲けなかったのかと言われるのですがね(笑)
きっと方法は沢山あったと思います。
ただ私の役割は、大きく儲ける事よりも家業を守る事でしたから。

「畑かく」のぼたん鍋が美味しい理由

畑かくで使う猪肉は3~4歳で12月頭に捕れたものだけです。
猪の油は1年油と言われ、冬を越すための油です。
12月後半になると繁殖活動を始めるため、油が減ります。
2月に捕れる猪に油はありません。
また、5歳以上になると1年油が冬を過ぎても残り、肉に臭みが出てくるのです。
猪は油が命です。
10頭捕れても「畑かく」で使えるのは1頭ぐらい。
厳選された猪のみを提供しています。
5年以上の猪や痩せた猪を最初に食べてしまい、猪は獣臭いというイメージが付いてしまうのは残念ではあります。
祖父の時代から守り継がれたこの味は、絶対に妥協をできません。
是非、3月いっぱいまで「ぼたん鍋」を提供していますので、足をお運び頂ければと思います。

取材を終えて

猪の肉は臭いというイメージがあったが「畑かく」さんの「ぼたん鍋」を食べた時の
感動は計り知れなかった。
こんなに美味しい猪の肉があるのかと、何皿も皆でおかわりをしてしまった。
今回の取材でその美味しさの理由と拘りがわかり、納得した。
もし、バブル時に3代目が事業の多角化や他業種に手を出して失敗していたら、私たちはこんなに美味しい「ぼたん鍋」を食べられなかったかもしれない。
家業を守り続ける事は本当に大変な事。
また3月迄に「ぼたん鍋」を食べに行きたい!
是非、皆様も「畑かく」さんの「ぼたん鍋」を食べてみて下さい。

プロフィール

京料理 畑かく
新造 一夫(しんぞう・かずお)

◆畑かく http://www.kyo-ryori.com/shop.php?s=69

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