勉強も運動もできなかった私
まさかの事故
“普通”に接してくれる仲間達
BMXという競技をご存知だろうか?
Bicycle Motocrossの略で、競技はレースとフリースタイルがある。
レースはジャンプ台やコーナーを含む400mほどのダートコースを最大8名で走り、タイムを競う。
本日登場するスゴい人は幼い頃から好成績を収め、日本代表選手として世界で活躍していた。
しかし、2年前のある日、突如として悲劇が襲う。
両足切断の可能性もある交通事故に遭うのだ。
そんな、選手としては絶望的な状況から這い上がり、レースに復帰した。
どん底の状況にもかかわらず、何故彼女は復帰するまでに至ったのだろうか?
彼女を支えたモノは何だったのか教えてもらおう。
さあ…
BMXプロライダー
朝比奈 綾香様の登場です!
勉強も運動もできなかった私
勉強もできず、運動神経も悪く、自分にあまり自信を持っていませんでした。
父は子どもの頃BMXをやりたかったそうですが、できる環境になかったので、弟にやらせようと私が小学校5年生の時に家族でBMXのレースを見に行きました。
弟は興味を持たなかったのですが、自転車が常識を超えたスピートで走り、飛んでいる姿に私の方が感動してしまったのです。
BMX自転車を買ってもらって初めてコースに連れて行ってもらい、ワクワクしてスタートしたのですが、最初の山で転んでしまいました(笑)
でも、何故かそれを怖いとは思わず、楽しいと思えたのです。
コースに出た嬉しさと共に、ここを走りきれたらもっと楽しいだろうなって。
そして、半年後に地元で開催された小さい定期戦に出場し、ビギナーズクラスで優勝しました。
その優勝は自信が無かった自分にとって本当に嬉しくてたまらなくて、この経験がBMXにハマるきっかけになったのだと思います。
世界の壁
16歳まではポイントで1位だとA代表として世界戦の権利を貰えるのですが、15歳の時は2位のB代表でした。
B代表は少しお金を出せば世界戦の権利を貰えるのです。
ここで世界に行かなかったら後悔すると思い、両親にお願いしてコペンハーゲンで行われた世界戦に出場しました。
初の世界戦は予選落ち。
世界の壁は高いと肌で感じることができましたね。
それから1年間全力で練習したのですが、16歳でもポイント2位、B代表で世界戦に出場しました。
準決勝まで上がり、レースの終盤に3位で走っていたので決勝レースに出られると思って漕いでいると、オーストラリアの選手にぶつかられて転んでしまい、決勝には進めないという辛い経験をしました。
自らの手で掴む
17歳からジュニアエリートに上がるのですが、私達の上の代の先輩が世界選手権へ出場するポイントを取っていなかった為、私達の代は誰も世界戦へ出場できませんでした。
その年は翌年の世界戦の出場枠を取るため、1年間自分達でワールドカップやポイントレースを幾つか周り1枠取ったのですが、もう1人の選手にポイント負けして出場できませんでした。
そして翌年、19歳でエリートに上がり活動し始めた7月に事故が起きました。
まさかの事故
練習後のクールダウン中、突然車が車線を越えて突っ込んできたのです。
正面衝突したみたいです。
右足はすねの骨を2本骨折、左足は膝の骨が飛び出し開放骨折、大腿骨骨折、顔面座礁でした。
一緒にいた仲間からは「見るな」と目を手で塞がれました。
自分の足が変な方向に曲がっていることはわかりました。
救急搬送中は痛みよりも、これまで大会に向けて積み上げてきた努力が全て失われることが悔しくて、辛くて仕方がありませんでした。
「もう自転車に乗れない!」という思いがこみ上げてきて、救急処置室に入る直前まで「自転車に乗りたい!」と叫び続け、意識を失いました。
悪夢にうなされる
茨城県で事故に遭い、搬送先の病院では手術ができない状態だったため、地元・大阪の病院に転送され、緊急手術を受けました。
出血も大量でしたが輸血で命をつなぎとめました。
両足手術、大腿骨手術、ひざは創外固定器具を装着しました。
手術は4日間に及び、両足は最悪の事態である「切断」を免れることができました。
栄養剤を鼻から注入され、痛み止めの薬は点滴投与でした。
自転車に乗っている夢も頻繁に見ました。
それはいつも、レースに出場するものの追いつけず、自分だけが取り残され足を引きずっている悪夢です。
主治医の言葉を勘違い
大阪で手術をしてくれた主治医の先生が「自転車に乗れるようになるよ。治す」と言ってくれ、その瞬間に「治そう!」とスイッチが入ったのです。
筋力も相当落ちていましたが、また乗れる喜びを胸にリハビリに専念しました。
7月に事故に遭い、再び自転車にまたがれたのは翌年の5月でした。
その時、乗れた嬉しさはあったのですが、想像していたほどの感動が無かったのです。
乗れたと言っても膝も曲がらないし、乗るだけでやっとという感じでした。
やっと自転車に乗れたのに何で感動しないのだろう?と思っていたのですが、事故後に初めてコースで練習した時にその理由がわかりました。
私は自転車に乗ることではなく、コースを走ることが目標だったのだと。
コースに戻ってきた時に感動したのです。
後からわかった事ですが、主治医の先生が言った「自転車に乗れる」の意味は競技ではなくママチャリ程度だったのです。
こういう事は、後からわかって良かったことですね(笑)
“普通”に接してくれる仲間達
入院中に支えてくれた両親や仲間達には感謝しています。
仲間達が「また戻ってくるんやろ」と当然のように言ってくれた事が、また競技に戻る一番の力になりました。
怪我を治す上で本当に、仲間達が普通でいてくれた事は大きかったです。
2017年は7月に全日本に出場し、8月にボルトを抜く手術をしました。
どうしても膝に痛みが出てしまうので抜いたのです。
その後、11月に国際レースに出場しました。
ボルトを抜いてからできることも増え、調子も上がってきています。
2017年は復帰の年で2レースだけでしたが、今年は春からまた本格的にレースに出場します。そして、幼いころ何もできず自信の無かった自分が、この大怪我をも克服してまた表彰台に上がる姿を両親や仲間達、そして自分に見せてあげたいです。
取材を終えて
たまたまテレビで特集を組まれていた姿を観て「スゴい子がいるなぁ~」と思っていたら、アスリートエール・岩田様からご推薦頂いた朝比奈さん。取材中に印象に残ったシーンは「BMX選手は何歳ぐらいまで現役なの?」と質問し、「20代から30代前半です」と回答を頂き「そうしたら、まだまだ年齢的には全然大丈夫だね」と答えると「はい!いけます(笑)」とスゴく素敵な笑顔をされたこと。
この瞬間「彼女は必ず手にするのだなぁ~」と心の中で確信しました。
きっと大怪我を克服し、今までと違った走りを見せてくれるのだろう。
世界の舞台で表彰台に立つ朝比奈さんを早くみたい。
プロフィール
朝比奈 綾香(あさひな・あやか)
BMXプロライダー
【ファンの力がアスリートを強くする】
◆アスリートエール http://www.athleteyell.jp/asahina_ayaka/
◆ブログ https://ameblo.jp/ayaboobmx/
◆インスタグラム https://www.instagram.com/ayaka_asahina/
2012年 世界BMX選手権大会イギリス ベスト16
2012年 全日本BMX選手権大会 2位
2012年 伊豆BMX国際 15歳以上クラス 1位
2013年 BMXアジア選手権大会シンガポール 2位
2014年 全日本BMX選手権大会 3位
2014年 伊豆BMX国際 3位
2014年 JBMXFジュニア・エリートウーマンランキング 1位
2016年 全日本BMX選手権大会 3位
2017年 全日本BMX選手権大会 3位