京都・六角堂の執事でありながら、西国三十三所草創1300年を指揮するスゴい人!

僧侶の姿を誰も知らない

認知が薄かった花山法皇壱千年御遠忌

ふとした時に降りて来た

新年、明けましておめでとうございます。
今年、2018年は「西国三十三所草創1300年」にあたる年である。
四国八十八カ所巡りは有名かも知れないが、第一番那智山 青岸渡寺から始まり和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と三十三所各札所を廻る日本最古の巡礼路である。そして、今年はなんと!三十三各札所にてご開帳などの特別拝観や4月15日に特別散華の配布が行われるという有り難い年。
この記念事業を指揮する広報担当者が、今年一人目のスゴい人である。
実は、今日のスゴい人はなんと!聖徳太子が建立され、華道の発祥の地である「六角堂」の執事でもある。
さぁ、今年も日刊スゴい人を宜しくお願い致します。

さあ…
六角堂頂法寺(西国第18番札所 洛陽第1番札所)
執事 田中 良宜様の登場です!

継ぐものとして

祖父が住職で幼いころから継ぐものだと言われていました。
私の場合は中学からレールに乗せられ比叡山中学へ。
もちろん一般の人もいるのですが、朝のお勤めは全校生徒で般若心経を唱えます。
教師の半分はお坊さん。
3年生は比叡山が近いので比叡山に登り参拝する行事などがありました。
高校もそのまま比叡山高校に進み、お寺から来た者だけが週に2時間第二宗教という歌の
ような節のついたお経の読み方(声明—しょうみょう−)を勉強したりしました。
大学は大谷大学の仏教科に進みました。
学生時代に経験できることは全てしておこうと、色々と体験しました。
将来、お寺に相談に来られた人に対して自分の経験を通じてアドバイスするべきだと思っていたのもあります。
大学卒業後、叡山学院という専門学校へ1年間行き、法要の所作や色々なお経も習い、2ヶ月間の比叡山修行もし、実践を習いました。

六角さんを引き寄せた

池坊の京都支部長をされていた先生と父が、たまたま面識がありました。
その方が「毎朝6時に本堂に1人で拝みに来られている僧侶が、もう90歳にもなり、誰か付き添いがいないと気が気でない」と話されていたのを父が思い出し、「誰か代わりに来てくれないかと池坊さんが話してたで」と教えてくれたのです。
大学を卒業後すぐに僧侶の世界に入るにも、実家のお寺はそれほど大きくもなく、生活するのも大変なので、どこかに務めに出ようと思っていたのです。
かといって京都の中でも僧侶を受け入れられる余裕のあるお寺も数少なく、三十三間堂の妙法院さんと三千院さんぐらい。
ただ、当たり前ですが僧侶として完全にやっていかなくてはなりません。

僧侶の姿を誰も知らない

学院を出ているので大寺院からお誘いを頂いたのですが、まだ僧侶だけの世界には行きたくないと思い、池坊さんの面接を受けました。
普通の会社員としても働いてみたかったのです。
池坊さんの面接で「事務もやらせて欲しい」と話し入社する事になりました。
六角堂においては法要も年に数回で他のお寺のような仕事はそれほど無いので、実際に事務仕事に就くのですが、毎朝欠かさず本堂にお経を上げております。
総務部に配置され池坊の支部行政、3年後には教務部に異動して全国の先生が本部の先生に習う講習会の運営や東京校の開校。全国約200箇所で開催する講座の内容の考案などの池坊の事務をしながら、六角堂の責任者として住職である家元の代わりに三十三寺院の責任者が集まる札所会にも参加していました。
20歳そこそこで西国三十三所の重鎮が集まる札所会に参加していたので、今ではすっかり古株です(笑)
当時の札所会は、事業はせず忘年会や納涼会という名の懇親会が中心でした。
次の世代もコミュニケーションを取る必要があると、私が札所会に入る数年前に青年会も立ち上がっていたので、私は年齢的に青年会にも顔を出すことになったのです。
池坊に出入りする先生方は私が僧侶の顔を持っている事は一切知らなかったりします(笑)

その年の漢字を書く清水寺の森猊下

私は天台宗でしたので、札所会で他宗の方々との交流が持てたのは良かったです。
特に清水寺の森猊下は昔、私の祖父に世話になったと温かく迎え入れてくれました。
暫くは森猊下に引っ張って頂きました。
私が札所会に入り数年経つと、森猊下が広報委員長をされることとなり、猊下より広報の事務的な事をやってくれないかと仰せつかりました。
これまた、池坊で事務的な事は鍛えられていましたので得意でした(笑)

認知が薄かった花山法皇壱千年御遠忌

バブル崩壊後、年々参拝客が減ってきたのです。
落ち込みを反転させるには大きな爆発が必要だと常々考えていました。
そんな時に花山法皇が亡くなり1000年(2008年)になるので森猊下にその旨をお伝えし、花山法皇はご本尊を必ず見ていたはずだから三十三札所揃っての総開帳を札所会にて森猊下からご提案して頂いたのです。
しかし、三十三札所の全員から許諾を頂けませんでした。
それぞれのお寺に事情があるので、非難はできません。
ただ、この提案は一旦無かったことになったのですが1000年を迎える前年、2007年にいきなり浮上してやることになったのです。
反対していたご寺院さんも参拝客の減少を痛切に感じ始めたのでしょう。

ふとした時に降りて来た

その後、森猊下から広報委員長を引き継ぎなさいと言われ、引き継ぎました。
日々、何か起死回生の事業ができないかと考えていると、青年部会のメンバーで食事をしていた時にひらめいて調べてみると、4年後が1300年だったのです。
当時、本会に出ていたのは私だけでしたので、私が青年会の代理人として発表したら、予想に反し反応が良かったのです。
花山法皇没後1000年の御開帳は、準備期間が無くテレビに1、2回取り上げられたぐらいだったので、札所巡礼の人でさえ知らない人が多くいました。
記念行事は最低でも50年単位です。
我々の世代でできる行事はこれが最後ですので、この反省点を踏まえないとなりません。

丁寧に事業を推進する

1300年に当たる年は2018年ですが、前の2年、そして終わってからの余韻の2年も事業をしても良いのではないかと提案したのです。
2018年が1300年であると国民に周知させるには最低2年は必要。
旅行会社にツアーを組んでもらうにも、旅行会社は1年前には翌年のツアーを組まれるので、最低2年前にプレス発表が必要。
更には我々僧侶だけの力ではメディアを動かすことは不可能であることも理解していたので、池坊のPRでお世話になっていた株式会社TMオフィスの殿村社長の力を借りました。

西国三十三所 草創1300年

女性も子どもも楽しく巡礼して頂きたく、青年会の発案で「スイーツ巡礼」というモノを作りました。
時代ごとに美味しく進化して来たお菓子を食べ歩きながら巡礼して頂くプランです。
他には毎月1回札所で特別な御朱印を頂く「月参り巡礼」。
多い時には1000名を超える方がこの日にしか頂けない特別なご朱印を求め、足を運んでくれています。
特別拝観は今日から12月にかけて各寺院でご開帳などが行われています。
お正月は家族との絆を深める機会でもあります。
この時代を生きていく上で血が通っている家族同士、お互いに協力し合うことが大切です。
年始のご挨拶をされたら、家族皆で神社仏閣へお参りされて下さい。
そして是非、今年は西国三十三所の特別拝観にも足を運ばれ、ゆっくりと寺院を周って頂き、心を整えると同時に日頃の生活を振り返り豊かな人生を歩まれて下さい。
皆様にとって素敵な年になりますように。
合掌。

取材を終えて

田中様のような立ち位置の僧侶は他にはいないだろう。
池坊とのご縁、そして若くして札所会に入り青年部にも属しながら全体掌握をされていく。錚々たる先輩僧侶をまとめて行くのは並大抵な事ではない。
信頼をベースにしっかりとした未来に向けての行動力が必要だ。
「揉め事は好物」とさらりと話す姿は事実の中にある真実を俯瞰されているからなのだろうと感じた。
この西国三十三所草創1300年を気付き立ち上げ成功させる事が田中様の運命なのかもしれない。
貴重な総開帳に足を運び、素晴らしい2018年にしようではないか。

プロフィール

紫雲山 頂法寺 六角堂 http://www.ikenobo.jp/rokkakudo/
西国三十三所 草創1300年 HP  http://www.saikoku33-1300years.jp/

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